舞台の裏で
◆◆◆
少し時は遡る
ゴブリンと呼ばれる種族がいる。畑を荒らし、女性を攫う。そしてネズミのように殖える、害獣のような存在である。
彼らは集落を作り共同生活を営む。そこには階級による支配構造があり、群れの統率者が指示を出し、連携した狩を行うこともある。欲望に忠実な面もあるが、基本的には非常に社会性の高い生物であるといえる。
そんな生物であるからか、時にゴブリンの集落が肥大化すると、それに応じて統率者の実力も非常に高くなる。いや、優れた統率者であるから集落が肥大化するのか。どちらにせよ人里近くにゴブリンの巨大な集落があれば、人間に甚大な被害を与えることになる。それを未然に防止するために、人間側には冒険者という制度があり、雇われた荒くれ者達がゴブリンの集落の早期発見、駆除に努めている。
「ゴブゴブ」
彼も、そんな冒険者制度の生んだ被害者の一人だ。彼は、三十匹ほどの通常種と三匹の上位種であるホブゴブリンを統率する集落の長であった。種族名は、ゴブリンメイジ。稀に生まれる知能の高いゴブリンが、魔法を使えるほどに成長したもので。五十匹程度の集落になると必ず一匹は存在するといわれている。
そして今彼は、森を奥へと進んでいる。逃げているといってもいい。彼の集落は、それほど人里近くという訳ではなく、規模としても目立つほどでなかった。悪かったのは運である。過去に彼の集落から暖簾分けされた別の集落が駆除され、ここまで痕跡を辿られたのだろう。
ゴブリンという種族は、人里が遠いと基本的に、狩と付近に自生する植物を糧に生活する。そして環境にもよるが、50匹から100匹に満たない程度の数に殖えると、若い個体が中心になり、集落から出て別の集落を作る。周囲の環境で養える限界数を超えてしまうため、本能からそういった行動を取るのだろう。もちろん例外もあって、外敵などのストレスがある場合や、大きなカリスマを持った個体がいる場合は、周囲の集落を吸収することがある。
とにかく、彼は十人以上の冒険者に集落を壊滅させられ。一匹だけになって逃げだしてきた。それから何日も森を歩き、河原に出た。そこで一人の人間に出会ったのだ。
「ゴブ?」
彼は緊張していた。人間に集落を滅ぼされたのだ。社会性の高いゴブリンという種族のなかで、特に知能の高い上位種であるゴブリンメイジである彼は、仲間を奪われた悲しみや恨みといった感情を知る生物であった。
「師匠、貴方を探しておりました。俺を弟子にしてください」
この人間は、出会ってすぐに降伏の姿勢を取った。だが、彼は許さなかった。人間にありったけの魔法を打ち込んだのだ。しかし人間は、その尽くをかわした。もう自分には、僅かな魔力も残っていなかった。
彼は、諦めていた。目の前の人間との実力差が分かったのだ。ところがどうだ、人間は何かぶつぶつ言っているようだが、何も攻撃をしてこない。それどころか、もう静観するしかない彼に対して食事を振舞い、寝床へと運んでくれたのだ。
「ゴブ(なあ)」
「分かりました、もっと速くですね」
「ゴブゴブ(食ったばっかで気持ち悪いんだが)」
「もっと速く。理力を感じて。浮石の場所は、理力が教えてくれる。目に頼るな、感じるんだ、偉大な理力を………ですね」
「ゴブゴブゴェ(もっと、ゆっくり、お願い、オェ)」
まったく会話は、通じなかったが。
それから1人と1匹の奇妙な共同生活が始まった。
「師匠、背中を流しますよ」
体を洗ってもらった。
「スゲーッ! さすが師匠だ、大きな猪が一撃だぜ」
一緒に狩をした。
「師匠、肉が焼けました。この猪のスペアリブが最高ですよ」
食事も用意してもらった。
「さぁ師匠、ジャンジャン撃ってきてください」
一緒に訓練をした。
「大宇宙に広がる偉大な理力に身を任せるのだ。そう、理力は、どこにでもあり、全てが大きな流れの中にある。心を静め、理力の流れと一体になる。その時、重いも軽いも、大きいも小さいも無い。この手からあの岩までの距離も無になるのだ。………ですね」
この、逆立ちをした人間の足の裏に乗るということだけは、最後まで意味が分からなかったが。どうやら人間にとっては、有意義なことのようだ。
魔力も上がっていた。最初にもらった肉がよほど豊潤な魔力を宿していたようだ。普通、いくら強大な魔物の肉であっても、食物として摂取することで魔力が体感的に上がるなんてことは滅多に無い。
時間がゆっくりと流れていた。もう、人間に対する恨みもすっかり薄れてしまった。この生活に慣れ、安らぎを知ってしまった。このままでいいじゃないか。もう冒険者に追い回されることもない。この人間と共にここで生きよう。
いつしか、そう考えるようになっていた。
「師匠、修行の完成が近いと感じています。修行の集大成として、この蔦で俺を縛り、火の玉を撃ってください。
今までは、掌に理力を集中させなければ逸らすことができませんでした。しかし、理力の神髄は、自分と世界の融合。この掌に理力を集めることなど本来不要であるはず。俺は、理解しました。そんな行動は、まやかしなのです。
俺が身動きができないように、蔦で縛ってください。大丈夫です、今日こそやり遂げてみせます」
「ゴブ」
彼は、言われた通りに人間を蔦で縛った。いや、言ってることが理解できたわけではない。長い共同生活のうちに、人間のしたいことが何となく分かるようになっただけだ。特に、自分を蔦で縛れとか、今までの奇行に比べれば遥かに分かりやすい。
人間は、目を閉じて腰を落とし、身構えている。彼は、理解した、「ああ、ファイヤーボールを撃って欲しいんだな」と。愛用の杖に魔力を通す。
今日も訓練は平常運転だ。
◆◆◆
時間は更に遡る。
ここは、森の奥地。人の訪れない秘境に一つの家が建っていた。森の賢者と呼ばれる者の住処である。
賢者は、自分の人生を振り返っていた。若いころには、国に士官したことも、世界中を旅したこともあった。様々な国を訪れ人々を救った。彼には才能があった。ありとあらゆる魔術を習得し、人々のために使ったのだ。
しかし、賢者の心は擦り切れていった。自分に打算で近付く者、欲のために打倒しようとした者。騙され利用され、結果として罪の無い人々を大勢死に追いやってしまったこともあった。思えば後悔の絶えない人生であった。いつしか彼は、人に利用されることを嫌って森の奥地、誰にも近寄ることのできない秘境で隠遁生活を送っていた。
それでも、他人と関わることのない生活を送っていても、魔術の研究だけは、止めることがなかった。様々な秘術を完成させ、いつ使うということもなく、誰が利用するということもなく、ただ研究だけは止められなかった。それがいつしか彼の存在理由となっていたのだろう。
ある時、賢者は自分の死期を悟る。そして自分の人生を振り返っていた。
「思えば、何の価値も無い人生であった」
賢者は、死の直前に最大の後悔を抱えていた。他人に何かを教える、ということをしてこなかったのだ。このままでは、自分の歩んだ人生そのものが無価値となってしまう。自分の残した研究成果も、この老いた身体と共に土へ還るさだめなのだろうか。
そんなある日のこと。夢に神を名乗る者が現れたのだ。
「お前の住処の近くに勇者が降臨する。私が選んだ強き魂を持つ者だ。お前の知る全てを勇者へ託してほしい。今こそお前の力が必要なのだ」
神はそう言って、目が覚めた。
彼は、狂喜した。死期の迫った彼の、最後の心残りが解消する。残された時間は少ないが、彼は一流を超えた魔術師である。人間の定められた寿命を延ばすことはできず、身体も衰え皺だらけではあったが。身体を満たす魔力を制御することで、まだ満足に動くこともできる。
自分の知識を他人に転写する秘術も習得している。これならば転写時の負荷に耐えられる程度の知識を、少しずつ転写すれば。自分の死の前に、全ての知識を受け継がせることも可能だ。しかも相手は、神の選んだ勇者である。力に溺れ、悪用する心配をすることなく、自分の積み上げた全ての研究成果を渡すことができるだろう。しかも、それが確実に世のためになるのだ。少なくとも、この時の彼はそう考えていたのだ。
彼は逸る気持ちを抑えきれず、外へ向かった。勇者が降臨する場所は、神からイメージを伝えられている。大よその検討は付いていた。
「勇者か、いったいどんな奴が待っているのか。クックックッ、たのしみじゃのう」
彼は家の外に出ると、空間魔術で転移した。
そしてすぐに帰ってきた。もの凄い落ち込んでいた。
「ウンコしてたし……力いらないって……しかも、紙が欲しいって……神だけに紙って…………しかもウンコしてたし」
彼は大いに混乱していた。
しかし、家に帰り、気持ちが落ち着くと失意に沈んだ。
「神にまで騙される儂って……とりあえず言語知識だけ先に転写してやったのに、紙が欲しいって……儂の価値は、ウンコ以下ってことかの」
やっぱりまだ混乱していた。
それから1カ月ほど経ったある日のこと。
賢者は失意に沈み、気力を失い、ただベッドの上で己の死を待つだけの存在となっていた。そこにまた、神が現れた。
しかし賢者は、その時にはすっかり捻くれてしまっていた。
「えー、だって儂もうウンコじゃし。ウンコの考えた魔法なんて、汚くて世に出せましぇんってか」
神は根気強く説得した。勇者がこの世界に降臨したばかり。なおかつ、”黒いローブを纏った老人が悪の親玉だった”という物語を好んでいたため、強く警戒してしまったといったことを説明した。
「あーあー、儂の一張羅が悪かったんでございますか。それじゃ勇者さんの尻を拭くのに使っていただいて、少しは綺麗にならないといけませんかねぇ。ウンコ星人、森の賢者。はーやく人間になりたーい」
ジジイの捻くれ具合は、この1カ月で熟成されていた。
神の説得は、長時間に及んだ。説得が終わるころ、ジジイはようやく人間の心を取り戻すことができたのだ。
「もう一度、本当にもう一度だけ。儂は、神と人間を信じることにする」
彼が言うと物凄い説得力があった。そして彼は、或る日のように外へ出て転移した。
転移した彼が目撃したのは、捕縛された勇者に向かってゴブリンメイジが魔法を撃つ瞬間であった。
「(危ないっ! 間に合うか) サンダーボルト!」
彼は、咄嗟に雷魔法をゴブリンメイジに放った。練り上げられた魔力が迸り、雷鳴がゴブリンメイジを貫く。持っていた杖は弾け飛び、体の芯を焼き尽くす衝撃でゴブリンメイジは吹き飛ばされた。
「大丈夫か勇者y「師匠ォーーッ!!」」
賢者の呼びかけは掻き消され、勇者の絶叫が森にこだまする。
「(そうか、そんなに怖い目にあって。しかし、師匠か……)」
賢者は、勘違いをしていた。それどころか、”師匠と呼ばれるのって悪くないな”ぐらいのことを考えていた。
「ウォォーッ!!」
勇者は、蔦を引きちぎり、動かなくなったゴブリンメイジへと駆け寄った。そして、それを抱きかかえ涙した。
「貴様ァーーーッ!! よくも師匠をっ!」
「(あれ、何か様子がおかしくね)」
ここにきて、賢者は様子がおかしいことに気が付いた。
「師匠の仇! ウラァッ!!」
勇者は拳に魔力を込め殴りかかった。流れるような体の移動と、魔力収束。しかしそれは、賢者にしてみれば非常に拙い攻撃にすぎなかった。
「(うおっ、危なっ!) マジックシールド!」
勇者の攻撃は、魔法による障壁に阻まれ、弾き飛ばされた。
「ぐわぁっ、糞ッ、こんな時にあの武器があれば……」
「勇者よ、儂は話し合いをするために――」
「黙れっ! よくも師匠をっ!」
勇者は、聞く耳を持たなかった。素早く起き上がり、身構える。そしてふと目に入ったもの、足元に転がる木の切れ端を手に取った。
「師匠、そうか、これを使えと………これが、そうなのですね」
それは、ゴブリンメイジの使っていた杖の破片。先端の小さな魔石の付いた部分であった。
勇者は、杖の先端部を握りしめ、体内の魔力を爆発させる。
「ウオォォーーッ!!」
ブオンッ!
勇者の手元に魔力が、光が収束する。それは、光の剣であった。
「(なんだあれはっ! 純粋な魔力? それを固定して光を発するほどに高め、励起させているということかっ! なんという繊細な魔力操作だ)」
勇者は駆ける。自らの正義を実行するために、振りかぶった光の剣を障壁へと叩き込んだ。
「アァーーーッ!」
勇者の持つ光の剣が賢者のマジックフィールドを削る。励起された濃密な魔力が賢者の張った魔力場とぶつかり合い、鉄の棒をヤスリで擦るような耳につく音が辺りに響き渡った。
「(馬鹿なっ! 儂のシールドを切り裂いて)」
そこで賢者の意識は途切れる。
後に立つ者は、悲しげな顔をした勇者と呼ばれた者だけだった。




