第16章 疑惑
グロウリアンの死骸が道路を封鎖してしまったため、少し遠回りをして俺のアパートへ向かうこととなった。その間、ずっと外を眺めていたわけだが、すれ違う車もなければ出歩いている人もほぼ皆無だった。本当に人類が絶滅してしまったみたいに。
流れるように走る車の中、佐伯が横目で訊ねてくる。
「お前はネクサスについて、どの程度のことを知らされている?」
「どの程度……」
と言われても、パッと浮かぶほど多くのことを教えられたわけではない。
ひとまず、ネクサスの生態や目的、そして上空からのレーザーでグロウリアンを焼き殺せるくらいの高い技術力を持っていることなど、俺が見て聞いた範囲で答えた。
「そうか。ネクサスの目的は、地球上の生物……主に人間の進化を観察することだ。基本的には人間の行いや決定に横槍を入れて進歩の行く末を誘導することなどはないが、地球外生命体の襲撃となれば話は別だ。我々はネクサスと手を組み、グロウリアン撲滅のために尽力している」
「一つ、聞いておきたいことがある」
「なんだ?」
「どうして南アメリカの自爆スイッチが殺されたんだ? あんたらやネクサスが守っていたはずだろ。いくらなんでも唐突すぎやしないか?」
「それは……」
前を向いたまま、佐伯は口ごもってしまった。
車はバイパスを逸れ、住宅地の狭い道路へと入っていく。交通量がまったくなく、あまり距離も離れていなかったためか、アパートはもうすぐそこだ。
「自爆スイッチが殺されたことについては、注意を逸らされた、という他ない」
「注意を逸らされた?」
「グロウリアンが人間に擬態できることは知っているな? 我々人間はもちろん、ネクサスですらも擬態したグロウリアンを発見することは困難だ。特に上空から見下ろしているだけではな。奴らは人間を襲う時にしか、姿を現さない。とても慎重で臆病な性格のようだ」
それだけでは理由になっていない。運が良かったとはいえ、俺だって命からがら生き延びることができたんだ。グロウリアンを一撃で葬り去る兵器を最初から持っていれば、生存率はもっと上がるはずだろう。
「奴らの生態が解明されたのは、ほんの一昨日のことだ。お前を襲ったグロウリアンを解剖することによってな。世界中の研究者の注目が、一気に集められた。そこでようやく、ネクサスが持つレーザーが有効であることを知った」
「注意を逸らされたって、そういう意味か」
「まさかグロウリアンにそんな知恵があるとは思わなかったよ」
一体を生贄にすることで、人間やネクサスの興味をそちらの死骸へと集めさせた。そしてチャンスとばかりに、手薄になった日本の反対側に位置する自爆スイッチを襲った。つまりはそういうことなのだろう。
……違う。何かが違う。佐伯はまだ何か情報を隠しているのだろうが、話全体の流れが不気味なほどに噛み合わず、納得ができなかった。
そして俺の方も、大切な大前提を忘れているような……。
「とにかく、我々はネクサスと協力して残りの自爆スイッチを死守しなければならない」
当然だ。メノをあんな化け物に殺させるわけにはいかない。
小さな蟠りは、メノを守るという決意を陰にして霧散してしまった。それほど大したことではなかったのだろう。
「着いたぞ。……む、知らぬ顔が増えているな」
車を止め、佐伯が訝しげな声を上げた。
その意見には俺の方も同意だった。ただし内心は佐伯以上に驚いていたに違いない。
アパートの駐車場には、サナとメノと三上さん、俺がいない間に来たのだろう後輩三人組、そして見たことのある黒服の男三人が立っていたからだ。
***
「こんのドアホがッ!!」
車を降りてみんなの元へ駆け寄ると、三上さんに開口一番に殴られた。
殴られる理由は分かっているし、完全に俺が悪いので、甘んじて受け入れる。女性に脳天から拳骨をもらったのは、二十二年間生きてきて初めてだ。想像以上に痛く、軽く涙が出た。
「三上さん。あの三人……」
「あん? あぁ、言いたいことは分かるけど、後にしてくれへんか。今話すことやない」
三上さんの言い方からして、どうやら黒服の三人は、ワゴン車の中にあった遺体と別人ではないようだった。ということは、生き返ったのか? 首を切られて? それとも俺の判断が間違っていて、あの時まだ生きていたのか?
どのみち後だ。今大切なことは、他にある。
「なぁなぁ、桂氏。これはいったい、どういうことなん?」
寄ってきた猪飼が、不安そうに訊いてきた。
しかし憂いた顔をしているのは、なにも彼だけではない。誰もが青白い顔をし、表情には覇気がなかった。
「おう、みんな無事だったんだな」
「ニート先輩。無事だったってことは、僕らが無事じゃない可能性もあったんですか?」
宇佐美の指摘に口ごもってしまった。
先ほど複数体のグロウリアンに襲われたことを言うかどうか、迷ってしまう。危険を示唆したいのは山々だが、同時に余計な不安を煽ってしまうからだ。ただでさえ理解できない現状に困惑しているというのに、これ以上精神を衰弱させてしまうようなことは、あまりよくない。
「いや、サナが電話した時に猪飼が出なかったって言うからさ、もしかしたら何かあったんじゃないかと心配しただけだ」
「あぁ、十時ごろなら普通に寝てたお」
寝てたんかい。
「外に出ても人がまったくいないし、三上氏の言うとおりに桂氏のアパートに来たら変な人たちがいるし、マジでなんなん? 本当に地球は滅んだん?」
「それについてはウチが説明しよう」
佐伯と挨拶を交わしていた三上さんが、振り返って言った。
「自爆スイッチの正体。それは『毒』や」
「毒?」
「人間を筆頭とする哺乳類の生存本能、生殖機能を破壊させる毒。三大欲求でいえば、食欲と性欲を失った状態やな。生きるために食べなくなり、子孫を遺すために性行為をしなくなる。ただじっと、死を待つばかりの生きてる人形と成り下がるんや。我らネクサスの見立てでは、おそらく数年後に人類は絶滅する」
「数年後? 自爆にしては、意外と悠長ですね」
「四十六億年生きた地球にしたら、一瞬やで」
それもそうか。
でも、街の人々が消えた理由に納得がいった。おそらく消滅したのではなく、皆が皆、家の中に引き籠っているのだろう。生きるための欲求を失えば誰も働かないだろうし、誰も娯楽など求めなくなる。
ただ疑問なのは、毒が蔓延しているのに普通に活動している人がいるということだ。目的地があるように車を走らせている人もいれば、卒業研究のために大学へ足を運ぶ学生もいた。
「耐性が強い人間ってのは、少なからずいるんよ。弱い大半の人間は一年以内に死に絶えるやろうし、生き残っとる奴らも生気はあらへん。変わり果てた世間に気づかぬまま、細々と生きて死ぬだけや。何も変わらへん」
「け、けど三上氏。なんでそんなことが分かるん?」
「みんなは知らんと思うが、その昔、地球には自爆スイッチが七個あったんや」
「?」
求めていた答えが返って来ず、猪飼は首を傾げた。
おそらく彼は『どうして三上さんがそんなことを知ってるのか?』という意味で訊ねたのだろう。しかし三上さんは『自爆スイッチが毒だと判明した理由』を語ろうとしている。猪飼の疑問の答えは『三上さんが宇宙人だから』という簡単なものなのだが、それを説明すると複雑になりそうなので黙っておいた。
俺としても、早く話の先が知りたい。
「恐竜が絶滅した理由は未だもって不明とされてるけど、一番の有力説は隕石や。実際にはその通りであり、かつ別の要因やった。正確には、隕石で破壊された自爆スイッチによって恐竜が滅んだ、というのが正しい」
「それと自爆スイッチの毒と、どういう関係が?」
「よう考えてみ。地球に隕石が落ちた場合、その近辺に生息していた生物はまぁ全滅だわな。けどそれだってほんの一部や。当時、地球全土を支配しとった恐竜が一気に絶滅した理由にはならん。それこそ、地球上全体に毒でも蔓延せんとな」
三上さんの説明に、宇佐美が反論する。
「別に自爆スイッチではなくとも、隕石に付着していた即死性の物質である可能性も否定できなくはないですか? 隕石が衝突するほどの衝撃なら、地球全体を覆うこともあると思います」
「いんや、それやったら他の生物も死ぬやろ。人間の先祖である哺乳類も、その頃には存在してたんやで。もちろん隕石が原因で地球の気候が激変し、変温動物である恐竜が生きづらくなったという背景もあるがな」
生態系の頂点に位置していた恐竜を絶滅に追い込んだ毒。
その後、人間の先祖である哺乳類が進化できる気候の変化。
失った二つの自爆スイッチは、そういった効果があったんだろうと、俺は勝手に結論付けた。
「ま、恐竜がどう絶滅したかは今は関係ない。毒の効果は、今の世界を観察すれば分かることや。自分らも、見てきたんとちゃうか?」
後輩三人組はお互い視線を交わした後、全員が眼を伏せてしまった。
椿ちゃんにいたっては、早朝にサナが連絡を取った時と真逆の印象だ。おそらく、あれから激変してしまった世間を見てしまったのだろう。例えば家族とか。
「けどこれはチャンスや。自爆スイッチで人類全滅してたら取り返しがつかへんかったけど、みんなまだほとんどは生きとる。早期解決できれば、また元通りになるかもしれんで」
明るい口調で元気づけてくれはするものの、みんなの表情は一様に芳しくなかった。
解決という言葉が漠然としているし、なにより恐竜を引き合いに出したのが良くなかった。結局、最終的には絶滅し、他の生物が地球上を支配してしまったのだから。
「三上純。今後、ネクサス側はどういう対応を取るつもりだ?」
三人の黒服を背後に従えた佐伯が、三上さんに訊ねた。
「ウチらはグロウリアン撃退以外にでしゃばったりはせん。決定はすべてそちらに任せるし、特に命令に従ったりもせん。生きるも滅ぶも、人類しだいやからな」
「そうか」
ほんの数秒前まで俺たちに希望を持たそうとしていた人の発言だとは思えなかった。対応の違いに鳥肌が立つ。敵ではないんだろうが、三上さんの真意はまったく読み取ることができなかった。
「ウチとしては、そちらさんの判断を聞きたいんやけど」
「まず増援が到着したら、自爆スイッチを地下シェルターへ避難させる。グロウリアンを撹乱させる作戦が完全に裏目に出たからな。彼女の存在がバレている現時点で、こんな野ざらしもいいような場所に置いておくメリットがない」
そこまで聞いて、
「あっ……」
違和感を思い出した。
「どしたの桂君。変な声出して」
「あ、いえ……」
アホか俺は。報告するべきだろ。
でも、これは……。
口元を押さえ、俺はサナに寄りかかっているメノを盗み見た。
佐伯たちが俺にメノを預けた理由は、自爆スイッチの存在をグロウリアンから隠すためだ。木を隠すのなら森の中。宝物は宝箱に入れない方が安全だ。という理屈で。宇宙人に対して有効かどうかは別として、俺としてもその案に納得はできた。
ただその戦略には、ある大前提が必要だ。
すなわちグロウリアンが自爆スイッチの正体を知らないという前提が。
なのに――、
メノを預かった次の日、まるで研究所から出てくるのを待っていましたと言わんばかりに、グロウリアンが登場した。俺とメノの真正面、ピンポイントに。
たぶん……いや、ほぼ間違いなく、グロウリアン側に情報が漏れている。
そこまでは、最初に想像できたことだ。グロウリアンに襲われた、あの日に。
でも先ほど奴らの大軍を見て、確信したことがある。
奴らの知能はあまり高くない。とてもじゃないが、優れた諜報能力があるとは思えない。生きるために餌を求める、ただの怪物だ。自爆スイッチが人間であることすら、想像できる生物だとは考えられなかった。
つまり、だ。
情報は漏れているのではなく、漏らしている。
誰かが、意図的に。
……三上純。消去法で考えて、この人が最も怪しかった。
「そか。メノちゃんはシェルターへ連れて行くとして、この子らはどうするん?」
疑いをかけている相手の声が思考中の脳内に響き、俺はビクリと身体を震わせた。
「というか、こいつらは誰なんだ?」
「俺の……友達だ」
「そうか」
頷き、佐伯は値踏みをするような視線でみんなを睨む。
その眼は邪魔者を見るようでもあったし、有用性を探っているようでもあった。
「強制はしないが、保護しよう。生存者は多い方がいい。我々の組織でも情報伝達が遅れ、多くの研究員が自爆スイッチの毒とやらに犯されてしまったからな」
使い物にならないって、そういうことだったのか。
「じゃあ、現在地球上で毒に犯されていない人間って、どれくらいいるんだ?」
「南米はもちろん、北米も全滅だ。ネクサスが指輪を出し渋っていたため、もう少し遅れれば我々日本人も危なかった」
「そう言わんといてぇな。ウチの仲間も、指輪を渡すか静観するか迷っとったみたいやで。なんせ自爆スイッチの死因が……」
とまで言って、三上さんが慌てて口を塞いだ。
佐伯もそうだが、やはり何か隠し事をしている。しかもその隠し事は、三上さんと佐伯の共通項らしい。あからさまに噤むように言葉をぶった切ったというのに、佐伯は顔色一つ変えなかった。
「ほんで、その増援とやらはいつ来るん?」
「予定では午後六時ごろだ。それまで、俺たちはなんとしてでも自爆スイッチを守らねばならない」
佐伯の鋭い目つきがメノを捉えた。
それに気づいたメノが、慌ててサナエの背中に隠れた。
「よっしゃ。んじゃキミたち、午後六時までは自由時間や。どこで何してても構わんで」
振り向いた三上さんが言った。
まるで修学旅行の自由行動を促す先生みたいな気軽さで。
「佐伯はんも言っとったが、別に強制やないで。研究所のシェルターに避難したくない子は来んでもええけども、その後の身は自分で守ることやな。あと、午後六時までこのアパートの敷地内で待機してるんやったら、身の安全を保障しちゃる。けども……」
三上さんは声を低くしていった。
「どこかへ出かける場合は、助けたりはせんからな。自己責任でお願いするで」
念を押すのも、俺のせいだろう。俺が助かったのは、運が良かっただけだ。
話を終え、「なんか質問あるかー」という三上さんの声に、猪飼が挙手した。
「も、もしそのグロウリアン? ……っていうのに襲われたら、どうすればいいん? 逃げるしかないん?」
「いや、逆や。グロウリアンと対峙した場合、逃げないことが大切や」
「逃げないこと?」
「上空から街中を観察していて気づいたことがある。自爆スイッチが起動してグロウリアンの活動が活発になったのにもかかわらず、奴らは人々を襲う気配がない。通行人の前に姿を現しても、ちょっと観察してすぐに再び人間に皮を被ってしまうんや。どうせ死にゆく命と考えて無駄な殺戮をせんのか、生気の無い生物は殺せんのかは知らん。けどもそう考えると、生存機能を失った人間の真似をすれば、襲われんちゅうことや」
俺は先ほどあった、グロウリアンの奇行を思い出していた。
奴は俺の前に現れた後、約一分ほどじっくりと観察していたようだった。そして俺が逃げると、まるで追いつめるように仲間が現れた。もしあの時ずっと怯えて動かなければ、見逃してくれたのかもしれない。
「他には?」
俺はどうしても訊きたいことがあった。
グロウリアンと戦って、人類が絶滅しかけている世界を生き残って、本当に意味があるのかと。
しかしそんな漠然とした、誰もが心の底から抱いている疑問を、今ここで言うべきではない。現実はゲームや小説ではないんだ。ゴールはあっても、それがみんなが幸せになれる結末だとは限らない。
一同が黙り込んでいると、おずおずといった感じで椿ちゃんが手を上げた。
「あの、その、日本中で大丈夫なのは、本当に私たちだけなんですか?」
「せやな。ウチも詳細な人数は知らんけど、日本中……いや、もしかしたら世界中かもしれん。おそらく一般人で毒を逃れているのはキミらだけや。残りは北南米以外のグラブのメンバー、自爆スイッチ、グラブと強い繋がりのあったNASA職員。そして各国の首脳人物がそこそこやな。もしかしたらキミらみたいに、生き残っている人物と親しい一般人がいるかも分からんが」
「この件に関して、NASAは関係していないんですか?」
と、宇佐美が訊ねた。
「しとらん。そもそもグロウリアンの存在自体、奴らは信じとらんかったからな。一昨日にグロウリアンが現れて初めて、奴らは慌てだした。ま、結局遅かったわけやが」
今度は俺が問う。
「NASAはグロウリアンを信じなかった?」
「グラブは主に、地球の声を代弁できる巫女さんの信奉者が設立したんや。それまで異星人の痕跡すら発見されとらんのに、NASAが本腰を入れてグロウリアンの調査に乗り出すわけないやろ。……って、まあこんな話、どうでもええわ。椿ちゃんの質問、答えたる」
「あ、えっと……」
「椿ちゃんは、自分ら以外にもシェルターに避難させられないかって訊きたいんやろ? 答えはノーや。毒に犯された人間は使い物にならんし、グロウリアンにすら襲われん。それやったら、連れて行くだけ手間やからな」
「そ、そうですか……」
しゅんと項垂れ、椿ちゃんもまたサナの後ろに隠れてしまった。
家族や友人と、もう二度と会えなくなるかもしれない。そんな不安が、俺たちの周りに漂っていた。
「他に何もないんやったら、ここらで解散するで。アパートの二階は全部空けといたから、午後六時まで好きに使ってええ。もちろん、自己責任で家へ帰ることもな」
誰もが会話を交わさないまま、この場はこれでお開きとなった。




