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まだ俺に足があった少年時代  作者: クスクリ
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その3(鼓笛隊・長崎国体・森君・船ノ村本家四人姉妹・千鳥越え球場・中太鼓・スポーツ少年団)

 小学校も高学年になると、俺たちには二つの義務が課せられる。鼓笛隊入隊とスポーツ少年団入団だ。

 今までは、鼓笛隊の笛以外のパートは学校側が力量のある者を勝手に任命していた。俺は常々そのことに不満を持っていた。俺のように勉強も運動も教師に対するアピール力もない者に機会はない。


 四年生の鼓笛隊編成時、大太鼓には川添が任命された。これに異を唱える者は居ない。川添は上背もあり駆けっこも早く小体連の常連で、勉強はできなかったが、喧嘩は町一番だし、リーダーとしては申し分ないと皆が認めていたから。だが、もう一人の大太鼓に何と俺らの学年から福田が選ばれた。

 通常、四年生の就くパートはその他大勢の笛だというのに。これにはムカついた。勉強でも喧嘩でも俺の方が福田より上だと自負していたし、身長も江頭、柴谷、豊島に次いで学年で四番だったから。ただ、福田も小体連の常連だった。


 昭和44年、俺が五年生のとき長崎国体が開催された。猪町町では千鳥越球場で高校軟式野球が行われ、秩父宮の台臨の栄に浴した。開会式に町内の小学校鼓笛隊がパレードすることになり、俺たちは毎週土曜日、バスで歌ヶ浦小学校の講堂に集合して合同練習した。

 この当時の猪町町内の小学校には体育館など洒落たものは無い。雨天時、ちょっとした運動、集会ができる三教室分ほどの広さの建物があって、講堂と呼んだ。

 俺のパートは勿論、その他大勢の笛だ。1時間も練習すると笛の先端から唾液が滴り落ち始める。汚くて、俺はこれが嫌で嫌で堪らなかった。一度でいいから笛以外の打楽器を担当してみたかった。土曜日は給食が無い。お袋に弁当を作って貰う。遠足とか運動会以外、弁当とは縁遠いので、糞面白くない笛担当で、これだけが楽しみで待ち遠しかった。昼になるとみんなで三階の図書室に上がって弁当を開け、丸美屋のすきやきふりかけご飯に舌鼓を打つ。


 歌ヶ浦小学校には、俺の一つ下、お袋の船の村の本家の次女、まち子が通っており、小太鼓を担当していた。小太鼓は女子専用パートだ。学校は違っていてもいつも遊びに行っていたので、鼓笛隊の練習で顔を合わせても新鮮味はない。


 お袋の実家は四人姉妹で、俺の下に三女と四女、俺の上に次女と長女がいた。その中で長女だけが飛び抜けて頭が良く、通知表はいつもオール5だった。

 歌ヶ浦小学校では目立った存在で、特に強烈に記憶しているのは、俺が小学校一年生のとき、本ヶ浦運動場で(今は佐世保市猪町運動場になっているが、当時は猪町町本ヶ浦運動場だった)行われた町民運動会で、鼓笛隊の鉄琴を颯爽と演奏する長女の姿だ。俺は従弟として鼻高々だった。ちなみに曲目は鉄腕アトムだった。


 期日が近づいて、千鳥越球場で実地練習をやることになった。球場は海端にあるので浜風が強い。俺たちは練習の合間にスタンドに上って向かい風に帽子を投げつけ、押し戻されるのを見てキャッキャッ喜ぶ。

 休憩が終わって、編隊を組んで入場する準備をしているとき、ガキ大将の川添が歌ヶ浦小学校の奴と喧嘩になった。川添は喧嘩相手を完全に呑んで掛かっていた。相手はただオロオロするばかり。俺は他校の生徒と平気で喧嘩できる川添の度胸と気の強さが羨ましくて堪らなかった。


 この時の猪町小学校の総指揮は森君と言って、運動も出来て頭も顔も良く、全校生徒の信望も厚い児童長だ。同学年に猪町中学校で技術を教えている辻先生の娘が居たが、その女子と恋仲の噂があった。まだケツの青い小学生なのに。でも、それだけ俺たちに比べたら大人びていたんだろう。彼女も美人で森君と同じく足が速かった。

 対する歌ヶ浦小学校の方の総指揮も森君に負けず劣らずな感じだった。結局、二校合同の総指揮は歌ヶ浦小学校に取られてしまう。球場内のパレードの動きは小学生の俺には複雑過ぎて、最初の内はだいぶ戸惑った。


 国体も終わった五年生の三学期、再び鼓笛隊の編成の時期がやって来た。高学年全員、偉そうな西村教諭の指示で講堂に集まる。西村は俺が四年生のとき赴任してきた。高卒で、出身校は長崎県立北松浦農学校だ。現校名は長崎県立北松農業高校。俺たちは親しみを込めてか、蔑視を込めてか、田平の農学校と呼んでいた。

 親父が、「西村は田平の農学校出なんじゃ」と意味深な言い方をするものだから、農を脳と勘違いして、かわいそうに頭が何処か悪いのかと勝手に憐れんでいた。もうこの頃は脳じゃなくて農だということは分かっていたが。


 どうせ笛から抜け出せる筈がないと高を括っていた俺の耳に、「今回はジャンケンで各パートを決めることにする」という西村の言葉が飛び込んできた。これは千載一遇のチャンス。

 子供心に俺がどんなに鼓笛隊の太鼓に憧れたことか。何も取り柄もなかった俺が、やっと注目されるポジションを得る機会が目前にある。意地でも物にしなければ。

 大太鼓のポジションは二つ、川添が卒業して一つ開くが、すでに福田が一つ占めているので競争率が高過ぎる。小太鼓は女子専用だ。だったら、狙うは上級生が全員卒業して全部空く中太鼓だ。

 喜び勇んで中太鼓のグループに飛び込むと、そこには競争相手の新原、江口らの顔があった。競争率は二倍、運を天に任せて、じゃんけんぽん、あいこでしょ…勝った!良かった!助かった!

 俺は到頭念願の笛以外のパートを射止めることが出来た。それも憧れの中太鼓を。このことは俺の小学校生活を語る上で特筆すべき大事件だった。本当に幸せだった。夢ではないかと頬を抓りたかったくらいだから。ただ、新し物好きな俺のこと、回ってきた太鼓が皆に比べて古かったのがちょっと不満だったが。


 鼓笛隊の打楽器は、三年生以上の教室がある古い木造二階建て南校舎の、二階の一番端の教室の廊下側の棚に保管される。練習もその教室で行われる。俺が三年生の頃は、二組ある俺の学年の隣の組が使っていたが、教室が老朽化したとのことで空き教室になっていた。

 授業の都合か何かで練習が中止にでもなったら酷く落胆した。練習日は金曜日の六時限目、その他大勢の笛パートの奴らを尻目に練習に赴く俺は、得意満面だった筈だ

 白い肩ベルトを掛け、腰ベルトで締め、中太鼓を吊る。練習前の厳かな儀式に見立てる俺。惚れ惚れとするその姿に自画自賛。ニヤケそうになる己に喝を入れると同時に気合いも入る。

 ♪チャンチャカチャン♪チャンチャカチャン♪チャチャチャン♪チャチャチャン♪チャンチャカチャン♪

 鼓笛隊の檜舞台は年間三回だ。3月の六年の卒業式と4月の新入生の入学式、それと5月の運動会だ。残念ながら、俺は卒業式しか演奏できなかった。卒業式が終わったその日に交通事故に遭ってしまい、半年の入院生活を余儀なくされたから。


 スポーツ少年団は四年生から参加が義務付けられる。野球ではなくソフトボールだ。野球は男投げだから、リトルリーグでもない限り、田舎の小学生にはハードルが高過ぎる。毎年、4月に新チームが編成される。深江部落、御堂部落、北猪町部落、口の里部落、南猪町部落の5チームだ、夏休みの8月20日の大会に向けて練習する。猪町中学校も同様に練習を行っていた。

 3月になり、新チーム編成が近づくと急に五年生が威張り散らし始め、練習を強要しだす。御堂部落の四年生、俺・新原・村上・森田の4人も、五年生、川添・吉田・村上に練習を強いられ、御堂にはボタのグランドがあったのに、わざわざ学校のグランドまで呼び出された。

 いけ好かない上級生ではあったものの、いつも川添のプレーには惚れ惚れしていた。彼はあの太いソフトボートを外野から内野まで直球気味に返球できる。その上彼は女投げにも長けていて速かった。俺もそのプレーを模範として練習したが、上手くいかなかった。

 俺は試合が夏にあるのが気に食わなかった。と言うのが、その頃の俺は毎年夏になると瘡に悩まされていたのだ。そこにボールが当たると激痛が走る。


 あるとき、俺の親父が俺たちのソフトボートの指導をしていると、些細なことで川添と村上が喧嘩を始めた。すると親父は喧嘩を止めるどころか、「こいが男の喧嘩ぞ。わぁがどんもやるならこげなふうに男らしく正々堂々とやらな」と称賛する。すぐ感化される俺が男の喧嘩というものの神髄を垣間見た気がしたのは、それほどこの御堂の3人のガキ大将に一目置いていたからだろうが、高がド田舎のガキのじゃれ合いを褒め過ぎだ。情けない。

 練習中、真夏のクソ暑さに日射病に掛かったこともある。あのときは苦しかった。風呂に入ろうにも頭を上げることができなかったほどだから。


 ポジション決めのとき、なぜだか俺は川添にキャッチャーにさせられた。何で俺がキャッチャーにと納得できなかったが、川添の命令は絶対だ。逆らうことはできない。はっきり言って俺はキャッチャーが苦手だ。バッターが強振すると眼を瞑ってしまう。これを克服するのに相当な練習を要した。

 やっと普通に捕球できるようになったのもつかの間、ボールを真面に顔面に食って元の木阿弥になってしまったこともある。

 8月20日のスポーツ少年団の試合当日、俺は眉と顎の二ヵ所に瘡を作っていた。順調に進んでいた試合後半、川添の投球がワンバウンドになってもろに顎の瘡に命中した。俺は苦悶してのた打ち回る。痛みは中々引かず、だいぶプレーに影響した。

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