芽吹き前
ずっと思っていた。
真っ赤に燃えるような、全身が熱くなって、抑えられなくなるような、そんな恋がしたいって。
「大賞おめでとう」
対面で革張りのソファーに深く腰かけている校長先生は、そう言って優しい笑顔を浮かべている。
「ありがとうございます」
そう言って頭を下げる。緊張からか、慣れない場面だったからか分からないけれど、あまりの勢いに目と鼻の先に机が来ていた。
「元気があっていいね。今年は過去1番の受賞者数な上に、大賞まで取るんだから校長先生は鼻が高いよ」
はっはっは。そう朗らかに笑う姿に口元を少し緩める。
それにしても、まさか俺の描いた絵が賞を貰えるなんて、たとえ高校生の部だとしても想像もしなかった。さらに全校生徒の前で表彰されるっていうおまけ付き。
絵を描くのは好きだけれど、勉強しているわけでも、美術部に所属しているわけでもなく、授業で描いた絵が受賞したのだから本当に人生何があるかわからない。これまでに表彰された事があったか記憶を辿ってみたけど、思い出せたのは小学校の皆勤賞なもんだ。
そんなふわふわとする思考の中で、体は手触りの良い革張りのソファーを何度も撫でていた。今でも夢なんじゃないかなと思うけど、ソファーの手触りと重く低い眠気を誘う音が夢ではないんだなと教えてくれる。
危うくあくびをしかけて、ハッとした。
「...タイトルの作品も君の横に並ぶ予定だし。生徒は学生証を持っていくと無料になるそうだから行ってみるといいよ」
相手の話は終わったようで、威厳たっぷりな顔でこちらをじっと見据えている。
「聞いているかね?」
「は、はい!その時は行きます!」
冷静を装ってみたものの最初の声は少し裏返ってしまった。何か言われるかとも思ったけど、そんな素振りはなくソファーに深く腰かけたままゆっくりと頷いているだけだった。
「本当におめでとう。展示会楽しみにしているよ」
「ありがとうございます。失礼します」
少しソファーの感触が名残惜しかったけど、立ち上がり一礼をして部屋を後にした。
「おぉ…。もう真っ暗じゃん」
窓の外は蛍光灯が光っており、部活動の生徒もちらほら帰り始めていた。誰かいるかもと探してみたけれど、顔がよく見えなかったので諦める。最初は真剣に聞いていたけど、途切れ途切れでしか会話の内容を覚えていないのも納得できた。
ただ、その中で唯一印象に残っていた校内展示の一言。その場でわざとらしく伸びをして、他の生徒とは反対の方向に足を向ける。折角だから少し見て帰りたい。
今は廊下にある絵がどんな風に飾られてるか、ウキウキともワクワクとも言える、まるでクリスマスプレゼントを開ける様な気持ちで足取りは軽やかだ。なんなら最初の数歩はスキップしてた。さすがに恥ずかしくてすぐに辞めたけど。
「あった!」
本当に小学生の様なリアクションになってしまい、慌てて周りを確認しホッと胸を撫で下ろす。
目的の廊下には受賞作品一覧と称して、絵から写真、それにグラフィックアートまで額縁に入れられて飾られていた。市のコンクールは美術作品の展示会なので、別に絵に限定されてる訳ではないのだ。
「最多受賞と言えども多すぎないか…?」
パッと見でも10点以上並んでいるのが不思議で思わず呟いた。ただ、よく見ると表彰作品以外にも学校表彰の作品が飾られていて区分けされていた。その中でも、俺の作品は大賞を取ったので装飾の細かい額縁に入れられてど真ん中に堂々と鎮座している。
「すっげ…。ちょっと恥ずかしいな…」
少し苦笑いを浮かべながらスマホを構える。
その絵は、心臓を中心に添えて、その周りを炎で囲っている。
炎のイメージは、揺らめいている一本の火を集めて束ねて折り重ね、それを何度も何度も繰り返して、今にも爆発しそうなほど濃縮された火。
作品のタイトルは【燃えるような恋】
心情を絵にしただけだから構図も工夫もないんだけど、炎に関しては自分の限界までこだわった。塗る色を混ぜ合わたり、何度も何度も色を重ねて描きこんだ。その結果、揺らめいている部分は儚く消えてしまいそうなのに、芯の部分は猛々しく、熱く、弾けて爆発しそうなほど強く見えるようになったと自負している。
あの時は取り憑かれたんじゃないか?なんて自分でも思うほど気持ちが高まってた。
今考えると初めての感情で、もうあんな風になることはないんだろうな、なんて思う。
目的も達成したし帰ろうと片手に握りしめいたスマホをポケットに戻し絵から目線を外すと、廊下に他の生徒が立っていた。
飛び出しそうになる言葉をグッと堪え、改めてその子に目線を移す。その娘は少し離れた場所から受賞作品を眺めている。その目線を追って見ると、先程まで見ていた大賞作品へと繋がった。
更にザワつき始めた心を必死に落ち着かせながら、改めて彼女の横顔に目線を戻すと、その真剣な表情に目が離せないほど惹き込まれた。
切れ長だけどパッチリした目、その視線は絵に注がれている。
肩まで伸びる艶のある黒髪は彼女の輪郭や耳を隠してしまう。
あまり情報は多くないけれど、その雰囲気は知的でクールなタイプなんだろうと思わせる。
自分の書いた絵がどういう評価を受けているのか、あの絵のどこが彼女を惹き付けるのか、自意識過剰だと思うが気になって仕方ない。
固まったまま彼女を見つめてどのくらい経ったか分からないけど、色々と恥ずかしくなって思わず口を開いた。
「ねぇ、どうかな?」
とっさに出た一言は、今までにないくらい裏返る。
「...え?あぁ、この絵を描いた...。炎がまるで写真みたいだなって思って、表彰されてるときは良く見えなかったから近くで見たくて。あ、写真みたいって失礼だったかな?悪気はなかったの、ごめんね」
驚いた表情を浮かべた彼女は、その表情とは裏腹に冷静な口調で話し終えるとじゃあね。と言い残し髪をなびかせて足早に去っていった。
正面を向いた彼女は、細くて白いけど内側に熱を隠してるような…この絵を見ていたからか青い炎をイメージさせた。
「じゃ、じゃあね。って、聞こえてないか。写真撮ってるの見られたよね…?」
彼女と別れるまでに顔が熱を帯びていたのは、外の空気が冷やしてくれるまで気が付かなかった。
次の日、登校中や昼休みにも今まで話したことない人や、後輩に声を掛けられた。
炎の色味が凄いとか、燃えているみたいとか、飛び出してきそうとか、展示会見に行きます、とか色々。
こんなに褒められることなんて無かったし、全校集会の力を改めて実感する。
でも声をかけてくれた人の中に、あの娘は居なかったし、写真みたいとかいう人も居なかった。
そして、彼女を思い出している事に気づき、これが恋の始まり?なんて頭の片隅に火種が生まれる。
その気持ちを確かめるためにも放課後にあの娘を探す事に決めた。昨日は一方的だったから、ありがとうってだけ伝えようと思って。淡い期待も少し入ってるけど。
帰りのホームルームが終わってすぐ、荷物もそのままに椅子から立ち上がり友人の机を両手で叩いた。
「なぁ、スラーっとしたクールビューティ!って感じの子知らない?なんとなく同学年だと思うんだけど」
友人はもう荷物を片手に帰ろうと立ち上がりかけていたが、机を叩く音で驚いたのかガタンッと音を立て元の体制に戻った。
「うおっ!?急になんだよ、ビックリするって。しかもそれだけじゃ情報が少なすぎるし、さすがに分かんないわ。その子がどうしたんだよ」
自分でも気が付かないくらい勢いがあったせいで、周りでは喧嘩が始まったのかと少しザワザワしていた。
「あ、ごめんごめん。やっぱ分かんないよな。いや、昨日の放課後に1人で俺の絵を眺めてる所に遭遇して、声をかけたら感想だけ言って逃げ帰っちゃったから、お礼が言いたいなって」
そう言って近くの空いていた席に腰をかける。
「おー!おー!なんだ、なんだ、一目惚れしたのか!?」
「馬鹿、そんなんじゃないって!!」
思わず立ち上がってしまった上に少し声が大きくなった。強めに反対したのは失敗したっと思ったが、もう遅かった。
「あー、そうだよなぁ!既に好きな人がいるんだもんなぁ?」
ニヤニヤした表情で冷やかしてくる。
その表情を見てまた大きな声を出しそうになったが、唇にギュッと力を入れて何とか耐えた。
あの絵のタイトルからクラスメイトの中で実は熱愛中?なんて噂になってるのだ。どちらかと言うとクールに見られようとしてきたので、余計に周りが盛り上がっている気がする。
チラッとまわりに目をやると、横の席にいた女子2人はこちらを見ながら誰なのかな?と興味津々で聞き耳を立ててるし、他にも視線があるのを感じた。
これ以上、余計な想像をされないように顔の前で手を振って答える。
「違うって。あれはいつかそういう恋が出来たらなって思ってるだけだよ」
「悪かったって、冗談だよ。まぁ、1人で絵を眺めてたなら美術部じゃないのか?表彰されたやつを見てみたいとかで」
友人も女子の反応に気がついたのか、普段の声のトーンで真面目にアドバイスをくれた。
「なるほどなー。ちょっと当たってみるわ。ありがとう」
じゃあな、と挨拶を交わして自分の席に戻るまでの間、今度は逆に聞き耳を立ててみた。
「美術部の知り合いはいないなぁ」
「私も。写真部の友達なら表彰されてる子いるけど」
「どっちにしても噂には関係なさそうだったね」
「ねぇ、ちょっと聞いてみてよ」
なんてヒソヒソと話してる声が聞こえた。
ここで噂は噂だと説明しても良かったけど、嫌な予感がしたので足早に鞄を拾って教室を出た。
「で、来たわいいけど、どうするんだ...」
美術室がある廊下まで来て立ちつくした。
絵が表彰されて、美術部を勧められることもあったから、このタイミングで覗きに行けばめんどくさい事になるのは間違いない。そもそも美術室に入って彼女と言葉を交わして帰るなんて立ち回りが上手く出来るとは思えなかった。知り合いがいる訳では無いから尚更。
んーっと腕を組みながら無駄に廊下をウロウロしながら考える。スタスタと足音だけが誰もいない廊下に響く。
うん。特に何も思いつかない。
それなりに音も響くので、美術部の人はソワソワしてるかもしれない。とりあえず解決策がないので、そのまま渡り廊下に出て、たまたま目に付いた野球部の練習を見下ろす。
「これ、ストーカーみたいだな」
なんて呟いて苦笑する。改めて想像してたけど、初対面だった自分を探して部活まで押しかけてくるなんてかなり気持ち悪い。好意を持ってなければ確実に引く自信がある。
最初こそ盛り上がっていたけど、時間が経って冷静になってきた。
しばらくは、あーだこーだと考えながら野球部を見ていたが、段々と日が暮れ始めた。
そもそも美術部なのかもわからないし、やはりここで遭遇する理由がない。
結局、教室を出てから1時間くらいは経ってしまい、棒のようになりかけていた足を動かし始める。
ただ、このまま帰るのはもったいない気がしたので、自分の絵が飾られてる前を通ってみる。最後の悪あがき。
「まぁ、居ないよな」
昨日よりも時間帯が少し早かったので、あまり期待はしていなかったが悪あがきは空振りに終わった。
何も見る気は無かったけど、クラスメイトが話していたからか写真部の展示が目に止まった。
伊豆と書かれたプレートがあって、赤や黄色、天狗の鼻みたいな花と、色々なサボテンが写されていた。
中でも、白くて雪のようにフワフワしてそうなのに、トゲがあって鮮やかな赤い花をつけたサボテンがいちばん綺麗で暫く眺めていた。
「サボテンって色々な種類があるんだなぁ。ていうか、伊豆って撮った場所の事だよな。写真って個別でタイトルとか付けたりしないのかな」
疑問に思ったが、案外そんなもんなんだろうと納得して下駄箱に向かう。途中で部活帰りと思う女の子達とすれ違ったけど彼女はいなかった。