第18章 変わり果てた家族
結果から言えば、グロウリアンに遭遇することなくサナの家へ到着することができた。運が良かったのもあるが、決して奇跡ではない。二度ほど街を歩いてみて、とあることに気づき、途中で三上さんと連絡を取ったことが功を奏したのだ。
道中、コンビニに入り、通信機を取り出した。
『なんや自分。なんか用かいな?』
イヤホンから聴こえた三上さんの声は、不機嫌さを隠そうともしていなかった。
「できれば、ちょっと教えてほしいことがあるんですけど」
『助けへんよ。今もキミらを見守っとるわけでもないし』
「情報を提供してくれるだけでもダメですか?」
『うーん、通話で言える程度のことならええよ』
よかった。突き放した態度でも、別に見捨てられたわけではなかったようだ。
「まず最初に、グロウリアンってとても頭が悪いんですよね?」
『悪い。どの程度かちゅうのはまだ判明しとらんけれども、知能は低いし臆病やし恐ろしく獰猛というわけでもない。けれど、人間からしたら十分脅威やで。デカい図体だけでも厄介なのに、八本の手足は触れただけで肉が引き裂かれるわ、唾液を含めた体液は一瞬にして肉を溶かすわ、普通の銃弾なんかも効かへんし、なにより不気味なのは、その数や。人類並みとはいかんでも、今もどこかでわんさか繁殖しとるかもしれんで』
「ってことは、擬態中の奴らはそれほど脅威ではないというということですよね?」
『……どういう意味や?』
「例えば人間に擬態したまま、生き残りを襲ってくるかどうかです」
『うーん、どうなんやろうな。今のところ、人間同士が争っている様子は上空からは見えへんからな。もしかしたらグロウリアンは、擬態を解かなきゃ人間を襲えんのかもしれん』
「街の様子は上空から見て、どうなっています? グロウリアンは破壊活動とかしてるんですか?」
『いんや、そない無意味なことはしとらへん。街はいたって静かやで。ウチらも次にいつどこで奴らが出現するかわからんもんだから、上空からでは手が出しにくいのが現状や。まだ十数体しか駆除できとらん』
「分かりました。ありがとうございます」
『もうええんか。ほな、気をつけてな』
通信が切れ、俺は確信した。一応、グロウリアンと遭遇しない方法がある。
しかし恐ろしく妙な違和感だった。コンビニの中で、こんな大声で通話しても店員に見咎められないなんてな。
「あの……お代、ここに置いておきますね」
「…………」
レジ前で、サナが商品をビニール袋へ入れていた。レジの中には店長らしき中年の男性。サナの声にも反応は示さず、ボーっと突っ立ったまま明後日の方向をじっと見つめていた。恰幅のいい男だが、顔にはやはり生気が無く、頬の肉が削げ落ちているようだった。
袋に商品を詰めたサナが、代金すらしまわない店員に向かって一礼する。
彼女の顔は、不安でいっぱいだった。
当然である。もしかしたら自分の両親も、同じような状態なのかもしれないのだから。
***
グロウリアンと遭遇しない最大の方法は、表通りを出歩かないことだ。
何体ものグロウリアンを見た限り、奴らの大きさは平均して幅四メートル高さ三メートルほど。当然、平均的な日本の住宅に入ることはできない。加えてグロウリアンは目に見えた破壊活動は行っていないと、三上さんも言っていた。つまり家屋の中に奴らはいない。もしかしたら擬態した奴らがいるかもしれないが、擬態を解くためには数十秒の時間を要することは、俺自身身、二度も身をもって体験していた。
その結論から、俺たちは人様の家の中を通り抜けて目的地を目指した。
鍵が掛かっていれば窓ガラスを割り、土足で家の中を歩いた。コンビニで律儀に代金を支払っていたサナにとっては、少々辛い思いをさせてしまったかもしれない。けど、俺たちが生きて目的地に到達するためには仕方がない。サナも自分の我がままでアパートを飛び出したからなのか、俺の提案に不服を申し立てることはなかった。
俺の方は罪悪感以上に、とてつもなく気持ちの悪い思いをしていた。
家に侵入すると、そのほとんどは住人が在宅していた。寝ていたり、映っていないテレビを眺めていたり、キッチンの椅子に座っていたりと様々だったが、反応はみな一様だった。
不法侵入の俺たちを、ただ一瞥するだけ。咎めることも、警察を呼ぼうとも、驚いたり悲鳴を上げたりもせず、ただ顔を向けるだけ。すべての住人が、とても人間らしい振る舞いをしない現状に、俺は吐き気すら覚えていた。
そんなこんなで、無事にサナの家へと到着した。
本来なら歩いて二十分程度の距離なのに、一時間近くかかってしまった。
サナの家は一軒家だ。隣の家から塀を乗り越え、身を屈めて玄関先に立つ
「できればもっと違う理由でお前の家に来たかった」
「私はそのつもりだったよ。ヒデの内定が決まったら、連れてくるつもりだった」
「お、おい……」
人様の家へ侵入する以上に罪悪感を覚えた。人類が絶滅しかかっている最悪の事態なのに、今さらながら、就職できなかった自分の情けなさに涙が出そうだった。
それはさておき、俺は初めて彼女の家に招かれた。
築三十年くらいの、典型的な日本家屋だ。玄関を開ければ正面に階段があり、右手のガラス戸の向こうはリビングのようだった。当然と言えば当然なのだが……とても静かだった。
「ただいま」
周囲の静けさに気を遣っているように、サナは小さな声で言った。
靴を脱ぎ、玄関を上がるサナの後ろに俺も続く。ガラス戸を開けると、その奥は台所になっており、サナの両親らしき人たちが向かい合って座っていた。
後ろにいても、サナが安堵の溜め息を漏らしたのが分かった。
「ただいま」
もう一度言うと、彼らがゆっくりと振り向いた。母親の唇が、「おかえり」と動いたのが分かった。
「ねぇ、修也はどこ?」
サナの問いは無視された。
上の空な視線を空中へ彷徨わせた後、再び食事へと戻ってしまった。
「修也って、弟?」
「うん。高校三年生で受験生。たぶん二階にいると思う」
そう言って、サナはすかさず階段を上っていく。
追いかける前に、俺はもう一度サナの両親を見た。やはり生気は無く、とてもじゃないが挨拶できる雰囲気ではなかった。
「修也!」
二階からサナの叫び声。俺は慌てて階段を駆け上る。扉は二つで、手前が開いていた。中を覗くと、ベッドの前でサナがへたり込んでいた。
「ビックリした。ただ寝てるだけみたい」
ビックリしたのはこっちだ。驚かせやがって。
ベッドの中で、サナの弟が寝息を立てて眠っていた。寝顔を見るだけでは、特別顔色が悪いようには思えない。いや、そもそもどうしてこの時間に寝ている? 一応祝日だったから学校はないんだろうが、昼寝か?
俺が無駄な詮索をしていると、ふと突然、弟の瞼が開いた。
俺とサナは驚いて、同時に身を引く。弟はゆっくりと立ち上がると、寝巻のまま勉強机へ向かった。俺たちの存在など、まるで見えていないといった感じで。
「修也?」
呼びかけると、参考書を取り出そうとしていた弟の手が止まった。その眼が、じっとサナを見つめる。
「姉ちゃん、なにしてるの?」
しかしそう言っただけで、それ以降は姉を完全に空気として扱っていた。年頃の男児なら、姉に勝手に部屋に入ってほしくはないだろうし、受験生なら邪険に思ったりもするだろうに、姉のことなど完全に眼中にないようだった。
「なに……書いてるの?」
俺の方が耐えられなくなり、サナを弟の部屋から引っ張り出す。その際に見てしまった。参考書とノートを机に並べた弟は、別に勉強などはしていなかった。ただシャーペンを持って、ミミズのような線を引くばかり。お粗末な落書きだった。
サナの腕を引っ張ったまま、一階へ降りた。
これ以上、ここにいたくはない。サナが壊れてしまう。
しかし彼女の抵抗する力は強かった。俺の手を振りほどき、リビングへ向かってしまう。
「ねぇ、お母さん。この前話した彼氏を連れてきたんだよ。会いたかったって言ってたじゃん」
しかし母親は反応しない。
「ねぇ、お父さん。実は私、この人と同棲してるんだよ。どこの馬の骨とも分からん輩にとか言って、怒ってよ」
しかし父親は反応しない。
「ねぇ、二人とも、何飲んでるの?」
近づいていくサナの後ろから、俺も見てしまった。
テーブルに置いてある皿から、彼らはスプーンを使って口へ運ぶ。だから最初、俺はスープか何かを飲んでいるのかと思った。けど違った。皿に入っているのは、ただの水だった。
「やめてよ!」
水の入った皿を、サナは薙ぎ払う。床に落ちたそれらは、音を立てて割れた。
「水なんてコップで十分でしょ! ちゃんとした物を食べてよ! ちゃんと……」
取り乱したサナを、後ろから抱き止めた。
すると彼女は、力なく崩れてしまった。膝を曲げ、ペタンと床に座り込む。
静かな室内に、サナの嗚咽だけが反響する。
彼女の両親は何もしなかった。割れてしまった皿を片付けることも、サナに声をかけることも、慰めることもなく、椅子に座ったまま、涙を流す自分の娘を、ただじっと見つめるだけだった。
そしてかけるべき言葉が思い浮かばない俺は、彼女を後ろから抱きしめることしかできなかった。
***
気がついたら、もうすぐ五時だった。そろそろサナの家を出なければ間に合わない。
自室で着替えている彼女に声をかけた。
「サナ。そろそろ戻るぞ。準備はいいか?」
「うん。でもちょっと待って。顔だけ洗いたい」
「一階で待ってるぞ」
階下へ降りる。薄暗いリビングには、誰もいなかった。
先ほど確認したところ、サナの両親は寝室で眠っていた。本当に欲という欲を失ったみたいだった。水くらいは飲んで、しっかり睡眠はとっているものの、この調子では二週間くらいでおそらく……。
最悪な想像をぶった切り、気分を変えるために俺は外を眺めた。
「ゆ、雪?」
驚いたことに、分厚い雨雲からは、雪が舞い降りていた。吹雪いてはいないものの、視界の半分くらいは綺麗な白色が覆い、地面や葉っぱに薄く雪化粧が施されている。雲行きから予想するに、まだまだ積りそうだった。
けど今は五月だぞ。ゴールデンウィーク真っ只中だぞ。富士山の山頂でもあるまい。
「他に何か持ってた方がいいものは……って、何してんの?」
「見てみろよ、雪が降ってるぞ」
二階から降りてきたサナに言うと、彼女も驚いたように窓の外を見上げた。
「ホントだ。全然寒くないのに……」
「温度計とかある?」
「うん」
台所の方へ確かめに行く。
寒暖計は氷点下一度を示していた。
「これも自爆スイッチが作動したための、環境の変化かもしれない」
自分で言ってみて、そう考えれば納得した。
サナの家族が眠ってしまったのも頷ける。冬眠のようなものだ。ただし人間は冬眠できる身体の構造はしていないし、気温低下が突然訪れたため、過食してエネルギーを溜めこんでいたりもしないだろう。それに冬の気候がいつ終わるかも分からない。こうやって、人類はゆっくり死んでいくのか……。
「私たちが寒さを感じないのは、指輪のおかげかもしれないね」
「……そうだな」
自分の想像が卑しく、特に何も考えずに肯定した。
おそらく、もう二度とサナはこの家に戻ってくることはないだろう。万が一地球が救われ、再び人類が活動できる環境になったとしても、彼女の家族は生き延びてはいまい。
悪い想像をしてしまった謝罪をするかのように、俺はサナの肩に手を置いた。
「サナ、行けるか?」
「うん、大丈夫。ヒデと一緒なら、どこまででも行ける」
嬉しくもあるし、悲しくもある。
表には出さないが、サナはもう、家族のことを諦めているようだった。
――と、その時。
Prrrrr。と、サナの携帯が鳴った。
「猪飼君からだ」
人類が滅びかけていても、携帯は繋がるんだな。
なんて悠長なことを考えてから、猪飼が電話をかけてきた理由に思い至った。まだ五時だけど、もしかしたら増援とやらが予定より早く到着したのかもしれない。今から来た家々を通って戻っても、最速で三十分はかかるだろう。間に合うか?
しかし猪飼の連絡は、俺の懸念とは別の用件だった。
通話していたサナが、突然携帯を落とした。
「椿ちゃんが……」
「?」
信じがたい話を聴き、サナは瞼を大きく見開いていた。心なしか、震えている。
と、彼女は急に駆け出した。咄嗟に手が出て、腕を掴めたのは偶然だ。
「おい、どうしたんだよ!」
「椿ちゃんが、椿ちゃんが……」
「――――ッ!?」
振り向いたサナの瞳には、溢れんばかりの涙が溜まっていた。
その反応ですべて悟った。椿ちゃんの身に、何かあった。おそらく、最悪な事態が。
「落ち着け! 頼む、落ち着いてくれ!」
叫ぶ。サナの力が弱くなったのを見計らって、一気に引き寄せた。
そのまま抱き寄せる。
「急いで戻ろう。でも道路に飛び出すのはダメだ。来た順路で帰らないと危険だ」
「うん……うん……分かった」
とは言いつつも、しばらくの間、サナは俺の胸の中で涙を拭っていた。




