彼女は雪晃
文化祭当日。
「んー、何かヘタるんだよな」
そうボヤきながら鏡の前で格闘する。他の人から見ると変わってないと言われるんだけれど、トップや前髪は納得いくまでイジりたい。ここで一日の調子が決まるから。
「青春だね、頑張って」
そう急に声をかけられて髪をつまむ手がブレる。少し乱暴に振り返るとそこに立っていたのは兄だった。
この間からこの手の話題は2人とも避けてきたのだけれど、母から「あの時は大人げなかったって反省してたわよ」って聞かされていたから少し余裕を持って返事が出来た。
「ありがとう。兄貴もね」
そして足取り軽く陽の当たる外に向かう。
学校に向かう途中、ガサガサとポケットの中から昨日のノートの切れ端を引っ張り出した。頭の中だけで原稿を読み上げながら、詰まった時に切れ端を確認する。もうほとんど見なくても大丈夫なレベルなのだけれど、最後の詰めだ。彼女が見に来るか分からないけど、バッチリ決めたいから。
そのせいで途中で立ち止まったりと、少し怪しい行動になりながら納得のいくまで暗唱を繰り返して教室に向かう。
「ねぇねぇ、そっち持ってー!」「そこでいいよっ」「あれどこやった?」「ふぅーー!!盛り上がっていこー!!」
教室の中はクラス発表の準備で慌ただしそうだった。ガヤガヤと賑やかな教室の前に来て、自分は発表があるからと免除されたのを思い出す。クラスの発表会に参加出来ず申し訳ない気持ちと、少し悲しい気持ちの両方が入り交じりながらドアを開けた。
「おはよー。発表会参加出来なくてごめんね」
「おお、おはよー!こっちに来たんだな。謝んなよ!むしろ誇らしいぞ。抜けられたら見に行くから頑張れよ」
友人がそう声をかけてくれる。他のクラスメイトも頑張ってね!と言ってくれて少し緊張がほぐれた。軽く微笑んで「ありがとう」と返事をするんだけど、ぎこちないらしく、クスクスと笑い声が耳に届く。
朝から色んな意味で照れてしまったけど、気を取り直してクラスの催しの準備の手伝いに混ぜて貰えるように頼んだ。少し時間が空いて持て余してたから。
ほとんど後片付けだったけれど、細かなゴミを集めていると友人がふいに耳打ちしてくる。
「見つかるといいな。恋の相手」
「うん、そうだな。今日は見つけられる気がする。もう、あんまり時間もないしな」
否定しなかったのが意外だったのか、少し驚いた様子で「応援してるから頑張れよ」って肩をポンっと叩いて他のグループの手伝いに戻って行く。
走っていく背中を見て、ありがとう。と呟いて、そろそろ集合時間に近づいている事に気づいて教室を後にした。
これが終わればすぐ冬休み、そして卒業が待っている。だから今日が勝負。
会場に着くと、簡単なステージがつくられていた。よく見かける、段差と後ろに白いボードが置かれている簡易的な物。その前にパイプ椅子が10席×5列くらい置かれている。
意外に席の準備がされているんだなと感心して、集合場所のステージ裏に向かうと、男の子2人が立っていた。写真部の子達は、部活でも発表があるからそっちの手伝いをした後に合流する流れになっている。
目があった男の子達に頑張ろうな。と声をかけて、会場袖の位置から観客席を眺める。
クラスの準備が終わった生徒なのか、少しずつ人が集まってきていた。10人いるかいないかの人数を、端から端まで丁寧に確認するがあの子は見当たらなかった。
「さすがにまだ来てないな…」
出来るなら自分の発表の前には見つけておきたい。
自分がトリだから発表中に見つけても声をかけられるかもわからないし、何より気が回らなくなる気がした。
俺は会場袖で集中しているフリをしながら客席を眺める。何度か振り返ってみたけど、男の子達は緊張した面持ちで台本と向き合っていた。
さすがに人の事を気にする余裕はないみたい。
時間が近づくにつれて観客席は埋まっていく。1人、また1人、顔を確認していく。見たことある顔もあるが、探していた子は見つからない。
聞こえるのは心臓の音だけ。
ドクンドクンとだんだん速まっていく。
まだかな?もしかして発表会には来ないのかな?
早く見つけ…
「おーし、最後の打合せするぞー」
気合いの入った掛け声とは反対に、心臓は動きを緩め始める。
「持ち時間や発表の順番を確認しとくからこっちに来てくれ」
気持ちは焦っていたけれど、順調に確認作業は終わり1年生の男の子が壇上に向かっていく。
その頃には観客席は立ち見まで出ていて、見つかるか分かんないな…そう思いながらも集中して観客席を眺める。最前列にいるのは見慣れないので、男の子のクラスメイトが見に来ているのだろう。
この感じだと次のこの時も期待できないかもしれない、そう思っていると「ありがとうございました!」と発表を締めくくり、満足気な表情で1年生が壇上を降りて来た。そして、頑張ってください!とガッツポーズして、観客席に小走りで向かっていく。その先でクラスメイトから手洗い祝福を受けていた。
続く2年生は逆に緊張してきたらしく、もじもじしながら壇上に足を進める。
人の心配をしている暇はないのだけれど、あまりの様子に「リハーサルどおりやれば大丈夫だから」と後ろから声をかける。
声は届いたらしく頷いていたが、力強さはなく、大丈夫じゃないな…ってのが正直な印象だった。
その時、たどたどしい足音とは別にバタバタと走って誰かが近づいてきた。
「はぁ...はぁ...まにあったー!」
先に1人が飛び込んで来て、遅れながらもう一人駆け込んで来る。
「ま‥まにあったぁ‥」
息を切らしている2人にゆっくりと視線を向ける。
写真部の部長と付き添いの子のようで、かなり走ってきたのか俯き気味で呼吸を整えていた。
「大丈夫…?」
近くにいた部長に声をかけた。
「う…うん。なんとか…。とにかく間に合って良かった…」
「もうすぐ順番だから、呼吸整えなきゃね」
部長は返事をせずに軽く手を挙げて答える。
そして付き添いの子にも声をかけようと近づこうとした時、不意に心臓が高鳴った。
え‥?
俯き気味に肩で息をしている彼女は眼鏡をつけていない。そして、その顔には見覚えがあった。
まさか…。そんなことって…。
「ねぇ‥もしかして君って‥」
そう言いながら横に立ったその時、先生が駆け寄ってきた。
「おぉ!間に合ったか!よかったよかった!出番だぞ」
「ふぅ…。ほんと間に合わないかと思いましたよ…。大丈夫?いくよ」
そのまま部長と先生に急かされながら、付き添いの子も壇上に向かっていく。
俺はそのまま立ちつくし見送った。
ただ…やっと見つけた。
「あの娘だ‥」
髪の毛は短くなっていたが、走り去って行くときの横顔と後ろ姿をみて間違いないと思った。
心臓が更にきゅうっとなる。
甘酸っぱいような不思議な感覚が広がる。
そして身体中に血液が巡って熱くなる。
ただ、その感覚は長く続かなかった。
壇上に立つ部長の声が耳に入る。そう、彼女の発表が終われば次は自分の番だ。
声をかけるならすれ違う一瞬しかない。そう思うと、なんて声をかけたらいいのかそれしか考えられなくなった。
ありがとうだけ伝えたらいいのか、連絡先なんて聞く時間ないはずだ。それともクラスを聞けばいいのか、なんなら部室に行けば会える。ただ、変な噂が出ると彼女にも迷惑を掛けてしまう。
どうしようか考えていたその時、
ガサッ。
意味もなくポケットに突っ込んだ手にノートの切れ端がタッチしてくる。
これだ!
そう思って胸ポケットからペンを取り出した時、
「おーい!すごい集中してるな。準備はバッチリだと思うが、もう出番だぞ」
そう言い終わると、階段に2人の姿が見えた。
どうしてこうも決まらないんだ。心の中で叫んでみたけれど、状況は変わらない。
これでいいのか分からなかったけど、覚えているというアピールと感謝の気持ちを込めて一言伝えた。
「お疲れ様。今更だけど、あの時の絵の感想嬉しかった。ありがとう」
彼女は少し驚いた顔をしながら頷いている。すれ違いざまに見た表情は、初めて見た時とは違い驚きの中に少し笑みが含まれていた。そんな中、横では部長が呆れたように何か呟いている。
(まさか彼女だったなんて、全然気が付かなかった…。彼女は俺の事おぼえてたのかな?頷いてたけど、どうなんだろう)
こうなってしまっては壇上で何をしたか覚えていないけど、練習のおかげで何とか乗り切れたらしい。発表を終えて階段の下に集まっていたクラスメイトが「よかったよ」って声をかけてくれたから。
本当は今すぐに彼女を探したかったのだけれど、まるでサヨナラホームランを打った選手のように取り囲まれて動けなかった。
有難いのだけれど、内心は複雑な気持ちでいた。
そのまま教室に引っ張られて、クラスでやっていたカフェで打ち上げ。楽しかったし、嬉しかったけれど、コーヒーやケーキは味がしなかった。