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第20章 裏切者

 秒針が絶え間なく時を刻む音と、すすり泣く声が一つ。


 自分の部屋に戻った俺たちは、一言も話すことなく、ずっと身を寄せ合っていた。左側から嗚咽を漏らすサナの涙を拭い、右側から寄りかかってくるメノの頭を抱いた。


 電気も点けず、ほとんど真っ暗闇の中で、俺たちはただ時間が経つのを待つばかり。


 時間は分からない。けど、そろそろ六時になるはずだ。増援とやらがどういう形でやってくるのかは知らないが、もう少ししたら、俺たちはこの場所を離れなければならない。


 できれば、もうちょっとこのまま静かにしていたかった。


「ねぇ」


 突然、サナが口を開いた。

 嗚咽は止んでおらず、声が震えている。


「私たちも、指輪、取らない?」

「……おい」

「だって、もう辛いよ。こんな想いするくらいなら、いっそのこと楽になりたい」


 猪飼君みたいに。とは言わなかった。


 気持ちは分かる。仲間が悲惨な状態に陥ってしまうのを見るのは苦痛以外の何物でもないし、サナにとっては、俺やメノが同じようになってしまう不安もある。親しい人物の変わり果てた姿を目の当たりにするくらいなら、自分から堕ちた方が遥かに楽だ。


「私、思うんだ。変わっちゃったいろんな人を見て、普通に活動してる私たちの方が間違いなんじゃないかって」

「…………」


 その意見に賛成と言うよりは、俺は最初から理解していた。


 神でも英雄でもない俺は、みんなと同じく滅ぶべきだったんだ。生き残っている方が間違いだ。世界を救うなんておこがましいにもほどがある。大衆の中の一人として生きてきた俺たちは、やっぱり大衆と一緒の道を進まなければならない。


 気持ちがざわつく。心が揺らぐ。


 俺だけが死ぬのなら、理不尽だと嘆くだろう。けど違う。サナも一緒に来てくれるし、再び一般大衆に溶け込むだけだ。未練なんて何も無い。生き残っているこの状況こそが、間違っているのだから。


「取る……か……」


 指輪に手を掛ける。簡単に取れるし、変化は一瞬だ。苦しむ間もない。

 その時、ふとメノの顔が目に入った。

 大きな瞳を震わせ、肩の辺りからじっと俺を見つめていた。


「カツラ、サナエ、指輪、取っちゃうの?」

「いや……」


 そういえば、メノの意見を聞いていなかった。自分たちだけで出した結論に縋るなど、なんて情けない。少しだけ恥じた。


「メノはどうする? 俺たちがいなくなったら、また佐伯たちのお世話になるだろうけど」

「無理だよ」


 と言って、メノは首を横に振った。

『嫌だ』でも『できない』でもなく、『無理だ』と。

 頑なに否定するメノに疑問を抱いていると、彼女は俺の前へ両手を掲げた。


「お前……指輪は?」

「メノは自爆スイッチだから、指輪は必要ない。地球が滅んでも、変わらずに生きていける」


 指輪のはまっていない指を見せながら、メノは俯いた。

 絶望だ。自爆スイッチであるメノは、簡単に死すらも選べない。みんなと同じ場所へは行けない。どれほど悲惨な目に遭おうと、取り残されるのは自分一人。


 俺はサナの方を振り向いた。

 サナも俺を見つめていた。


 絶対にこの指輪は取れない。メノを一人ぼっちにさせたくない気持ちが、俺とサナの心で通じあっていた。一人の少女のために生き延びるのも悪くない、と。


 それからまた数分、無言と無音が続いた。

 トントン、と、いきなり部屋の扉がノックされた。


「ニート先輩、いますか?」

「宇佐美だ」


 立ち上がる。俺が退いたことで寂しそうな表情を浮かべた二人だったが、無視するわけにもいくまい。


「宇佐美も今一人だ。行ってやらないと」


 サナは頷き、メノを抱き寄せた。

 玄関を開ける。宇佐美が立っていた。

 何故か……気味の悪い笑みを浮かべて。


「ちょっとだけお話し、いいですか? ニート先輩」

「いいよ。入るか?」

「いえ、込み入った話なので、できれば二人きりがいいです。こちらに来てくれませんか?」

「?」


 込み入った話? この状況下で?


 疑問は塵芥のように降り注いだが、話を聴けば分かるだろう。俺は宇佐美に連れられ、アパートの裏……表からは完全に死角になる場所へと向かった。そういえばここでサナとキスをしてから、まだ一日しか経っていないのか。長い一日だったなと、ぼんやりと思った。


「それにしても寒いですね、ニート先輩。五月なのに、雪が降るなんて」

「別に指輪のおかげで、寒くも冷たくもないだろ?」

「気持ちですよ。雪ってのは冷たいもんだという固定観念がありますから、肌身は常温を保っていても、どうしても寒い感覚がします。そう思いませんか?」

「思うけど……」


 そんな無駄な話をするために、俺を呼び出したのか? いや、ただ本題に入る前の掴みか?

 宇佐美の本意が見抜けず、コイツの笑みが異様に気持ち悪かった。


「というわけで、寒いからさっさと本題に入りましょう。議題は、そろそろ邪魔者は退場する頃合いだ、です。椿ちゃんも死んでしまったし、猪飼君も脱落しましたしね」

「邪魔者? どういう意味だ?」

「こういう意味です」


 懐に手を入れた宇佐美が、拳銃を取り出した。

 あまりに唐突な行為に、俺は反応できず、混乱して息を呑むだけだった。


「おい、それ……」

「おっと、声を上げないでくださいね。逃げるのもダメですよ。余計な動きをしたら、撃ちますから」


 本物? 偽物? どちらにせよ、どうして俺は後輩に銃を突きつけられている?

 脅迫以上に、現状把握が困難すぎて身動きが取れなかった。


「僕はネクサスです」


 完全に動きを止めた俺に、宇佐美は言った。

 ネクサス? ちょっと待て。三上さんは、後輩三人の前でネクサスなんて単語を使ったことなどないぞ。先ほど、佐伯が口にしたのが初めてだったはずだ。


「とある目的のため、この宇佐美真一の身体を借りて、地球を調査しにきました」

「目的? 身体を借りた? ……どういうことだ?」

「僕は本当に運が良い。身体を乗っ取ってから数ヶ月で、まさか自爆スイッチ本人と対面することができるなんてね。まぁ、まさかその隣に三上さんという同族がいるとは露程も思わず、少しヒヤヒヤしましたけどね」


 若干俺の質問を無視した答えが返ってきた。


 宇佐美がネクサスだった? しかも三上さんの存在を知らなかった? ネクサス同士、連絡を取り合ったりしなかったのだろうか。


「僕の目的は、地球を滅ぼすことです。グロウリアンという謎の宇宙人が地球の侵略を開始しましたので、それに便乗させていただきました」

「ちょっと待て。三上さんは人間の進化を観察することが目的だって言ってたぞ。いつかネクサスをも上回る技術力を持った時、それを盗むためだとか言って」

「いつかって、いつですか?」


 知るか。未来のことなんざ、分かるわけもない。


「大半のネクサスはそう思っていますし、基本方針もそれであってます。けど全員ではない。僕みたいに、不満を持つ者は少なからずいるんですよ」

「不満?」

「さらなる技術力を欲すること自体は理解できますし、僕もその考えには賛成です。けど、人間がネクサスの技術力を抜くのはいつですか? いつまで観察を続けなければならないんですか? 僕ら反対派は、すでに飽きてしまった連中の集まりです。こんな辺境にある惑星に訪れて、いつ達成できるか分からない目的のためにじっと待って、しかも帰ってはダメだと言われる。ニート先輩に、僕の気持ちが分かりますか?」

「…………」


 愚痴のように吐き捨てる宇佐美に対し、俺は何も言えなかった。


 地球に降り立って早五万年、とか三上さんは言ってたっけ。四億年くらい生きているネクサスにとっては一瞬くらいの短いものだと勝手に思っていたけど、時間感覚には個人差があるのかもしれない。


「僕はすかさずグロウリアンに情報を流しました。けどあのバカども、早まりやがった。何の考えもなしに一体だけで先輩たちを襲って、結局簡単に殺された。せっかく隠密性を保って優位に侵略できると思ってたのに、これじゃあ全部パーですよ」


 期待はしていなかったけど、本当に虫けら並みの知能しかなかった。と、宇佐美は毒づいた。


 大学帰りのあの日、何の前触れもなくグロウリアンが現れたのは、直前に宇佐美に話してしまっていたからなのか? 俺の口の軽さが、みんなを危険に晒させてしまったのか?


「じゃあ南米の自爆スイッチが死んだのも、お前らのせい……なのか?」

「え? いえいえ、違います。そういえばニート先輩、自爆スイッチの死因を三上さんにはぐらかされていましたね。知りたいですか?」


 頷くと同時に、俺は考える。

 寿命でもなければ、ネクサスでもない。グロウリアンだったら、三上さんは普通にそう言うはずだ。ということは、つまり――。


「自殺です」


 考えが至るとともに、宇佐美が言った。

 その声には、特に何の感情も籠ってはいなかった。


「自爆スイッチを避難させるという地球の声は、何も流河君だけではなかったみたいですよ。五人の自爆スイッチに同じ命令を下し、彼女たちは先輩みたいな一般人に預けられた。これは僕の想像ですけど、おそらく彼女は絶望したんでしょうね。グロウリアンには命を狙われるし、地球の命令ひとつで、また研究所の地下深くへと拘束される危険性がある。だから――楽になるために、自らの命を絶つことを選んだ」


 南米の自爆スイッチが、どういう状況下に置かれていたのかは知らない。


 けど彼女は絶望していて、自殺をしてしまった。気持ちだけは分かる。俺だって、つい数分前まで同じようなことをしようとしていたのだから。


「地球の目論見は、完全に裏目に出てしまったわけです。今さら自爆スイッチたちを研究所に閉じ込めたところで、もう遅い。一番の敗因は、地球が人間の心境などまったくもって考慮しなかったことでしょう。人間は自殺できる生き物ですし、自爆スイッチを五つとも人間にしたのは失敗でしたね。この状況なら、もう先は見えています。というわけで……邪魔者はさっさと退場しますよ」


 宇佐美が銃を構え直したため、俺の緊張は一気に高まった。


 奴がネクサスなら、あの銃からはおそらくレーザーが発射されるのだろう。逃げるのは困難だ。また銃を取り上げられる距離でもない。絶体絶命だった。


 しかし何を思ったのか、宇佐美は銃を己に向けた。腹に銃口を押し当て、引き金を引く。青いレーザーが、宇佐美の身体を真っ二つに引き裂いた。


 血しぶきが舞い、周囲の雪を赤色に溶かす。

 意思の無い下半身が、腸をはみ出しながら倒れた。

 うつ伏せで雪の中に埋もれた宇佐美が、顔を上げる。


 その顔は、嗤っていた。


「それじゃあ僕は、地球の行く末を上空から見守っていますよ」


 言いたいことだけを言い残し、事切れた宇佐美は顔を雪に埋めてしまった。

 俺は呆然としたまま、宇佐美の亡骸を見下ろした。


「桂君。こないな所でなにしてはんの?」


 背後から三上さんの声。しかし俺は振り返らなかった。

 宇佐美の上半身が、動いたような気がしたからだ。


「先……輩」


 苦しそうに呻きながら、宇佐美が顔を上げた。

 口から大量の血を吐き、トレードマークであるメガネを歪めて、真っ直ぐに俺を見上げてくる。


「先輩。僕を……殺してください」

「宇佐美?」


 先ほどまでの雰囲気と、まるで違った。

 憑き物が堕ちたように、宇佐美は本来の自分を取り戻したようだった。


「痛いん、です。さっきまで……エイリアンが身体を乗っ取っていたみたいで、簡単には……死ねそうに、ありません」

「乗っ取ってた?」

「数ヶ月前から、意識があるのに……動けない状態でした。先輩との会話で……知りました。エイリアンの生命力が残ってるみたいで、すぐには死ねないみたい、です。お願いします。殺して、ください。お願いします……」


 両手でもがき、這い寄ってこようとする。しかし掴み取るのは雪ばかりで、宇佐美は一ミリたりとも前進することはできなかった。


 俺は目を閉じ、決心する。


「分かった」


 宇佐美が手放した銃を拾い、俺は彼の頭に銃口を向けた。

 涙を流しながら、宇佐美は笑った。


「ありがとう……ございます」


 引き金を引く。青い光が、宇佐美の頭部を奪っていった。

 俺は銃をその場に投げ捨てた。


「三上さん。訊きたいことがあります」


 振り向かないまま、俺は背後にいる宇宙人へと声をかけた。


「なんや?」

「黒服たち三人のことなんですけど、今教えてもらってもいいですか?」


 肩越しに振り向き、睨むように三上さんに問い詰めた。

 彼女は訝しげに眉を寄せていた。


「ウチが何を言っても、今のキミは信じようとはせんと思うよ」

「別に構いませんよ。あの三人、三上さんは殺したんですか?」

「一度は殺した。後で元通りにするつもりで、頭だけ綺麗に切り取った。……いや違うな。頭だけに用があったもんで、切り取ったんや。三人もの大男。ウチだけじゃ運ばれんもんな」

「頭に用があった?」

「盗聴器が仕掛けてあった。おそらくさっきの宇佐美君か、彼の仲間のネクサスが入れたんやろな。気に入らんかったから、ウチは黒服たちの頭だけを運んで盗聴器を取り出した」

「でも、ちゃんと元通りにできたんですよね? さっきもきちんと生きていましたし」

「いんや、殺したよ」

「?」


 言葉の裏を読み取ることができなかった。

 殺してから生き返らせた。確かに殺していないとは言えない。しかし元通りなら、強情に殺したと言い張る理由もなくはないだろうか。


「桂君。キミはクオリアっていう言葉を知っとるか?」

「クオリア?」

「人類……いや、全生物の最大の難問や。高い技術を有している我々ネクサスでも、この問題だけは解決できん」

「そのクオリアってのは、何なんですか?」

「簡単に言えば、自分自身が体験している『感覚』のことや。外界から受信した情報を、脳がどう処理しているかは、本人以外には誰にも分からん。二人の人間が絶対に同じだと認識した色でも、もしかしたらお互いが眼にしている『感覚』は別物かもしれないんやで?」

「…………それが何か?」

「ウチは人間の首を切って、一度は殺した。そして再びくっつけて、生き返らせた。死ぬ前と死んだ後のそいつは、本当に同一人物か? もしかしたら同じ記憶を持った、同じ感覚を持った、同じ能力を持った、別の人間かもしれん。同一人物と保証ができない以上、ウチは殺していないとは絶対に言えへん」

「…………」


 難しい話だが、雰囲気だけ理解できた。


 三上さんは世界五分前仮説みたいな事を言っているのだろう。世界は五分前に始まった。生まれた時からの記憶を以て、俺もまた世界と一緒に五分前に創造された。証明できないから、否定できない。


「じゃあ次です。宇佐美は数ヶ月前にネクサスに身体を乗っ取られたと言っていました。三上さんはどうなんですか?」

「どうって?」

「三上純って人間を殺して、あんたはここに存在してるかって訊いてるんだよ!」


 思いのほか、厳しい口調になってしまった。俺もまた、友人を失って心が不安定になっているのかもしれない。


「その通り。ウチもまた、この身体を乗っ取ってここにいる。三上純を殺した」


 拳に力が入った。

 次の言葉が無ければ、本気で殴りかかっていたかもしれない。


「けどウチが乗っ取ったのは数ヶ月単位やない。二十数年前や。ウチが地球に来た時……妊娠しとった女性の腹へ侵入した」

「胎児……ですか?」

「そや。だから三上純として生まれてくるはずだった人間を殺して、ウチは生まれたことになる」


 それは……。


 どう反応すればいいか、どう判断すればいいのか、まったく見当がつかなかった。完全に俺が知識として得ている倫理観の外だ。生まれてくるはずだった赤子を押しのけて、自分を誕生させるなんて。


 複雑に絡み合った道徳観や倫理観は、俺の怒りを余すことなく霧散させていった。


「最後の質問です。今の二つの件以外に、三上さんは人を殺したことがありますか?」

「この身体で生まれてからって意味なら、無いなぁ。ウチも普通に暮らして、人間生活を堪能しとったもんな。人殺しなんてしたら、刑務所行きや」

「そう……ですか」


 信じよう。実は大量に人類を殺していた過去があっても、信じることにしよう。

 もう、疲れた。


「お、どうやら増援とやらが来たみたいやで」


 耳を澄ませば、雪の降る音に混じって、機械的な轟音が響いてきた。

 見上げれば、一機のヘリが上空を旋回していた。


「キミがどう思うかは勝手や。生きるも死ぬのもな。……さ、行こまい」

「…………はい」


 悪いけど、宇佐美の遺体を埋葬してやる時間は無さそうだった。

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