第22章 二人目
単調だと思っていた地下シェルターの生活は、意外と充実していた。
三上さんが持ってきてくれた本を読んだり、メノとゲームで対戦したり、ジム施設で軽く運動したり、自家発電を手伝ったり、メノに隠れてサナとセックスしたりと、眠っている時間も多くなりつつも、それなりにやることはあった。
ただ一日一日は充実して幸せだったけど、満たされていたかといえばそうではない。
懸念するのは将来のことだ。
俺たちは、いつまでシェルターの中で生活しなければならないのか。グロウリアンを撲滅することはできるのか。人類は果たして元通りになるのか。たまに訪れる三上さんの報告を耳にしても、決して楽観視できるものでもなければ、進展があるようにも思えなかった。
シェルター内で暮らすのに慣れてしまった俺たちは、次第に大切な物を捨てていく。
グロウリアンに侵略されるかもしれない恐怖。
今後のことについての不安。
人間として生きていく上での向上心。
現状をありのまま受け入れてしまうことで、俺たちの心は余分な物を捨てていき、徐々に悪い方へと変化してしまう。限られたサイクルの中で充実していると勘違いした俺の脳は、次第に考えることをやめていった。
そうした生活が、何日続いただろうか。
時計はあるも、太陽の位置が分からない。
カレンダーはあるも、今日の日付が分からない。
時間感覚すら捨ててしまっていたので確かなことは言えないが、たぶん一ヶ月か二ヶ月くらいだったと思う。
最初の自爆スイッチが亡くなった時と同様、世界の終りは唐突に訪れた。
***
ある日、食堂に集まれと、全員が佐伯に呼び出された。こんなことはシェルターを訪れた時以来初めてだ。自由に過ごしていいと言っていたように、彼ら黒服は俺たちの生活にまったく干渉してくることはなかった。
なんだろうと三人で顔を合わせながらも、着替えて食堂へ向かう。
複数人の黒服に囲まれ、一組の外国人の男女がいた。
「男性の方はマイケルさん。女性の方はシェリルという名の自爆スイッチだ。少しの間だけ、このシェルターで寝泊まりすることになる。挨拶だけしておけ」
佐伯が説明する。俺は外国人二人をまじまじと見つめた。
外国人の年齢は分かりにくいから、あくまでも俺の主観だけど、マイケルさんは三十代から四十代前半といったところ。顔の彫りは深く、立派な口ひげを蓄えている。ガッチリとした体格で、俺よりも頭一個分背が高かった。瞳には疲労の色が溜まっているものの、俺たちに向けて柔和な笑みを見せていた。
メノと同じく自爆スイッチであるというシェリルさんは、見た目二十代前半だが、後で三十代半ばと聞いて驚いた。ウェーブのかかった金髪に、透き通るような白い肌。ピンと背筋を伸ばした佇まいは大人の女性の雰囲気が漂うものの、全体的に成長途中という未熟さが印象に残った。
しかし浮かべる表情は芳しいものではない。陰鬱に視線を落とし、俺らを見ようともしない。疲れているというよりは、どちらかといえば不機嫌さを抱いた、我が儘なお嬢様のようだと思った。
「ハ、ハロー……」
勇敢にも、メノが挨拶をして握手を求めた。英語はできないだろうし人見知りのくせに、よく頑張ったと思う。
ただシェリルさんは無視した。腕を組んで、そっぽを向いてしまう。代わりにマイケルさんがメノの手を握り、笑顔で答えた。
「コンニチハ」
無視されて凹みそうだったメノは、笑顔を取り戻した。
彼らが自己紹介を終えると、マイケルさんは俺に向かって言った。
「キミ オハナシ イイデスカ?」
「えっと……」
参ったな。英語なんて話せない。
「アイ ドント スピーク イングリッシュ」
理系大学卒業生の精一杯の英語だった。
「ダイジョウブ、デス。ニホンゴ スコシ ハナセマス。キケマス」
相手がこちらが英語を話せないと理解しているなら大丈夫だ、と思った。
内緒話のようで、マイケルさんはみんなと離れて話そうと提案する。
食堂の角へ寄ったところで、彼がいきなり切り出した。
「カツラは メノを スキ?」
ジェスチャーを交えて、マイケルさんが質問してくる。
俺は迷わず答えた。
「好きです」
「ライク? ラブ?」
友達として好きか、恋人として好きか。俺はそう判断した。
「ライク」
「メノは カツラを スキ?」
「?」
二種類の疑問。
どうしてそんなことを訊くのかと、直接メノに訊けばいいだろということ。
「アイ ドント ノウ」
分からない。分かるわけはない。メノが俺のことをどう想っているかなど。
答えると、マイケルさんは顎髭に触れて、ふぅむと唸ってしまった。
「サナエは カツラの フレンド?」
「えっと……ガールフレンド」
「OH!」
ガールフレンドという単語に恋人という意味が含まれているかは知らないけど、何とか通じはしたようだ。しかし何故マイケルさんは驚いているのだろう。
「ワカリマシタ。アリガトウゴザイマシタ」
笑顔で握手を交わし、マイケルさんはみんなの所へ戻っていった。
結局、彼は何を話したかったのだろうか?
あとで聞いた話によれば、俺とマイケルさんが話している間、メノとサナはシェリルさんとは一言も会話をしなかったらしい。どうやら気難しい女性のようだ。
しかしその判断は間違っていた。
具体的に言えば、シェリルさんの性格だ。彼女はなにも、俺たちのことを嫌っていたわけでも、人見知りでも、感情が荒れていたわけでもない。もっとも、気づいた時はもう確かめようがなかったのだが。
事件は、彼らがこのシェルターに住み始めて三日後に起きた。
***
特にすることもなく、いつものように二段ベッドで本を読んでいる時だった。
ドンッ! という大きな爆発音を聞き、飛び起きた。
「何だ!?」
同室しているサナとメノとも顔を合わせる。
最初、グロウリアンが侵攻してきたのだと思った。しかし奴らは巨体だ。この地下シェルターに入れるとは思えないし、街中で遭遇した時も、歩くだけで地響きが鳴るほどの重量があった。
今の爆発音は短く、一発のみ。足音ではない。
もしかしたらガス爆発のような事故かもしれないが、同じ場所に住んでいる以上、我関せずという態度は取れなかった。
「ちょっと見てくる」
万が一のことを考え、二人には部屋で待機させる。
通路に出ると、タイミング良くシェルターで休憩中だった三上さんが、奥の部屋から顔を覗かせていた。
「何か変な音せんかった?」
「爆発音ですよね? こっちです」
三上さんがどちらともいえない反応をしているということは、おそらく反対側だ。
彼女と一緒に、食堂やら調理場やらがある中心方向へと進む。すると反対側からは、慌てた様子の佐伯がやってきた。俺たちの顔を見るやいなや、すぐに問いただしてくる。
「何があった? お前たち、何かしたのか?」
「いや、知らない。俺はこっちの方から音が聞こえたけど……」
俺の部屋と佐伯がいた場所の中間地点。つまりここだ。
この部屋は、確か……。
「マイケルさんと自爆スイッチの部屋だ」
佐伯は乱暴に部屋の扉を叩いた。
「マイケルさん! いますか? 何かあったんですか!?」
呼びかけても反応はない。ノブを回すと、わずかに隙間ができる。鍵は掛かっていない。それに気づいた佐伯が、遠慮なく扉を開け放った。
その光景を、俺は様々な意味で信じることはできなかった。
頭から血を流し、麗しい金髪を朱色に染めて床に倒れるシェリルさん。
その傍らに佇み、拳銃を持ったまま呆然と彼女を見下ろすマイケルさん。
何が起こったのか。何故こうなったのか。
一瞬の観察では、俺に理解することなどできるはずがなかった。
誰もが呆然としてその光景を眺めていると、マイケルさんが動いた。俺たちに正面を向け、拳銃を手にしている腕が上がる。銃口は彼自身の顎だった。
「グッバイ」
引き金を引く。銃声。最初に出会った時と同じく、疲れた笑みを浮かべたマイケルさんの顔が吹っ飛んだ。飛び散った脳漿がベッドや壁を汚しながら、一瞬で事切れた彼は、シェリルさんの遺体の上へ倒れた。
三人は理解ができず動けない。
現実と映画が入り混じった感覚だ。数メートル前方で起こった光景が現実だと認識していても、あまりに唐突で異常で予想外の出来事が展開されたため、呆気に取られてスクリーンを見つめるだけ。自分が動かなければ次のシーンへ移行しないというのは分かっていても、未だにストーリーに追いつけず、現状把握に勤しんでいた。
やや時間が経って、もう二度とマイケルさんとシェリルさんが起き上がらないことを認識し、隣に立っていた佐伯が仲間を呼びに行こうとする。
その直後だった。
キイイイイイィィィィィアアアアァァァァァァ!!!
悲鳴だ。金切り声どころのレベルではない。鼓膜が破れそうなほど大気が震えているのに、脳に直接響いてくる。黒板に爪を立てて引っ掻いたあの音が、脳内で起こっているような感覚だった。
たまらず耳を塞ぐ。しかし意味はない。
怒り、苦しみ、憎しみ、悲しみ。あらゆる負の感情が溢れ出てくる。
悲鳴は約一分ほど続く。俺も限界に近く、失神してしまった方が楽なんじゃないかと思った頃に、ピタリと止まった。
「な、何だったんだよ、今の」
当然ながら俺たち三人の中の誰かではないし、その他の住人たちは悲鳴を上げる理由がない。そもそも今のは直接脳に響いてきたものだった。とても人間の悲鳴だとは思えなかった。
「おそらく地球の悲鳴や」
耳を押さえ、顔を顰めた三上さんが言った。
「地球の、悲鳴?」
「自爆スイッチが死んだわけやからな。これで全体の五分の二を失ったわけや。痛くないはずがない。地上にも何らかの影響が出ているに違いない」
「特に変わったようには見えませんけど……」
「ここは地下やからな。小さな変化は分かりづらい。もしかしたら地上では、植物なんかが全滅しとるかもしれんで」
それは困る。いくら指輪をしていたところで、酸素なしでは生きられないだろうから。
ふと隣を見ると、佐伯が誰かと連絡を取っていた。
「はい、えぇ、その通りです。分かりました。今から向かわせます。……全員、食堂に集まれとのお巫女様からの指示があった。地球の声を聴いたようだ」
「今の悲鳴なら俺も聞こえたけど」
「悲鳴だけではない。その後に、俺たちには聞こえない命令があったんだよ」
突き放したような言い方をしてから、佐伯はさっさと行ってしまった。
後ろから、三上さんが俺の肩を叩いた。
「指示に従おうや。早苗ちゃんとメノちゃんを呼んでくる」
「……えぇ、お願いします」
俺は今一度、部屋の中で血まみれで倒れる彼らを見下ろした。
彼らもまた、最初の自爆スイッチと同様に絶望してしまったのだろうか。この世界で生きていくことに、苦痛を覚えてしまったのか。
いや、考えるのは止めよう。答えは永遠に失われた。
何の感情も浮かばないまま、俺は静かに扉を閉めた。




