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まだ俺に足があった少年時代  作者: クスクリ
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その7(県道・猪町小学校構図・集団登下校・登校路・野糞・俺の癖)

 猪町町はたった一本の県道、18号線が町を南北に貫く。起点は佐々町古川免、小佐々町、長串山、大加勢、歌ヶ浦、本ヶ浦、船の村、橋の本、田原林、田中、植松、御堂、深江と抜けて終点の江迎町長坂に至る。

 猪町小学校は県道を望む高台にある。県道から学校へのアクセスは植松からの二ヶ所と御堂からの一ヶ所だ。深江部落、御堂部落、口の里部落、北猪町の一部の生徒は県道の御堂の先、植松寄りのコンクリート舗装された幅一メートル程の通学路を登って学校に至る。途中、学校の手前百メートル程で車が通れる町道に変わる。そのまま歩くと小学校の直前で植松から上がってきた町道に突き当たる。左折して十数メートル上がれば猪町中学校の正門、右折して下れば猪町小学校の校庭西辺の裏門前に出る。

 南猪町部落、北猪町部落の一部の生徒は県道植松から中学校の正門に突き当たる町道の通学路に入って、小学校グランド東辺の正門に続く出入り口に至る。

 猪町小学校の校舎は南北に二棟、出入り口が四ヶ所ある。一・二年生と三・四・五・六年生は校舎が分かれるため登校口が異なる。校庭側の裏門と正門は高学年用の登校口だ。

 猪町中学校と猪町小学校は南北上下に並んで建っている。珍しい配置だ。歌ヶ浦中学校と歌ヶ浦小学校も上下に並んで建っていた。


 長い一本のコンクリート廊下で一・二年生用北校舎と高学年用南校舎が結ばれる。二棟の校舎の間に中庭があり、廊下の西側に寒暖計、小鳥小屋、花壇、東側に池がある。北側校舎の上方の土手に講堂があって、中庭には鉄棒・ブランコなどの遊具が備え付けられている。一・二年生は中学校正門右手前の講堂の東側の林に沿った小道を下りて登校して来る。

 式典があるときや雨天の朝礼時、俺たちはゾロゾロと講堂に向けて行進を始める。必然的に南校舎の高学年の方が時間が掛かり、揃うまで一・二年生はお喋りしたりふざけ合ったりして待つ。

北校舎は木造二階建て、一・二年生の教室、音楽室、特殊学級、東側に給食室。給食室と中庭に挟まれた部分にデカい猿の腰掛けがある朽ちた大木。南校舎も木道二階建て、三・四・五・六年生の教室、職員室、校長室、理科室、火縄銃を展示した特別教室もあって、一・二年生の頃の俺らは早く三年生になって高学年校舎を移ることを切に願った。


 猪町小学校には集団登校、集団下校の制度があって、六年生を団長に土曜の放課後、集団下校し、月曜の朝、集団登校した。隊列を組むときは、団長を先頭に一・二・三・四・五・六年生と並んでいく。

 猪町小学校に入学して初めての集団登校時、六年生の入江の兄貴と昵懇なのを良いことに、最後尾の六年の位置に居座り意気揚々と歩いたが、集団下校のときは気が進まなかった。というのが、集団下校はグランドに一斉に集まって部落別に登校のときより大規模に隊列を組むため、団長が男子生徒に代わり、俺の同学年の吉屋美雪の兄貴だった。俺は彼に生意気だと痛い目に遭わされたことがあるのだ。それ以来、俺は奴に恨みを持った。


 深江部落と御堂部落の生徒の通学路は県道18号線で一緒だ。だが、無理をすれば深江部落からもう一本通学路を見つけることが出来る。県道沿い御堂池から山手に上がって行って、深江炭鉱跡のボタ地を通り、二段堤の三浦越池を抜け、大野台遺跡を左手に見ながら植松から伸びる通学路の町道に出る。今グーグルマップで見ればそう遠回りではないが、当時は相当距離があるように思っていて、登校に使っていた生徒は居ない。

 正式な通学路は県道18号線から左の山手の方に枝別れする幅一メートルのコンクリートで舗装された杣道だ。田んぼや畑や藪に囲まれ自然豊かな通学路だ。まぁ日本の西の端の忘れられた町だから当然か。いつも腹を空かせていた俺たちは、畑の芋を盗んで生のまま齧った。


 御堂住宅の広場から県道を突っ切って山に向かい、道なき道を上って行くルートもあって、俺たちは気分転換に時々、利用した。途中、カブトムシやクワガタムシがよく集まるクヌギの木があって、虫が居ないか確かめるためでもあった。また、田んぼの畔には棕櫚の木もあって、枝を折ってゴム鉄砲を作って遊んだ。

 この山道の登り口には低学年の頃、よく遊んだ山下の家があった。家の横には山水が流れ落ちる岩があって、清水の水溜まりが出来ている。俺は鮒を飼う水を汲みによくここに来た。


 下校時、小学校一・二年生は講堂の東側の林に沿った階段の小道を、今度は登って猪町中学校正門前の町道に出、帰途に就く。

 この頃の俺は登下校時に限って大便を催した。その日も、終礼の歌を歌い終え、担任の佐藤先生と下校の挨拶を交わした俺は勢いよく教室を飛び出す。

 階段の中程に差し掛かったとき、急に腹がゴロゴロ鳴り出して強烈な便意が。学校か本家のトイでとも考えたが、そのちょっとの距離が耐えられそうもない。肛門の締まりが悪い俺は何とが噴出だけは避けようと、その場に座り込んで尻に圧力を加える。立って歩いたら出てしまいそうで進退窮まる。

 ふと林に目を遣る。絶好の野糞場所が目の前にあるではないか。たった数メートル我慢出来れば、恥ずかしい姿を級友に見られることなく思いっきり出せる。肛門を力一杯締めて、一歩一歩、歩を進めてやっとの思いで茂みにしゃがみ込んだ瞬間、ズキンと痛みが脳天を突き抜ける。

 ちょうど尻の下にあった尖った枯草が肛門に突き刺さったことによる激痛だった。身を屈めると同時に何とが排便だけは済ませたものの、真っ青になって前方につんのめった俺は、その体勢のまま痛みに暫く耐えるしかなかった。

 大抵は県道と御堂住宅の間のボタのグランドで便意に屈服することが多かったから、パンツに漏らさなかっただけ、この日は運が良かったかも知れない。


 またその頃の俺には、鼻水を吸い込むのに鼻腔全体を使って豚の無き声のような音を出す癖と、用もないのに初中大口を開ける癖があった。

 お袋が言う、「康ちゃんが帰って来るときはすぐ分かる。ふっとか豚の鳴き声の聞こえてくるけん」

 佐藤先生も、「木村君、その癖はどうにかならないのですか。まぁ癖が癖だけにしょうがないですかね」

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