BLOOD STAIN CHILD ~boys or girls~
家にミリアがやって来てからというもの、リョウはそれまで最短で始発までは周りを連れ回していたライブ後の打ち上げに参加することはぴたりと、なくなっていた。やはり小学生を夜遅くまで連れ回すのはどうしたってよろしくないとのことは、デスメタラーといえどもリョウにも確信されるところであったし、ライブを終えると眠たげな目を擦り始めるミリアを見ればみるみる帰巣本能が働き、問答無用でバイクを走らせるのが常であった。
誰よりも大酒を食らっていたバンドマンが、年の離れた妹のため、酒も飲まなければ即日帰宅というこの上なく健全な生活を開始したことに、メンバーやスタッフは当初瞠目し、冷やかしもしたものだが、でもそれも続くとどこか物寂しくもなってくる。
スタジオリハが終わったある夜(それもミリアを慮って七時には終わったのであるが)、そそくさとミリアを連れて帰ろうとするリョウに、シュンは不意に「おい、これからお前んちで呑もうぜ。」と宣った。
「は?」
「だから、ミリアは隣の部屋に寝かしといて、隣の部屋で酒持ち込んで呑むんだったら問題ねえだろ。」
ドラムの片付けに勤しんでいたアキも顔を上げて、「いいな、それ。」と言った。
ミリアは不思議そうにシュンの顔を見上げている。
「ああ、決して騒いだりはしねえよ。お前はうち帰ったらいい子で寝てればいいの。ただ、リョウの部屋で酒飲んで話するだけ。ダメか?」シュンは腰を屈めてミリアに笑いかける。
「ダメじゃない。」
「おお! じゃあ、決まりだな。」リョウが何も言い出さぬうちに話は勝手につけられ、シュンとアキは近くのコンビニで酒を買っていくから、先帰ってミリア風呂に入れて寝かしつけとけ、という手筈となったのである。
「シュンとアキが、これからおうちに来るの?」ヘルメットを被らせられながら、ミリアは満面の笑みを向ける。
「ったくよお、何だよな。勝手によお。こっちの都合はお構いなしかよ。お前明日学校なのになあ。」
「お酒呑むの?」
「お前いんのに、そんなに飲まねえよ。あいつらのことだ、買ってくるっつったってどうせ安い発泡酒とかだろ。」
「リョウ、酔っ払う?」
「そんな呑まねえって、お前明日学校なのに。」
ミリアはなんだか嬉しくてならない。いつもならばバンド練習が終われば、疲れ果て、すぐに夢の中に引き摺りこまれたものである。しかしこれからシュンもアキもが家に来るのだと思えば胸が高ぶり、家について、シャワーを浴びてベッドには潜ってはみたもののなかなか夢の中に入っていけないのである。
「お前は明日学校があんだから、もう寝ろよ。」
リョウの大きな掌で額を撫でられ、ミリアはじっと目を瞑る。でもやはり胸の太鼓がトコトコと鳴り響いていて、眠ることはできないのである。
やがてドアをノックする音がした。リョウが玄関を開けると、こそこそと声を潜めながらシュンとアキが入って来る。
「ミリアは寝たか。」
「ああ、寝た寝た。」
「さすが小学生っつうもんは早ぇんだな。もう寝ちまうっつうことは一日の半分ぐれえ寝てんのか。まるで猫だな。」
「猫でも何でもいいけどよお、ちゃんと寝ねえとチビのまんまだろ。」
ミリアは布団の中でぷっと噴き出しそうになる。リョウはミリアが夜遅くまでギターを弾いていたり、リョウにギターをせがんでいたりすると、脅し文句のように「チビのまんま」だぞと言うのだ。
男三人は足音を盗んでミリアのベッドの置いてあるリビングを抜けると、リョウの寝室へと入った。
「ほらほら、発泡酒じゃねえぞ。ちゃんと正真正銘、ビール。」シュンの意気揚々たる声が聞こえてくる。
「ほら、お前の好きなつまみもな。ホタテの紐とイカの燻製。」
「おお、マジか。幾らした? 払うわ。」
「いいよいいよ、んなもんは。」
「そうそう、久々にお前と呑みたくて勝手に乗り込んで来たんだからよお。」
ミリアはそんな声を聞きながら、リョウが今その顔に湛えているであろう笑顔を思い浮かべ、自ずと自分も笑顔になる。
「お前、最近マジで呑みにも行かなくなったしなあ。」
「そりゃそうだろ、どこに小学生連れ歩いて入れる居酒屋があんだよ。」
「まあ、そうだけどな。お前、ミリアが来てからマジで変わったよなあ。ライブ終わったら一人も帰さねえなんつって睨みまわして、大勢従えて始発まで呑んだくれんのがデフォだったじゃねえか。」
「ま、まあ。……若かりし頃はそういう時代もあんだよ。」
「今やパパだもんな、パパ。」
「パ、パパじゃねえよ! 兄貴だよ、兄貴!」
「でもやってることパパじゃねえか。……お前やべえぞ、ミリアが大きくなったら、いけすかねえ男連れて来て、『お嬢さんと結婚させて下さい』とかっつって頭下げられんだぞ、そしたらどうすんだよ。」
予想だにしない想像に、ミリアは闇の中で目をぱちくりと瞬かせた。
「し、しねえよ。兄貴だもん……。」
「否、するだろ。」アキまで参戦する。「兄貴でも保護者代わりじゃねえかよ。」
「……。」
「ミリア、男だったらなあ良かったのになあ。」シュンはしみじみと言った。
「そしたらちっとでかくなりゃあ、バンに乗せて車中泊で普通に俺らと一緒にツアーも回れるし。女の子だと、それもちっと難しいだろ。」
「……ま、まあな。」
リョウの考え込むような声に、ミリアは眉根を寄せた。
「女の子だと後先色々面倒だよなあ。その内男ができたり、結婚の申し込みされたり。ほら、それ以前に……、」声を低くして、「生理になんじゃねえか。お前どうすんの。さすがに教えらんねえだろ。」と言った。
「あ、ああ。……それな。俺も実は考えててよお、近所にミリアと仲いい子がいて、その子のお母さんが色々面倒見てくれてんだよ。今も料理だのなんだのって教えてくれてっから、きっと頼めばそういうのも教えてくれっとは思うんだよな。まあ、あんま人任せはしちゃいけねえけど……。」
「そうなんか。でも、そればっかりはさすがに男には教えらんねえからなあ。」
ミリアは一体何のことであろうと、リョウたちが会話をしている部屋の方に体を移動させ耳を澄ませる。
「とにかく、女の子っつうモンは色々大変だよ。男にとっては未知の生物だ。それを育てるなんて、並大抵のことじゃねえ。」シュンはそう言って笑う。
「男の方が単純だから面倒は少ねえよな。」アキも同意する。
「たしかにな。」
ミリアは次第に悲しくなってきた。自分が女の子であると大変で面倒なのだ。男の子だったら良かったと皆そう思っているのだ。女の子でい続けたならば、その内に捨てられてしまうかもしれない。ミリアの鼓動が高鳴っていく。どうしよう、どうしよう。
--男の子になればいい。
ミリアはその素晴らしいアイディアにはっとなった。
そうだ、今日からミリアは男の子になろう。違う、ミリアじゃダメだ。みりと、みりた、……否、違う、みりすけだ!
ミリアは幸福そのものの顔で眠りについた。隣室ではその後も久方ぶりの飲み会が続いていた。
翌朝、リョウがどうにか目をこじ開けると、幾つもの空いたビール缶が目に入って来た。ああ、そうだ昨夜は遅くまでシュンとアキと呑んだのだっけ。それにしても久しぶりの二日酔いはかなり強烈である。長らく呑まなかったせいで、酒に弱くなったのかもしれない。リョウは再び目を閉じて、久方ぶりの頭痛に顔を歪めた。
「リョウ! おはよう!」扉を開けてぴょい、とミリアが布団のすぐ脇に飛び込んできてしゃがみ、リョウの顔を上から覗き込んだ。
「……ああ。」リョウは頭を抑えながらどうにか答えた。
「リョウいつまで寝てんのよう! 起きてよう!」
「あー、わーったわーった。」リョウは頭を振り、どうにか目をこじ開ける。するとミリアはいつものミニスカートではなくライブでしかほとんど履くことのない、ジーンズを穿いている。
「何、お前、今日学校にジーパン穿いてくのか……。」
「うん! そうなの! だって……。」ミリアはえへんと胸を張り「今日からおれはみりすけだ!」と言い放った。
リョウは再び顔を顰めて「ああ?」と呻く。
「男の子なんだ! 男の子はビール飲むんだ!」といつの間にやら手にはリョウのビールジョッキに泡立った茶色の液体が満々と注がれ、そこになぜだか割り箸が突っ込まれている。
咄嗟にリョウは立ち上がり、奪い取った。「何やってんだ、お前ぇは!」
「あーん! 帰してよ、ミリアのビール!」
リョウは問答無用で片手でミリアの頭を遠ざけると、二日酔いは迎え酒で隠滅してやると、えいと意を決してビールジョッキを傾けた。
「なあんだ、麦茶じゃねえか。」ミリアが頻りに割り箸でかき混ぜて泡を作っていたのはこういうことだったのか、とリョウは納得する。
「帰してよ!ミリアのビール! 男の子はビール呑むの!」
「馬鹿か、お前は! ビールっつうもんは男の子が呑むんじゃなくて、大人が呑むもんなの! だから十八になんねえと呑んじゃいけねえの! ……ん? あれ? 二十歳だっけか、否、十八かな。あれ?」
「帰してよう!」ミリアはついにビールジョッキを奪還する。
「……つうか、一体どうしたんだ、てめえは。なんでビールの真似なんかしやがんだよ。」
「ミリアは、じゃない。みりすけは、男の子だから。面倒臭くないもん。」ミリアは不貞腐れたように言って、ビールジョッキを大切そうにリビングに持っていくとそこでごくりごくりと喉を鳴らしながら飲んだ。
リョウも既に眠気なんぞは微塵もなくなり、台所に立ってコンロに火を点け、フライパンに油を落とす。
ちら、とリビングを見遣るとミリアはまだビールのつもりであるのか、麦茶をお代わりしている。その時にリョウはふと思い出した。昨夜、ミリアが女の子だと大変だと話をしたことを。もしかするとミリアはそれを聴き、傷付いたのかもしれない。リョウはみるみる顔を蒼褪めさせた。
ミリアはソファでわざとだらしなく横たわり、「みりすけだ!」と騒いでいる。
「お前さ……。」恐る恐るリョウはミリアに歩み寄った。
「何よう。」
「昨日、俺らの話、何か、聞いてた?」
「……たまたま、聞こえちまったんだもん。」
「え。」
「ミリアが男の子だったらよかったって! 女の子は大変で面倒なんだって!」
リョウは思わずへたり込む。二日酔いとはまた違った質の頭痛が襲ってきた。
「い、否、違うんだ。あれは、ただの酔っぱらいの言葉の綾っつうか、何つうか。」
ミリアは拗ねたようにリョウを睨む。
「その……、だから、男の子でも女の子でもミリアが……。」
「でも女の子はめんどーくさいって、言った。」
リョウは取り返しのつかぬ事態に唇を震わせた。パチパチと油の跳ねる音にぎくりと慌てて台所に飛び込み、リョウは焦燥感に襲われながら、ベーコンと卵を焼き始めた。
ミリアは相変わらず拗ねている。強がっている。リョウが出した朝食を、やけにもりもりと食べている。
ミリアは朝食をそっくり腹に納めると、「行ってくる。」と勇まし気な言葉を残して登校して行った。フリルのついたスカートとふっくりと袖の膨らんだTシャツがお気に入りで、お姫様みたいと言ってはしょっちゅう着ていたのに、今日はジーンズにバンドTシャツだ。
――あれはうかつな発言だった、とリョウは悔いた。
日中にレッスンを終えると、今日は特に出掛ける用もない。リョウはパソコンに向き合い作曲に勤しんでいると、夕方ミリアが帰って来た。
「ただいまー!」
男の子のふりを頑張っていたミリアは果たしてどうなったであろうかと、リョウは恐る恐る玄関を覗き込む。
「リョウ、ただいま! あのね、あのね、今日おっかしいの! だって美桜ちゃんがね……。」そう言い掛けて、今の自分には不似合いだということにはたと気付く。「みりすけは学校から帰って来たから、ビール呑むぞ!」
ミリアは止める間もなく、冷蔵庫を開けて麦茶をビールジョッキに注ぎ始める。満々と注ぎ切ると割り箸を取り出して、がっちゃがっちゃとかき混ぜて泡を作る。ああ、これがミリアの見ている男の子像なのだ、いわんや自分なのだ、そう思えば否応なしに気が滅入って来る。
「ふー。ビールは旨い!」
「ミリア……。」
ミリアは満足げに息を吐くと、ちらとリョウを楽しげに見た。
「その、……あの、……昨日は済まなかった。お前を面倒なんて一度も思ったことはねえんだ。これは本当。本当の本当。」
ミリアは寂しげに唇をつんと突き出す。
「その、……つまりな、俺は女が好きだ。」とんでもない言葉になったことに言ってから気づき、「ああ、違う違う! 女の子が好きだ。え。」更にもっと危険な発言になっていることに気づきリョウは一人慌て出し、両手を激しく振った。「ち、違ぇ違ぇ! 俺は、ミリアがな、ミリアが好きなんだ。そのまんまのミリアが。」
ミリアは目を瞬かせる。
「あのな」そう言ってリョウはミリアに駆け寄り両肩をしっかと握る。「わざわざ男の子の真似なんてするこたねえんだ。どうせ、それ、……間違ってるし。」
「まちがってる?」
「否、そんなことはどうでもいい。ただ、ビールを飲むのは男だから呑むっつうんじゃなくって、大人だから呑むっつうことだ、な。」
「そう、なの……。」ミリアは女性の大人を知らない。てっきり男の大人ばかりがビールを呑むものだと思っていた。
「まあ、そうだな。でも、あんま体には良かねえから、気を付けて呑めよな……。」否、違う。そんなことを言いたいのではない。
「みりすけはギターの練習をするぞ!」ミリアは麦茶を飲み干すと、リョウの手をするりと抜けて壁に提げられたFlying Vを持ち出し、ソファにどっかと座り、弾き始める。
その姿を見詰めながらリョウはこれからどうしたものかと、重苦しい溜息を吐いた。
「お前らのせいだかんな。」リョウの苛立ちは、性にも合わぬ責任転嫁をする程に燻っていた。
「あっははは! みりすけ! 命名のセンスがやべえ!」レッスンを終えたばかりのリョウの元へ、スタジオに新曲の音源を取りに来たシュンは、そう言って膝を叩いて笑い転げた。
「笑いごとじゃねえだろ! これからもずっと男の子のふりし続けたら、お前どうすんだよ!」
「おんもしれえ! 何ならバンドネームも変えてやんねえとなあ。ローマ字でMIRISUKE。ううむ、何かとんでもねえ野郎が出て来そうな雰囲気あるぞ。ますますヤベえじゃねえか。」
「お前、無責任なこと言ってんじゃねえよ!」
「無責任も何も、だいたいそんな深刻ぶることかよ。」
「あのなあ、変な名前だけの問題じゃねえんだよ。あいつが、女の子だから俺らから嫌われちまうって思ってるのが問題なんだよ。」
「ほお……。」
「ミリアに誤解だって言おうとしてうっかりな! 俺は『女が好き』だとか、『女の子が好き』だとか口にしてしちまって、地雷踏んじまうし。どうすりゃいいんだよ、ったくよおおお!」
「何お前、小学生相手に女好きアピールしてんだよ。変態かよ。」
「だから、他に言いようがなくて間違えたんだって!」
「とんでもねえ兄貴だなあ。」
「……だよなあ。」リョウはがっくりと肩を落とした。
「まあ、大丈夫だろ。お前がミリアを愛しているぞっつうことをアピールしてやれば。その内男の子の真似なんぞ忘れるよ。」
「だといいんだけどなあ。」
「なあに、大丈夫大丈夫。その内ほっときゃ沈静化するよ。ガキなんてそんなもんそんなもん。」
シュンは元来の無根拠な前向きさで、一応はリョウの憂慮を取り払った。
帰宅をすると、ミリアはリビングの真ん中で、相変わらずジーパン姿で何やら武道らしき構えを取っている。足を広げ、拳を前に突き出し、「ほおおお。」などと真剣な顔して言っている。
リョウは愕然とした。「な、何やってんだ。」
「ミリア、……じゃなくってみりすけは強くなるんだ。」
「強く?」
「ユウスケ君空手やってんの。そんで空手教えて貰ったの。」
「そ、そうなのか。」
「ほおおお。」そう言ってまた何か妙なポーズを始める。
「お前、空手に興味なんかあったんか。」まるで初耳なのである。
「うん、そう。だって強い男は女を守れないとダメなんだ。」
リョウは息を呑んだ。
「はあああ?」
「ユウスケ君言ってたもん。ユウスケ君は『すけ』って付いてるし、背も高いし、ケンカ一番強いってみんな言ってるし、ミリア、……じゃないみりすけもユウスケ君と一緒に駅前の空手道場行こうかな。」
「マジか!」
リョウは奥歯を噛み締める。何が放っておけば沈静化する、だ。悪化しているじゃないか。空手道場なんて昨日までは一言も言っていなかったのだ。一体この妙な構えをどうしてくれるのだ。リョウの胸中にはシュンに対する憤怒が燃え盛り始めた。
その翌日のことである。レッスンを終えたリョウは、今日もまたミリアの男の子熱が悪化しているのではないかと、過度な焦燥感を以て帰途に着いた。
「た、だいま。」恐る恐る呟くと同時に、玄関に可愛らしい靴が二足、並べて置いてあるのが目に入った。
「おかえりなさーい!」二人の揃った声がする。ミリアとその一番の友人である美桜である。
リョウは安堵しながら、リビングに入った。
「美桜ちゃん、遊び来てたんか。」
「お邪魔してます。」
二人してテーブルに向き合いながら書いているのは、人形の絵である。
「おお、お絵描きしてたんか。上手じゃねえか。こりゃ、人形か?」
「お兄ちゃん、今度くりすますにミリアちゃんと一緒にうちでジンジャークッキー作りたいんですけど、いいですか?」美桜が相変わらずはきはきと尋ねる。
「ジンジャークッキー? 随分御大層なモン作るんじゃあねえか。まあ、ミリアが邪魔になんなけりゃ、俺は全然……。」
「やったあ!」二人はぱちんと手を合わせる。
「ママがミリアちゃんのお兄ちゃんにいいよって言って貰ったら、一緒にクッキー作ろうって言ってたんです。くりすますのクッキーはね、ただ焼くだけじゃなくって、お絵描きするんです。」
「ほお。今時はクッキーにもお絵描きできるんか。大したもんだな。」
「アイシングクッキーって言うの!」ミリアが習いたての言葉を叫ぶ。「その下書きをね、今してたの。可愛い顔にして、食べられないぐらいに美味しくするの!」
食べられないのに美味しいのか、それってどういうものなのか。リョウは頭を捻りつつも面白く二人の絵を見詰めた。
「ママがねえ、やっぱり女の子が二人もいると華やかでいいわねって言って、ミリアちゃん来てくれるの、とっても嬉しがるんです。」美桜は堪え切れないといった笑みを浮かべつつ言った。
「……女の子。」リョウはぼそりと呟く。
「そう! 女の子とお菓子作りするの、ママ大好きって言ってます。」
ミリアはどこか照れたような、恥ずかしいような顔をして肩を窄めてみせた。
美桜が帰宅すると、リョウは夕飯を作り始める。今夜はサーモンの包み焼きである。きのこと玉ねぎ、ピーマンにチーズをサーモンの上に乗せ、そのままオーブンにぶち込む。その間に、リョウは手早くミリアの好きなコンソメスープを拵える。
その隣には、ミリアが猫柄のエプロンを付けてなにやらもじもじしながら立っている。
「何シングクッキーつったか? 楽しみだな。」
「うん……。」
「あれか。クリスマスツリーとかにくっ付いてる、人形の形したクッキーのことだよな、多分。」
「うん。」
ミリアは恥ずかし気に身を捩っている。
「美桜ちゃんのお母さん、いっつもお前に優しくしてくれて、良かったな。」
「うん。」
鍋の中で湯が沸騰し始める。リョウはそこにスープの材料を次々に入れていく。
「そうだ。卵入れてやろうか。いつも二つだけど、今日は特別だ。三つ入れてやろう。」卵はミリアの好物である。
「……ねえ、リョウ。」意を決してミリアが発した。「あの、……リョウは、リョウは、……ミリアが男の子だと良かった?」小さく震えるミリアの声にリョウの胸中は震撼した。
「そ、そんなことは断じてねえ。誓ってもいい。」女が好きだとか、女の子が好きだとか、そういう危険な発言をせずにどうにかミリアを納得させられないか、リョウは頭を捻る。「ミリア自体がな、もうその時点で俺は可愛いんだ。痩せっぽっちだったミリアが、俺の飯旨い旨いって食ってくれて、だんだん肉もついてきて。あんま言葉出なかったミリアが、しょっちゅうああだこうだ喋って笑うようにもなって、そういう変化が、何つうか、巧くは言えねえんだが、全部全部可愛いんだよ。」
ミリアは潤んだ目でリョウを見上げる。
「そんでギターも弾くようになって、何の因果か俺とおんなじ音出すようになって、長年付き合いあるシュンやアキよりも、俺の曲、しっかり理解してくれてさ、さすが俺の妹だなって。世界でたった一人の家族ってこういうモンなんだなって、マジでそう思うんだよ。」
突如ミリアはリョウの腰に強く腕を巻き付けた。腰に熱さがじんわりと伝わってくる。
「俺はずっとずっと家族っつうモンを知らずに生きてきたけどさ、ミリアと暮らし始めて家族っていいなって思うんだよ。マジで。」
ミリアは顔を腰に押し付けたまま、盛んに肯いた。
「そう。だから家族だから、男とか、女とか、あんま関係ねえよなあ。お前、俺が姉ちゃんだったら、嫌いか? 別に関係ねえだろ? 多分髪型は変わんねえしな。」あはははは、とリョウは笑う。
ミリアは抱きついたまま再び肯く。
「俺も一緒だ。何せ家族なんだからさ。」
ミリアはそっと顔を外し、赤い目でリョウを見上げた。
「かぞく?」
「そうだ。俺らは世界でたった二人きりの家族。世界広しと言えど他には誰もいねえ。な。だから、お前が何でもどんなでも、一番なの。一番大切なの。」
ミリアの胸中にはみるみる苦しいぐらいの幸福感が満ちていった。
「だからさ、もう男の子になんなくっていいだろ。美桜ちゃんと一緒にお菓子作りしてえだろ?」
「したい。」
リョウはミリアを抱き上げた。沸騰し始めたスープの火を一旦消す。
「じゃあ、そのまんまの女の子のミリアでいろよ。それが一番。」
「わかった。」ミリアはうっとりと微笑むとリョウの首に腕を回し、リョウの髪に自分の顔を埋めた。
クリスマスにはどんなジンジャークッキーを作って、リョウをびっくりさせようかな。真っ赤な髪のジンジャークッキーがいいな。リョウにそっくりなの。そうしたらフリルのスカートの女の子も作ろう。自分とそっくりの。そんなことを思いながら、ミリアはくすくすと笑った。