第21章 地下シェルター
アパートの駐車場にはヘリが着陸するスペースは無く、また日没してしまった以上、近くの公園へ移動することも危険と判断され、縄梯子で搭乗することになった。必需品はまったくない。思い出はすべて置いていく。現在、俺の最も大切な人の手だけを握り、命綱のような縄梯子を掴んだ。
俺や三上さんならともかく、サナやメノは、ホバリングするヘリから垂らされた縄梯子を上るのは苦労したようだ。黒服たちの手も借り、何とか全員、無事に乗り込むことができた。
「グロウリアンは空中に攻撃を仕掛けてきたりはしないか?」
「えぇ、どうやら大丈夫のようです」
佐伯とパイロットが言葉を交わす。意識の端で彼らの会話を聴きながら、俺は四年以上も住んでいた街を見下ろした。
眼下では美しい白銀の世界が広がっていた……とは言えない。夜に呑まれた町は、海のように深い暗闇が恐怖を具現化させているよう。何より不気味なのは、明かりという明かりが、自然に点灯した街頭以外に見当たらないこと。田畑が広がる田舎というわけでもないのに、誰もいなくなってしまったように息を潜める街並みが、俺は何よりも恐かった。
「メノちゃん、大丈夫?」
「……うん」
サナの膝に座るメノの顔色が悪いことは、暗くてもよく分かった。
「なぁ、佐伯。研究所まではどれくらいかかるんだ?」
「いや、研究所には行かない。お前たちには、我々が所持している地下シェルターで暮らしてもらうことになる。その先がどうなるかは、今のところ分からない。指示待ちだ」
「地下シェルター……」
一言で言われても、ピンとこなかった。
俺の頭の中には、映画程度の知識しかない。隕石や核で世界が汚染されても大丈夫な建築物くらいにしか。
「飛行時間は……どれくらいだ?」
「直行すれば一時間弱ですが、途中で燃料補給が必要です。なので長く見積もっても一時間半ほどで到着するでしょう」
「だそうだ」
一時間半、か。
今後のことを除けば、メノの体調が何よりも心配だった。
***
途中で、高層ビルらしき屋上に着陸した。到着ではなく、先の会話から燃料補給のためであることは理解できた。降りなくてもいいという佐伯の指示に従い、座ったまま窓の外を見下ろす。数人の黒服たちが、補給作業に勤しんでいた。
「あの人たちは?」
「研究所のエージェントだが?」
「いや、そうじゃなくて……」
「彼らはグロウリアン撲滅のために、自らを囮にして奴らと戦っている。グロウリアンの発見方法は、今のところそれしかないからな」
「自分を囮に……」
ネクサスですらグロウリアンの擬態を見破る方法を発見できていない以上、確かに一番有効な手段かと思える。けど、せっかく生き残っているというのに、世界のために命を掛けるなど……不憫な気がしてならなかった。
「前を向け」
脅しのような低い声で言われ、俺は慌てて前を向いた。
正面に座っている佐伯が、目を細めて睨んでいた。
「桂秀明。お前は今、地球のために自分も何かした方がいいんじゃないかと思わなかったか?」
「多少は」
「だったら生き延びろ。お前の戦いは、まずそこにある」
「…………」
なんだよ偉そうに。とは思ったものの、反論はできなかった。
補給作業が完了した合図を送る黒服の男を見下ろしながら、俺は佐伯に訊いた。
「ぶっちゃけ、今のところどれくらいの人数が生き残ってるんだ?」
「正確な数は知らん。日本人に関していえば、一万から二万といったところだろう。あぁそれと、そこの三上純は一般人で生き残っているのはお前らだけだと言っていたが、どうやらそれは早計だったらしい。各地で活動しているネクサスが、親しい人間だけに指輪を渡していた例もあるからな。生き残りを身近なシェルターへ避難させることも、我々の仕事だ」
意外と生き残っている。日本の人口が一万分の一になったとはいえ、まだまだ希望は潰えていないようだった。
***
ヘリが高度を下げる。約一時間半の夜間飛行は終わりのようだ。
窓の外を覗くと、白い建物が目に入った。高さは中学校や高校の校舎程度だが、屋上にヘリが着陸できる程度の幅はあった。薄暗くとも『工』のマークが見えた。
着陸する前に、周辺の環境も把握しておく。
明かりはほとんどなかった。白い建物の側に舗装された道路があるも、街頭すら見当たらない。もしかしたら民家の明かりが点いていないだけかもしれないが、風に揺れてなびかせる景色はほとんどが木……つまり森だった。月の光すらも呑み込むその様は、言葉通りの樹海そのものだと思った。
「ここはどこなんだ?」
「知りたきゃ計算しろ。ヘリの時速は約二百キロ。フライト時間は一時間強だ」
飛んでいた方向で、まったく変わるんだがな。
ただ雨雲の魔の手が届いていない地域のようで、空は晴れ間がのぞいていた。雪も積もっていない。故に吹き抜ける風が肌を撫でても、寒いかどうかは分からなかった。
「こっちだ」
佐伯の先導で、俺とサナとメノと三上さんは歩く。そのさらに後ろを部下の黒服たちがついてきた。
建物の非常階段を下り、ようやく土の地面を踏むことができた。
「ここが研究所なのか?」
「本部ではない。それに今はあまり使われていない。まぁ、本部に何かしらの問題が出た場合の、予備の物件だな」
予備という割には外装は綺麗だし、周囲の手入れもちゃんとされているようだった。
「そっちの研究所には、今は用はない。俺たちが目指すのは地下シェルターだ。ここから少しだけ歩く」
小学生の集団下校のように、列をなして歩く。ただ佐伯の足取りは、恐ろしく慎重だった。数歩進んでは周囲を見渡しの繰り返しだ。後ろの黒服たちも、背後をかなり警戒している。隠密性に優れたグロウリアンが敵であるため、慎重すぎるほどに越したことはないのだが、要人のように扱われているようで、あまり良い気はしなかった。
移動距離が短かったからか、それともここらにはグロウリアンが生息していないのか、何事もなく目的地へと到着した。
研究所の裏手に、小さな鳥居と祠がある。そのさらに裏に、雑草に隠れるようにして地下シェルターの入り口があった。
佐伯が蓋を開ける。地面にぽっかりと開いた穴は、マンホールのようだった。
「ここを下りるぞ。入り口は暗いから、気を付けるようにな」
梯子を伝って降りる。確かに明かりはない。慎重になれば足元を滑らせることはないが、着地地点が確認できない場所へ降り立つのは、こうも緊張するものなのかと、場違いなことを思ってしまった。
十メートルほど降りたところで、先行していた佐伯が隣に立っていた。残りの数十センチを飛び降りる。足元は木製のタイルのような感触があった。
梯子を降り立った場所は少しだけ開けていて、さらにそこから地下鉄の入り口のような下り階段が伸びている。そちらには明かりがあった。
「収容人数は、最大で百五十人。約五年は生きられるほどの食料は蓄えられている。とはいっても、地上が放射能などで汚染されているわけでもないから、食料の心配はしないでもいい」
階段を下りながら、佐伯が説明した。
五年。そんなに長く……いや、たった五年でグロウリアンとの戦争を終わらせることができるのだろうか。
階段を降りきると、三十メートルほどの通路になっていた。直径三メートルの管の中に、歩行するためのタイルを敷いたよう。天井は低いが、二人の人間がすれ違う程度には問題のない道幅があり、等間隔に並ぶ電球からは、一切の暗闇も許さないくらいの眩しい光を降り注がせていた。
突き当りの広い空間に出て、俺は嘆息した。
「わ、すごい」
後ろからサナが声を上げた。俺も同意見だ。
一言で言えば、オシャレな食堂だった。扇状の広い空間には、五十人くらいが一度に食事をできるくらいの椅子とテーブルがある。天井にはアーティスティックな照明。端っこには小さなバーまで。壁面や天井の色も含め、全体的に白色で人工的な印象を受けるも、適度に設置された観葉植物が機械的な圧迫感を拭い去っていた。
天井が低いことと窓がないことを除けば、ここが地下であるようには到底見えなかった。
「地下シェルターって言うから、もっとジメジメしてた所かと思ってた」
「お前はそんな場所で五年も暮らしたいか?」
俺の感想に、佐伯が皮肉気味に言った。
確かにそれもそうだった。
「竣工してから二年。人の出入りは多数あったものの、今まで誰も住んだことはない。幸いにも、日本は平和だったからな。だから新築同様だぞ。……む」
室内を見回していた佐伯が何かに気づいたようだ。
見れば、ソファで囲んでいる談話スペースに女性が座っていた。
彼女は俺たち一行に気づくと、軽く会釈をしてきた。
「お前は挨拶してこい。桂秀明」
「シェルターの管理人か何かか?」
「お巫女様だ」
お巫女様。地球の声を聴けるという重要人物。
忘れもしない、俺にメノを預けさせた張本人。確か、楠野とかいう名前だったはずだ。
別に世界の運命に巻き込まれたことに憤りを感じているわけではないが、佐伯の言う通り、訊きたいことは山ほどあった。
俺は列を離れ、お巫女様が座っているソファへと歩み寄った。
「はじめまして。地球の声を聴く巫女、楠野と申します。貴方が桂さんですね?」
「はい、どうも。桂です」
「どうぞ、お掛けになってください」
言われるがまま、俺は対面のソファへと座った。
特別扱いされている割には、楠野という女性はあまりにも普通だった。歳は六十から七十といったところだろう。服装も年相応で、派手さや奇抜さもなく、若者が着るようなファッションとはほど遠い。当たり障りのない、という言葉が全面に押し出された身なりだ。
しかし何より印象的なのは、穏やかに浮かべるその笑みだ。
正の感情も負の感情もすべて取っ払った、あることが当たり前の笑み。あらゆる物事を慈悲の心で許容する聖母のごとき優しさを内包している。一度だけ電話越しで会話して、俺が抱いた印象そのものの女性が、そこにいた。
「最初に、不可抗力だったこととはいえ、桂さんを巻き込んでしまったことを深くお詫びします。本当に申し訳ありませんでした」
「い、いえ……」
深々と頭を下げられ、俺はたじろいでしまう。
正直、地球の五分の一が滅んだことについては、楠野さんを初め、グラブの人間は関係ないと宇佐美から聞いていた。南アメリカの自爆スイッチは自殺したのだ。誰にも予想できなかったに違いない。
それに俺が今この場に立っているのは、俺の意志だ。逃げられる場面はいくらでもあった。きっかけとはいえ、楠野さんに謝られる筋合いはない。
「訊きたいことがあります」
頭を上げた楠野さんに、俺はすかさず質問をぶつけた。
なんでしょうと、朗らかな笑みを浮かべている彼女が応じる。
「どうしてメノを……自爆スイッチを研究所の施設から出したんですか? 宝物は宝箱に入れない方がいい、って言うブラフは分かります。けど結果論かもしれませんが、今まで通りメノを施設に入れたままグロウリアンと戦った方が安全だと、俺は思いました」
先ほど三上さんと少しだけ話したところによると、ネクサスにも帰りたい派がいるのは知っていたが、宇佐美のように積極的に人類に干渉する勢力……しかも普通に生活している人間を乗っ取って邪魔をする奴らがいることは、思ってもいなかったらしい。
結局はネクサスの裏切りで地球が危機に晒されているとはいえ、やはり完璧に護衛されている場所から移動させるのは、不自然に思えた。
「すべては地球の意思です」
楠野さんは真っ直ぐ俺の目を見つめて答えた。
「詳しい指示内容は極秘事項ですが、我々は地球の声に従い、地球上に存在する五人の自爆スイッチを施設から解放させました。もちろん一般市民に預けろという具体的な命令ではありませんでしたが、我々はそれが最善の策として実行しました。しかし結局は裏目に出て、最悪な結果になってしまいましたが……」
自爆スイッチが外の世界を知ってしまったための自殺、か。
もしかしたらその人は、再び施設に戻ることになるのが嫌で、逃げて逃げて逃げて、それでも研究所の人間に追いつかれてしまって、自殺を決意してしまったのかもしれない。
「では次です。何故俺に自爆スイッチを預けたんですか?」
「それは……貴方が偽物の自爆スイッチを押したから、という答えでよろしいですか?」
「いえ、もっと深いところです」
グロウリアンの侵略度が測れず、時間が無いと地球が焦ったという理由。
都合良く餌に引っかかったから、俺に自爆スイッチを託したという理由。
判断力の良し悪しは別として、どちらを取っても理解はできる。成り行きという運命がそうさせたんだと言われても、俺は無理やり納得せざるを得ない。
しかし佐伯や他の黒服たちは、俺は条件に見合っているといった。
条件。細かいことは忘れたが、地球が自爆スイッチの保管場所を、そんな詳細に指示してくるだろうか。
「どうして俺が適しているか、と判断された理由です」
「あぁ……」
ようやく理解してくれたようで、楠野さんは軽く嘆息した。
「理由は多々あります。まず最初に、家庭を持っているよりは一人暮らしであること。秘密を知る人間や説得させる人間は少ない方がいいですので。次に自立できる程度の生活力があること。自爆スイッチといっても、一人の少女を預かるわけですからね。また急に職を辞して変に勘ぐられる社会人よりも、無職や大学生が好ましいと思いました。最後に……」
言葉を切った楠野さんが、視線を逸らした。
その先には、佐伯と会話しているサナとメノがいた。
「貴方は流河メノの好みのタイプだと思ったからです」
「…………は? 俺がメノの……好みのタイプ?」
「事前にアンケートは取ってありました。歳は大学生辺りで、優しそうな顔立ちの人。背は百七十五前後、痩せ形、短めの髪。あくまでも大雑把なポイントでしたが、偽の自爆スイッチを押した人物の中では、貴方が一番近いと佐伯さんが判断したのでしょう」
「いえ、そうじゃなくて。メノの好みの男性に預けようと思った理由ですよ。メノだって女の子なんですから、女性に預けた方が幾分かよかったのではないんですか?」
「すみませんが、その理由については極秘事項です。言えません」
なんじゃそりゃ。
俺は彼女持ちだったし、二人で夜を明かしたのも一日だけだったので大丈夫だったが、あのまま長期間一緒に暮らしていたのならば、たぶん間違いが起きていたと思う。メノは無防備にもほどがあったし、幼さを差し引いても、とても可愛いし。
むしろ楠野さんとしては、間違いが起きてほしかった……のか?
「お疲れですか?」
「え、えぇ……」
顔に出ていたか。ヘリなんて乗ったのは初めてだったから、少し疲れてしまっていたみたいだ。あの揺れと間近で聞くプロペラの音は、何回か乗らないと慣れそうにはない。というか、もう二度と乗りたくはなかった。
「私も数日間はここのシェルターで生活をします。もし他に訊きたいことでもあれば、今日はお休みになって、またいつでもいらしてください」
「分かりました。ありがとうございました」
一礼して、俺は席を立った。
みんなの元に戻ると、佐伯から一枚の紙を渡された。
「シェルター内部の見取り図だ」
全体を見ると、シェルターは太陽のような形をしていた。
中心に大きな円があり、側面から細長い通路が複数伸びている。その通路はすべて居住区であり、中心の円を四つに区切った一つが、今俺たちがいる場所、食堂兼談話スペースのようだった。
残りの四分の三は、調理場と浴場と申し訳程度の体操場だ。さらに下の階もあるようだが、どうやら貯蔵庫のようで、お前らが行く必要はない。つまみ食いがしたければ、調理場の冷蔵庫から盗るようにと言われてしまった。
「完全にホテルだな、こりゃ」
「俺はさっきも言ったセリフをもう一度言う趣味はないぞ」
五年も暮らしたいか、って奴か。分かってるよ。
「他の住居者が居る部屋以外は、基本的にどこで何をしてようがお前らの勝手だ。ただ一つのルールと一つの罰則がある。許可なく外に出てはいけない。しばらくの間は太陽を拝めないと思え。そしてもう一つ、どんな理由があろうと、指輪を外してしまった奴は強制的に外へ放り出す。絶望が伝染するのが一番厄介だからな。これだけは誰が何と言おうと厳守してもらう」
佐伯が俺たちを見回す。太陽を拝めないのは少しだけ億劫だが、不満を言える立場でもないので頷いておいた。
「ウチはどうすればええ?」
「ここで暮らしたいというのなら構わないが、ネクサスにはできればグロウリアン撲滅のために手伝っていただきたい」
「オッケー。ちゅうことで、桂君に早苗ちゃんにメノちゃん。何か欲しい物があれば、漫画でもゲームでも食いもんでもええで、メモしときな。持ってきたるで」
「……ありがとうございます」
三上さんと別れ、俺たちは佐伯に案内されて居住区へ向かう。
壁の白さにしろ床に張られた木製のタイルにしろ、完全に真新しかった。
「桂秀明は自爆スイッチとこの二人部屋だ。君はこちらに一人部屋もある」
「……え? え? あ、えっと」
サナをもっと奥へ案内しようとしていた佐伯の足が止まった。
「私も一緒がいいんですけど……」
「なに? いいのか?」
「あー……俺たち一応、同棲してたから」
「お前たち、そういう仲だったのか? 聞いていないぞ」
眉を顰めた佐伯が、疑いの声で言った。
俺に彼女がいることが、そんなに意外かよ。とも思ったが、どうやら佐伯の反応からして深刻なことだったらしい。嫉妬しているようでも唖然としているようでもなく、ただただ俺が知らせていなかったことに憤っているようだった。
「自爆スイッチを預けるにあたって、お巫女様が提示してきた条件の一つに、独り身というのがあったからな。ま、今になってはどうでもいいことだ」
独り身? つまり本当の意味で、俺とメノの二人暮らしを望んでいたようだ。
「ならば四人部屋へ案内しよう。こっちだ」
四人部屋と言いつつも、特別広いわけではなかった。
四人掛けのテーブルと、簡易シャワーとトイレ。そして奥に壁にめり込むような二段ベッドが二つあるだけだ。人の歩けるスペースはほとんどない。だがまぁシェルターだし、とても清潔というだけでもありがたいことだ。
「……疲れた」
「うん、疲れたね」
久しぶりに口を開いたメノに、サナが同意した。
正直に言えば、俺も疲れている。体力的にというよりは、精神的に。
今日一日で、後輩二人の死と一人の変わり果てた姿を見てしまった。サナにいたっては、己の家族すらも。おそらく心身ともに限界に近いかもしれない。
その後、俺たちはどのベッドを使うかの相談以上に会話をすることもなく、みんなすぐに寝入ってしまった。
明日以降のことは明日考えよう。疲れた。




