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まだ俺に足があった少年時代  作者: クスクリ
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その4(川釣り・ミミズ・鮒とボラの手掴み・ウナギ捕り・中井親子)

 俺たちの小学校時代、遊びには事欠かなかった。今の子供は当時の子供と比べると、あまりにも哀れに思えてならない。あらゆる伝統の遊びは忘れ去られ、物質文化の影響大の現代社会で、金を使う遊びしか知らない。最新の遊びに凝り、そのために犯罪に手を染める子供まで出てきた。


 まぁ田舎だということもあるが、昭和40年代の俺たちは自然の懐に抱かれて毎日幸せに暮らしていた。特に魚釣りは一週間に数回は行っていた。海釣りよりは淡水釣りの方が多かった。町内には沼や池が多く存在し、鮒の居そうな新しい池を発見すると、翌日には釣竿片手に吟味に行く。

 ほとんどミミズを餌にしたのだが、どこにでも居る訳ではない。釣りには獲物によって二種類のミミズを使い分ける。鰻釣りには良く畑などにいる鼠色の大型のフトミミズ、俺たちはトンピンミミズと呼んでいた。鮒釣りには赤い縞模様の小型のシマミミズを使う。

 俺たちは鮒釣りを好んだのでシマミミズの方が貴重だった。シマミミズがどうしても採れない場合はフトミミズで我慢する。兎に角、汚いところなら手当たり次第に掘り返した。

 運が良いときには、炭鉱住宅のわが家のコンクリート製の流しに、夜中、シマミミズがうようよ湧いて出てイトミミズの如く固まる。俺はヤッターとばかりに、まるでお宝でも手にしたかのように、勇んでシマミミズを両手で掬って空き缶にギッシリ詰め込み、ウキウキした気分でもって明日を心待ちにして床に就いたものだ。

 そんなだから、釣竿の釣針にはいつも干乾びたシマミミズがこびりついていた。フトミミズは千切ったときには泥が出るが、シマミミズは黄色い液体が指にこびりついて、手洗いしても臭いだけは容易に落ちない。俺は構わずその手のまま食卓に着く。子供の頃は何の躊躇いもなくミミズを掴めたのに、成人した今はとても握れそうもない。


 現在(SNG大学二年)のように釣りと何年も離れていると、あの頃が妙に懐かしく脳裏に甦って来る。新緑の土手に腰を下ろし、水面に漂う浮きをじっと睨み据える。ときには、止まったまま全く動こうとしない浮きに、糸トンボが長閑に羽を休める。

 そうしている内に、浮きはぴくっと上下運動したかと思うと、水中に引き摺り込まれないように必死に堪える。当たりの頃合いを計って、ここぞとばかりに竿を引き上げると、銀輪を眩い陽光に煌めかせながら型の良い鮒が水面に姿を現す。


 釣りをやらないときは別の漁獲の方法を実践に移す。このやり方は俺が小学校二年生の頃、川添たちに教えて貰った。

 猪町町には船の村の中野を水源として、猪町川が県道18号線と並行して流れ江迎湾に注ぐ。御堂から北猪町の植松まで、県道と猪町川の間には水田が広がり、猪町川のすぐ横に並走してもう一本、用水路としての小川が流れる。俺たちはこの小川をちんでんと呼んだ。この水田地帯には父方の実家の田んぼもある。ちんでんの河床は炭鉱時代のボタを含んだ柔らかい泥だ。

 流れが緩いので足跡が付くと暫く消えない。川を下流から上流に遡って歩いておくと、その足跡に鮒やボラが住み着く。数日後、再び川を遡る。付けた足跡に居る魚を踏み付けて身動き取れなくし、手掴みで捕獲していく。網など全く必要ない。面白いほど簡単に捕れる。俺にはその光景がまるでマジックか何かのように映る。川添たちは捕った魚を川岸に放り投げ、俺はそれを拾って水を張ったバケツに入れていく。川添たちが川から上がる頃にはバケツは魚でいっぱいになっている。


 ちんでんの泥にはウナギも住んでいるが、この方法では捕れない。ちんでんは水門で江迎湾と繋がっている。干潮のとき、大小の石を積み上げて5メートルほど堰き止め、バケツで只管水を汲み出して河床の泥を剥き出しにする。片っ端から掘り返すと、ウナギがまるでミミズの如くうじゃうじゃ出て来るという寸法だ。泥塗れになって、この方法でウナギを捕獲する中井親子を見たことがある。


 猪町工業高校と御堂住宅の間を抜ける御堂ー口の里ー大屋線の町道は、御堂・北鹿町から口の里を抜けて、大屋から本ヶ浦の町民運動場に至る。御堂部落と北猪町を隔てるのは猪町川だ。その猪町川が江迎湾に注ぐ辺りに竜神橋が架かっている。猪町川の直ぐ傍を流れるちんでんの流れを遮らないように、町道下を繰り抜いた如くコンクリートで固め、崩落を防ぐために真ん中を区切って天井を支える。そのため、流れが二手に分かれる。ウナギ捕獲の絶好のポイントは二手に分かれた流れの竜神橋側だ。


 家族三人でのウナギ捕りを手伝う中井の息子は、俺より一つ上で川添たちと同級だ。北猪町の友廣の家の二階に間借りしていた中井親子が、数百メートルしか離れていないちんでんの畔、町道沿いの老朽化した御堂のマッチ箱のような戸建てに引っ越してきたのは、俺が小学校低学年のときだ。謂わば、ちんでんは中井親子の庭のようなもの。

 昭和40年代、戦後たったの20年、総じて国民は貧しかった。特に猪町のような田舎には、襤褸を来て三度の飯にも事欠くような貧乏人が結構居た。俺もそうだが、金を掛けずに捕って食えるものなら、野鳥でも魚でも何でも良かった。空腹に苦しむよりマシだ。


 俺がウナギ捕りを見たのは一度だけだが、慣れた様子だったから、結構やっていたのだと思う。生活用水や糞尿はちんでんに垂れ流しだが、現代のように危険な化学薬品には塗れていない。汚れた川に住む鮒やボラは流石に食えないが、ウナギならどんな環境に住んでいようが美味しく食える。貧乏人の子供はちゃんとウナギが捌けたし、上手にかば焼きにできた。

 ブリキのバケツを覗いたら、型の良いウナギで満杯だった。数十匹はいただろう。これだけ捕れたら暫く食い物には困らない。ウナギは捕ったらすぐ死んでしまう鮒やボラとは違って、生命力が強いからタライに入れて生かしておける。かば焼きを腹一杯食えるのかと思ったら羨ましくて堪らなかった。中井親子の真似してウナギを捕ってみたくて、一人で試みたが、上手くいかなかった。これだけの河水を汲み上げてしまうには大人の手が要る。諦めた。

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