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第1章 『絶対に押さないでください』

 バイト先のコンビニで、ゴミ袋をまとめている時だった。燃えるゴミとそうでない物をしっかりと分別するため、ある程度中身をまさぐっていると、紙類に混じって明らかにプラスチックな物体を発見したのだ。


「なんだこれ」


 オレンジ色をした、手の平に乗るほどの小さな物体。凸という漢字を三次元化したように、大きな円柱と小さな円柱が重なっている。ただ透明なプラスチックが蓋のように被さっているため、全体的にはただの円柱でしかないのだが。


 最初、何かの部品だと思った。あまりにシンプルなデザインのそれはしかし、よくよく観察してみると他の物体と接続できるようには見えず、それ単体で一個の道具として成り立っているようにも見える。


 ま、早い話が、初見ではそれが何なのか理解できなかったのだ。


「ん、メモ?」


 裏返してみると紙が貼ってあり、短く文が書かれてあった。


『これは地球の自爆スイッチです。絶対に押さないでください』


 あー、なるほどスイッチか。そう言われれば、そう見えてくるわ。

 で、何のスイッチだって?


「……地球の自爆スイッチ?」


 ギャグなのか冗談なのかジョークなのか。いずれにしろ、ほんの一瞬でも笑ってしまった自分を殴ってやりたい。だがデスノートを拾った(ライト)君もこんな心境だったのかと考えると、ちょっとばかし和んでしまった。


「桂くーん。配送来たから、こっち先に手伝ってぇ!」

「あ、はーい」


 店長の指示で、俺は慌ててゴミを片した。サボっていたわけではないが、なんとなく罪悪感を抱いてしまったのだ。スイッチを押し、地球が自爆する想像をしていたことに対して。


 まったく、クズ人間にもほどがあるよなぁ俺って。自分の人生がうまくいかないからって、地球を爆破させたいとか考えるなんてさ。


***


「で、お前はいつの間に忍び込んでたんだ?」


 帰宅後、テーブルに置いた自爆スイッチと対面しながら、俺は一人で呟いた。


 いやいやいや、ちゃんと分かってる。店長から声を掛けられた時に、無意識のうちにポケットに入れたのだろう。帰宅してから制服を洗おうとするまで気づかなかったのも驚きだが、このスイッチをゴミ袋ではなく、自分のポケットに入れた俺の心理状態にも驚きだった。

 俺はそんなに世界が滅んでほしいと願っているのか。


「まさかね。フフ……」


 気持ち悪い笑いが漏れたが、一人暮らしだから別にかまわない。腹の底から大声を出すくらいじゃないと、壁ドンとか来ないし。


「いや、そもそも地球に自爆スイッチなんてあるわけねーよ。仮にあったとしても、こんな小さなボタンとかあり得ねーよ。しかもプラスチックかよ。人工物じゃねーか」


 悲しきかな。一人暮らしが長いと、気づかないうちに独り言が多くなっていくものだ。外の音が届きにくい環境なら尚更である。


「何かの景品? それとも誰かが個人的に作ったものか? どっちにしろメモ書きの後付け感が半端ない」


 そこまで呟いて、あぁなるほどと自分の言葉に納得してしまった。


 当然ながらこのスイッチは地球の自爆用などではなく、別の用途があったのだろう。しかし何かの手違いか、もしくは意図的にか……いや、メモが貼ってあるから意図的だろうな。冗談半分でメモを貼って捨てた。こういうわけだ。


「にしても、何のスイッチだろうな。お……」


 いじっていると、透明なプラスチックのケースがあっけなく外れてしまった。やはり地球の自爆スイッチではなかったようだ。こんな簡単に押せるようでは、すでに地球は無くなっているだろう。


「でも、この言葉は書いてはいけなかったな」


『絶対に押さないでください』


 こんなもの、押すに決まっている。人間の本能に触れすぎだ。いや、むしろ製作者は押してほしいのだから、この言葉選びは正解か。くそっ、見知らぬ誰かにいいように操られているようで、無性に腹が立ってきたぞ。


「押さない選択肢は無いだろ、常考」


 いつの間にか人差し指をボタンの上に置いていた。『何が起こるか』を期待しているわけではなく、ただ押したい。どれだけの弾力があるのか、どれほど深くまで押し込めることができるのか。それはまるで子供の頃、降りもしないのに押したかったバスの降車ボタンのような衝動だ。


 しかもこれで本当に地球が自爆してくれれば、嬉しいことこの上ない。


 いくらクズ人間だろうが、みんな死んでしまえば同じことだ。俺のせいで世界が終わったと観測できる人間はいなくなる。どうせすでに終わっている俺の人生。別に惜しくはない。


 それならいっそ……。


「そんな深い覚悟はいりませんよ、っと」


 特に葛藤もないまま、俺はスイッチを押してしまった。


 手ごたえは抜群。中に仕込んであるバネ細工が、俺の人差し指を魅了する。ボタンは深々と、台座と水平になるくらいまでめり込んだ。ゆっくり力を抜くと、ボタンは指に触れたまま元の位置まで戻ろうとする。数秒後には、何事もなかったように、地球の自爆スイッチがそこにあった。


 そして世界もまた、特に変化はなかった。


「………………」


 室内を見回してみる。


 六畳一間の狭い空間だ。一人で生活するには、ちょっとばかりデッドスペースが存在する。大学入学と同時に一人暮らしを始めたから、このアパートに越してきてからもう四年かぁ、などと感慨に耽るヒマもあった。


 無言のまま立ち上がり、カーテンを開けて外を覗いてみた。隣の家の塀が邪魔だし暗くてよく見えないが、特に世間が消滅しているということもなさそうだ。まさか俺自信がすでに死んでしまったことに気づいていないのかもしれない、とか思い至ったものの、そこまで考えだしたらキリがないのでやめておいた。


「ふむ。でもこれはこれで……」


 しかしいくらなんでも、この感触は抜群すぎる。何度も何度も押したくなる中毒性が、その自爆スイッチにはあった。


「って、空しすぎる。ボタン厨かよ、俺は」


 そもそもボタン厨という言葉すら意味不明だった。

 ふと、壁の時計を見上げてみた。深夜一時だった。


「寝よ」


 とはいっても、明日のバイトは夕方からだ。時間はいくらでもある。


 特に疲れているわけでもない。とりあえずPCの電源をつけ、ハローワークの求人案内を眺めたり、エロサイトを巡ってオナニーをしてから風呂に入った。


 床に就いたのは二時。電気は消してるから、眠りに落ちた時刻は知らない。

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