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第9章 ネクサス

 結局、走っているうちにアパートから遠ざかっていたためか、家に帰る頃には東の空に夜を迎えていた。体力が尽きてへとへとなのも当然だが、それ以上に精神力を完全に使い果たしてしまった。いつまたあの化け物が目の前に現れるんじゃないかと、ビクビクしながら歩いてきたからだ。


 鍵を開けると、メノが一目散にベッドへダイブした。砂埃を払ってからにしろとは思ったが、注意する気力もなかった。


 電気をつけてから、俺も床にへたり込む。テーブルの上にリモコンがあったので、何気なくテレビを点けた。


『こっちです、こっち! 早く来て!』


 画面が映し出された途端、女性の慌てた声が聞こえた。しかし肝心の映像は揺れに揺れ、女性の足元しか映っていない。どうやらニュースの速報で、レポーターの女性が先導し、カメラマンが追いかけているようだった。右上のテロップには『謎の怪物が突如市街に出現か!?』とだけ書かれてあった。


 やがて映像が落ち着き、カメラが上に向く。先ほど俺を追っていたグロウリアンの死骸を背に、女性のレポーターがマイクを手にしていた。


『えー、先ほど緊急のニュースが入りました。住宅街で謎の怪物が暴れているという情報が入りまして、ご覧ください、私の後ろに見えますあの黒い昆虫のような物体です。周囲を取り囲んでいる機動隊の方々と比べても、非常に大きいことが分かります。これはトリックでもなんでもありません。あの怪物が動いていたという目撃情報が何件もあり、被害状況は……』


 嗅ぎつけるの早えーなぁ。と思いながら、俺はテレビの電源を切った。


 興奮して息を弾ませるリポーターの声は聴くに堪えなかったし、これ以上聴いていても目新しい情報が流れるとは思えなかったからだ。


 静まり返った部屋で、俺は床に倒れて天井を仰いだ。


 一つだけ、テレビは大切な役割を果たしてくれた。

 たった今まで怪物に追われていたこと、夢じゃなかったんだな。


 もちろん俺だけの白昼夢だったわけでなく、メノも一緒にいたわけだから、テレビで確かめずとも夢ではなかったわけで。


 呆然とした頭のまま身体を起こし、メノが寝転んでいるベッドに振り返る。眠っているわけではなさそうだが、眠たそうに大あくびをかましていた。


 立ち上がって窓から外を窺うと、偶然にも野次馬らしき女子高生たちが騒ぎながら走っていくのが見えた。


 やはりテレビで今後の成り行きを見ていた方がいいか?


 グロウリアンの死骸の周りには、自衛隊や警察が多くいた。佐伯をはじめとするグラブの奴らは、どこまで手を伸ばしているのか。このままグロウリアンが一般に公開されてしまったら、宇宙人侵略説が世間で浮上してしまうのではないか?


 ダメだ。俺には何も分からない。

 携帯電話を取り、例の電話番号にかける。しかしいくら待っても繋がらなかった。


「くそっ!」


 携帯を叩きつける代わりに、大きく悪態をついた。


 いや、しかし俺を監視するというのなら、この近くにいるはずだ。結果論とはいえ、サナに真実を話してしまったのに未だ奴らの手が伸びていないところをみると、盗撮や盗聴はされていない。ならば異変があった際、すぐに駆けつけて来られる距離に、佐伯でなくとも誰かがいるはずだ。


 もちろんただの推測だが、捜してみる価値はあった。


「メノ、ちょっと外に出てくる。っていってもアパートの周辺を見てくるだけだから、何か異変があったら大声出してくれ。たぶん聞こえる」

「うん、分かった」


 メノの了解を得て、俺はアパートから出た。

 と、タイミングよく隣の部屋の扉が開いた。


「おう、桂君。久しぶりやな。なんか外が騒がしない?」

「相変わらずの格好ですね、三上さん。寒くはないんですか?」


 むしろ恥ずかしくはないんですか? と訊きたかったが、それでは俺が意識しているようなのでやめておいた。


 このエセ関西弁のお姉さんは、三上純(みかみじゆん)という名のお隣さんだ。俺より年上なのは間違いないだろうが、確かな年齢も知らないし職業も聞いていない。俺が越してくる前からこのアパートに住んでいた住人だ。


 気さくに声を掛けてきたことからも分かるように、そこそこ仲良くやってるし、部屋着のまま軽く挨拶してくるもんだから、目のやり場にも困る。俺が意識しているとは、そういうことだ。


 薄手のタンクトップに、デニムのホットパンツ。メノのジャージ姿と一、二を争うザ・部屋着といった感じだ。だんだん温かくなってきたとはいえ、五月頭にしては露出が高い。しかもノーブラで胸もそこそこ大きいし、太腿から伸びる脚はモデルのようにスラッと長いので、とてもじゃないが性欲を抑えたまま直視はできなかった。


「なんか近所に怪物が現れたってニュースでやってましたよ。テレビ観てないんですか?」

「なんや怪物て。テレビかー観てないなー」


 寝ぼけたふうに言う。ベリーショートの髪型が整えられていないことから、今まさに起きたところらしい。この人の職業が本当に気になった。


「そういえば三上さんにちょっと訊きたいんですけど、今朝あたりから、ここら辺に不審な車を見かけませんでしたか?」

「不審な車? 知らんな。今まで寝てたし。同じ車が何度も同じ道を通るって意味?」

「いえ、違法駐車とか、そんな感じです」


 張り込みだけなら立っているだけで十分だが、長期に渡る監視となるとやはり車が必要だ。このアパートの空き部屋を借りるという手段もあるだろうが、俺が偽の自爆スイッチを押してからまだ一日も経過していないため、正式な手続きを取ることは無理だろう。


 そこまで確信して、ふと気づいた。

 このアパートの駐車場に、見知らぬ車が止まっている。


「あの車、前からありました?」

「さぁ?」


 指を差して訊いてみたものの、三上さんは首を傾げるだけだった。

 しかも、いかにもといった具合に怪しい。

 外見は黒塗りのワンボックスカーだ。運転席に誰も座っていないのはともかくとして、正面から後部座席が見えないように、仕切りが建ててある。しかも側面の窓ガラスには隙間なくフィルムが貼られており、おそらくリアガラスも何らかの細工がしてあるに違いない。完全にブラックボックスだった。


 怪しい、怪しすぎる。昨夜、バイトから帰ってきた時はあんな車はなかった。


 外へ出て、近寄ってみる。一見した感じでは、突如変形して襲ってきたりはしない普通の車のようだった。ドデカい甲虫のような宇宙人や、天空からのレーザービームを目の当たりにしてしまった今では、何が起きても不思議ではない……もとい何が起きてもすぐ対処できる警戒心が必要だった。要はビビってたわけだけど。


 中から人の気配はしない。といっても、話し声や物音が聞こえないだけだ。息を潜んでやり過ごされたら、俺には分かるすべはなかった。


「…………お?」


 意外だった。後部座席の扉に手を掛けたら、なんと鍵が開いていたのだ。


 この車が黒服たちの物であるのは妙な確信があったけど、もし別の人の持ち物だったらゴメンね、と心の中で謝っておいた。


 一切の光が遮られているため、中は薄暗い。しかし一目で分かった。分かってしまった。


 後部座席に人間はいなかった。しかしこれは人間以外の生き物や、さっき襲ってきたグロウリアンがいたとかいう話ではない。空気中の微生物なら何億匹もいるかもしれないが、それはさすがに例外だ。


 ちょっと暈した言い方をしよう。

 後部座席には、人間だった物があった。三体も。


 どうして曖昧な言い方をしたのかといえば、俺自身、その光景が信じられなかったからだ。信じたくなかったからだ。


 漆黒のスーツを身に纏った、首の無い人間の死体が三つもあるだなんて。


 もしそれらが作り物だったら、どんなに良かったか。一瞬だけ、そう思ってしまった。しかしわずかに鼻に纏わりつく異臭と、首の断面に集るハエたちが、それが本物であることを示している。


 足が動かなかった。声なんて出せるはずもなかった。


 ただ人間の死体を目の当たりにしても、意外にも冷静な自分に驚いた。さっきまでもっとグロテスクな怪物に追われていたし、三つの死体はあまりにも綺麗に殺されていて、すぐには死を認識できなかったのかもしれない。


 でも、とりあえず、知らせなきゃ。警察に、連絡を……。


「あちゃー、見られちゃったか。まだ処理の途中やったんやけどな」


 一歩足を引くと、後頭部に鉄の物体が当たった。

 一瞬にして、その物体が何なのか想像できた。昨夜、俺を完璧に拘束させていたあの感触を忘れられるはずがない。


 けど、この声は……。


「別に動くなとは言わん。ゆっくりと振り返ってもええよ。その方が話しやすいしな。けど逃げたらアカン。誰かに言うてもアカン。そないなことしたら、ウチはキミも殺さなくちゃならんからな」


 キミ……も。背中の女性はそう言った。

 指示通り、ゆっくりと振り返る。

 見知った顔、聴きなれた声。予想通り、そこには銃を構えた三上さんが立っていた。


「これは……どういうことですか?」

「お? キミ、銃突きつけられてんのに質問とは、肝座ってんなぁ。大したもんだわ」

「…………」


 あっけらかんと笑う三上さんを前にしたものだから、ついつい普通に口を出してしまった。

 気分を害してはマズイと思い、俺は押し黙る。


「あ、もしかしてビビった? ビビらんでもええよ。ウチの言うこと聞いてくれてるうちは、絶対に危害加えたりせんで。肩の力抜いていこうや」


 と言って、安全装置を掛けた銃をポケットへしまった。どうやら今ここで俺に抵抗されても勝てる自信があるらしい。


 デニムのパンツから大きくはみ出る拳銃を見る限り、とりあえず力ずくの抵抗は後回しにした方がいいようだ。


「この人たちは、その……三上さんが殺したんですか?」

「そだよー」


 俺は殺すという単語すら口にするのを躊躇ったというのに、三上さんは悪ガキがちょっとした悪戯を認めたくらいの軽さで頷いた。


 なんだか眩暈がした。怒涛に押し寄せる情報量が、脳活動の停止を強要した。


「詳しく説明したいんやけど、家の中入らん? 立ち話もなんやし」

「……そうですね」

「キミの部屋な。自爆スイッチのメノちゃんとも挨拶したいし」


 なんてことを軽々しく言い放ちながら、三上さんはさっさと行ってしまった。


 何故……彼女がメノのことを知っている? お隣さんだから、俺が女子中学生を連れ込んだことを何かの拍子で知ってしまうかもしれない。でも、どうしてメノの名前や自爆スイッチのことも知っているんだ? 昨日の深夜と今日の昼、隣の部屋から聞かれていたんだろうか。


「あ、せやせや。いろいろ話す前に、大事なこと教えとくわ」


 俺の部屋の扉に手を掛けたところで、三上さんが振り返った。

 そしていつも浮かべている気さくな笑顔を俺に向けて、大それたことを口にした。


「今まで黙ってたけど、ウチ、キミらで言うところの宇宙人やから。よろしくな」

「…………は?」


 冗談にしか聞こえなかった。


***


 三上さんを部屋に招き入れると、メノが呆けたまま口を大きく開けていた。


 驚くのも無理はない。ちょっと家周辺を見てくるといって、すぐに帰ってきたかと思えばグラマーなお姉さんを引き連れてきたのだから。隣の住人と知らなければ、メノでなくとも同じ反応をしていただろう。


「……ナンパ?」


 違うわ。んなことしたら、サナに殺されてしまう。


 軽い感じで、メノと三上さんは自己紹介を交わした。茶化すことなく隣の住人であることを示したので、メノが妙な勘違いを起こさなくて助かった。


「それで、宇宙人ってどういう意味ですか?」


 テーブルを挟んで向かい合い、きつ目に問いただす。

 三上さんは不敵な笑みを見せながら、世間話のような気軽な口調で答えた。


「どういう意味もなにも、そのまんまの意味や。宇宙人、異星人、地球外生命体、エイリアンなどなど、呼び方はいくらでもあるんと違うか?」

「そういう意味ではなくて……」

「あぁ、グロウリアンと同じかって訊いてるん? ちゃうちゃう。あんな下等な生物と同等に扱わんといてぇな。ウチらは確か……名前を訊かれたら『ネクサス』って答えろって言われとるわ」

「ネクサス?」

「ネクスト・サクセス。『次の成功』って意味らしいんやけど、別に無視してええで。こっちで勝手に名づけただけやし、名前に意味があるとも思えん」


 ややこしくなってきた。グロウリアンにネクサス? どうして地球上に複数もの宇宙人がいるんだ。


「じゃあまずネクサスのことから詳しく話そか。ウチも自分のことは一番よう知っとるし」

「は、はぁ……」


 そしてどうして俺は宇宙人と向かい合い、話を聴くことになっているのか、完全に謎だった。


「ネクサスが地球に来た目的は、簡単に言ってしまえば一つ。地球の自然環境を調査するためや。最初の調査班が地球に降り立ったのは確か……五万年くらい前だったかな?」

「ストップ。ちょっと待った」

「なんや君。話の腰を折るのが好きやのぉ。体位はバックがええのん?」


 何言ってんだコイツ。

 下の方の冗談だということは一応理解できたが、本気で意味が分からなかった。

 じゃなくて。


「五万年前には、すでに宇宙人が地球に降りてきていたって言うんですか? その時に、地球が慌てたりとかは?」

「キミは自分の肌に微生物が付いたとして、それに気づくん? 余程のことがない限り気づかんやろ? 地球も同じや。地球の大きさじゃ、ちっぽけなウチらが地上に降り立ったって気づかんよ。迷彩を駆使してたし、尚更な」

「じゃあグロウリアンは……」

「奴らにそんな知恵はない。いくら人間に擬態できる能力があるとしてもな。ちっぽけとはいえ、肌の上で何度も飛び跳ねれば痒くなる。そういうことや」


 なんとなく納得はできた。しかも五万年と聞いた時には想像もできずに驚いてしまったが、よくよく考えれば不思議なことではない。人類の歴史には、科学の発達していない太古の昔に造られた、巨大な建造物や神秘性溢れる遺物が多く残っているのだから。


「あぁ、言っておくけど、ウチらネクサスは人類の発展に手を貸したことは一切ない。ウチらの目的はあくまでも観測、調査であって、侵略や共存ではないんや」

「そうですか」


 歴史の神秘は宇宙人によるものではなかった。

 ま、どうでもいいけど。


「五万年前の調査班って、まさか三上さんも参加とかしてませんよね?」

「ちゃうちゃう。ウチは後発組や。ウチが地球に来たのは二十年前……いや、三十年前? 分からん。その間や」


 見た目通りの年齢で、ちょっとだけ安心した。


 遠い星から地球に来れる技術があるんだから、おそらく今のグラマーなお姉さんも仮の姿なのだろう。人間社会に交じって地球を調査するため、人間の皮を被っているに違いない。だから元は先ほどのグロウリアンみたいな見た目かもしれないし、もしかしたら五万年前から生きているのかもしれなかった。


 二十代半ばと知って、少しだけ人間らしいと思ってしまった。


「キミ、たぶん勘違いしてんねん。人間の皮を被ってるのは正解や。けど地上に降り立ったのが二十数年前。ウチが生まれたのは四億年くらい前や」


 人間臭さが一気に吹き飛んだ。桁どころか単位が違った。

 四億って、下手したら小さな惑星くらいの年齢じゃねーか。


「そう、そこなんや。ウチらネクサスが目を付けたのは。地球の生命は授粉や性行為で繁殖を行う。そして遺伝子だけを残して、さっさと死んでしまう。その行動が不思議やった」


 それが普通なのでは? と言いたかったが、相手は宇宙人だ。地球の常識は通じないのだろう。


「その……ネクサスは違うんですか?」

「違う。繁殖なんて面倒くさいことはせぇへん。この一個体がすべてや。死んだらウチの持っている情報は、そこで途切れる」

「でも四億年以上生きられるなんて、到底考えられません。生命である以上、老いることは必然だと思いますけど」

「劣化はする。けど休ませて自然修復してるんや。当然やけど、修復させるための栄養を摂取しなかったり、事故か何かで致命的な傷を負えば死ぬ。四億年生きているって言うても、不老であって不死ではないんやで」


 しかしそれは人間も同じだ。ある程度の傷なら治るし、致命傷なら死ぬ。人間の細胞分裂の回数は決まっていて、それが尽きるイコール寿命ということらしい。ってことは、ネクサスの体細胞は、細胞分裂の数が無限に行われるということなのだろうか。


「ウチらネクサスの一個体は、人間でいう脳に相当する器官が十個ある」

「十個……」


 とんでもない話だった。


「通常稼働させているのは三つで、他の七つは休ませて修復してるんや。それをローテーションすることで、永遠に生きることができるんやで。五つくらい事故や何かで脳を失っても、生きていくことだけは可能なんや。ま、残り三つになったら死期が近くなるか、一つしか稼働できないから痴呆になるんやけどな」

「ははぁ……」


 当たり前のように地球上で生まれ育った俺には、異星人の肉体構造など理解不能だった。説明されても、想像すらできん。


「ちなみにウチの脳みその一つはここ」


 と言って、三上さんは自分の頭を指で突いた。

 だから言われても解んないんだって。残り九つと繋がってないんじゃないのか?


「えっと……何の話でしたっけ?」

「ネクサスが地球を調査する目的やろ?」

「え? あぁ、まぁ……」


 なんか違う。問いたいことはもっと他にたくさんあるのだが、三上さんがとても喋りたいオーラを発しているので、軌道修正するのは躊躇われた。一応、命を握られているので尚更だ。


「目的はさっきも言った通り、観測と調査や。それ以上でもそれ以下でもない。その理由は、ま、言ってしまえば知的好奇心やな。地球生物の進化のスピードに圧倒され、ウチらは今でも調査を続けているんや」

「進化のスピード?」

「中でも特に凄まじいのが、君ら人間や。ウチらネクサスが数億年かけて培ってきた技術を、わずか数万年……いや、数千年で追いついてしまったんや。しかももう宇宙進出もしてんねんし、こりゃ後数百年もすれば、ウチらの技術力も追い越されるで。っていうのが、仲間内での見解やねん」

「技術の発達や進化のスピードが速い理由は、繁殖という行為が行われているから。……それでさっきの話に繋がるんですね?」

「おー、意外と理解力あんねんな。そうや。一個体の寿命は短くとも、繁殖を行ってより強い遺伝子を遺していく。それこそが素早く進歩するための重大な点やと、ウチらは結論付けた。一人の天才も重要やけれども、さらに多くの天才を生む環境も大切なんやと。ま、身体構造の違いはどうにもならんから、ウチらが人間をマネすることなんてできひんけどな」


 天才から外れた凡人は世界の発展に貢献していないような言い方で、ちょっとだけ腹が立ってしまった。


 ただ話を聴いていて、一つだけ自分で導いた解答がある。

 地球上の生命について調査を行っているネクサスが、未だに地球に居残る理由だ。


「人間が発展発達させた技術を盗むため、ですよね?」


 言うと、三上さんは声を上げて笑った。


「なんや桂君。キミ、頭良いやんけ。就職できんかったから、てっきりおつむが弱い部類の人間かと思うてたわ」

「ほっといてください」


 宇宙人にまで就活の心配をされているのか、俺は。


 今の技術力は劣っていても、後数百年も待てば、人間は自分らよりも高い技術力を生むと結論付けているわけだ。だったら待たないわけにはいかない。四億年以上も生きている彼女たちならば、数百年なんてあっという間だろうから。


「ちなみにウチらが技術力を貸さないのはそのためや。未来の技術に先入観を持って進んでほしくはない。ウチらは人間だけで進歩させた、自然な技術力が欲しいんや。だからといって、別に強奪するとかそういうわけではないで。ちょっと借りるだけや。隣の席の友達に、ノートを写させてもらうようにな」


 妙に人間らしい例えだった。人間らしいというよりも、学生らしい。この宇宙人が人間の学校に通っていた時期なんてあったんだろうか? いや、たぶんあったんだろうな。調査という名目で。


「三上さんたちネクサスが地球を訪れた目的は分かりました。まだ証拠らしい証拠は見ていませんけど、三上さんが宇宙人だってことは信じましょう」

「証拠? なんなら本来の姿、見せようか? 準備に二時間くらいかかるけど」

「いえ、遠慮しておきます」


 マジで勘弁してくれ。グロウリアンに襲われたばかりだし、今またグロテスクな物を目の当たりにしたら、SAN値がごろっと削られてしまう。


「そろそろ本題に入らせてもらってもいいですか?」

「本題? ええよ。何かな?」


 俺は背後のベッドを一瞥した。

 メノは興味なさ気に顔を枕に埋めていたが、眠ってはいないようだった。

 できるだけ小声で、三上さんに問う。


「どうして黒服の男たちを殺したんですか?」

「邪魔だったからや」


 しれっと言う。

 あまりにも軽い勢いで、逆に俺の頭が強い衝撃を受けた。


「邪魔だったからって……人を殺していいと思ってるんですか?」

「せや。人間なんて何十億もおるし、三人くらい居なくなったって困りはしない。キミだって、部屋の中を飛んでる蚊ぁくらい殺したことがあるやろ。血ぃ吸うてるならまだしも、ただ飛んでるだけの蚊ぁや。あるやろ? それと同じ感覚で考えてみ。ウザい、邪魔や、うるさくて眠れへん。そいで殺す」


 人間と虫けらを同列に扱うな。

 腹が立ち、一瞬だけ言い返そうと思ったが、本当に一瞬で怒りは収まった。上げかけていた腰を落とし、深い深い溜め息を漏らす。


 この宇宙人にとっては、人間の命も虫の命も同じようなものなのだろう。


「一寸の虫にも五分の魂って諺があるやろ?」

「たぶんそれ、逆の意味で捉えてるんだと思いますよ」

「?」


 決して虫と人間の命の価値が同等という意味ではない。どんなに小さくて弱小な者でも、それ相応の考えや意地があるから、バカにしてはいけない。という意味だ。その諺が正しい意味で出るのならば、三上さんは黒服の三人の男を殺しはしなかったと思う。


 ま、今さら何を言っても無駄だった。


「安心せえ。ウチの言うこと聞いて大人しくしてくれたら、君らに危害を加えたりはせぇへんから。さっきも助けてあげたやないか。君らの命が危うくなると、ウチらも困るんよ」

「さっき?」


 いつ、俺が三上さんに助けられたんだ?


「なんや、忘れたんか? グロウリアンに追われてる時、助けてあげたやろ?」

「あぁ、あれ……」


 あのメール、三上さんだったのか。


「衛星軌道からのレーザービーム。今の人類の技術力じゃ造れんよ」


 なるほど、それには納得がいった。

 そして俺たち……というよりも、メノに危害が加わると困る理由もよく分かる。自爆スイッチが起動してしまったら、調査どころではないからな。


「でも、だったらグロウリアンを撲滅するために、人類に協力してくださいよ」

「してるよ。ウチの仲間の何人かは、キミらの……えっとグローブ? グラブの連中と接触しているはずや。けど実はウチらもグロウリアンの生態については、未だに詳しい調査はできてないんや。さっき一匹殺してサンプルゲットやと思ったけど、予想以上に多くの人間が集まってきて回収できひん。詳しいことが分かるまでは、もうちょっと時間がかかるかもな」

「はぁ……」


 できれば早くしてほしい。またあの化け物に追われたりなんかしたら、命がいくつあっても足りない。


「安心せぇ。キミらはウチが守ってやるわ」


 その言葉は頼もしくもあり恐ろしくもあった。


 巨大な昆虫を模したエイリアンを一撃で殺せる技術力。三人もの人間をあっさりと殺せる残酷性。迂闊に信用でもしたら、足元を掬われそうだった。


「まぁ話はこんくらいや。メノちゃんも疲れてるみたいやし、ウチはそろそろ退散しようかな。なんか質問でもある?」

「あるっちゃ、ありますけど……」


 むしろ疑問だらけだった。


 でも、もういい。また今度、後回しだ。いろんな出来事があり、様々な情報を頭に詰め込み過ぎて、いいかげん吐きそうなほど疲れていた。


「ま、いつでもいいよ。疑問があったらおいで。あ、でも、自慰してる時もあるから、気配察したら勘弁な。もちろん、キミが相手してくれてもかまわんけど」

「しねーよ! こちらと彼女持ちだよ!」

「にしても、アレ気持ちええよな。やはり生殖行為は気持ちがいいからこそ、オスとメスが……」


 本当に何言ってんだよコイツ! こっちには女子中学生もいるんだぞ。場をわきまえろ!

 背中を押して、早くご退場願う。一応知ってはいたが、本当に情操教育上よくない人だな。


 玄関に向けて歩き出したところで……タイミングが悪すぎた。

 扉が勝手に開く。息を切らしたサナが、大荷物を持って立っていた。


「ヒデ! 帰ってニュース観たら、なんか怪物が映ってて! まさかアレがあんたが言ってたグロウリアンっていう……」


 言葉が途切れる。

 大きく見開かれた眼球が、俺と三上さんを見比べている。

 そして一言。


「ヒデがまた別の女連れ込んでるぅー!?」


 卒倒してしまった。

 また説明が面倒そうだ。


「正直なこと、話しちゃっていいですか?」

「かまへんよ。でも車の中の死体を教えるのと、外部に騒ぎ立てるのは勘弁な。殺すから」


 物騒なことを言い残し、三上さんはさっさと隣の部屋へ帰っていった。

 さて、どこから話そうか。

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