表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
汚れた勇者  作者: 汚れた座布団
第四章
20/27

汚れた勇者

◆◆◆



「いやー、一時は、どうなるかと思ったぜ」


「勇者よ、二度も抜かれた奴の表情を見たか? もう我は、奴のことが憐れに過ぎて言葉にならんわ」


「だがな、相棒。騎乗しながら垂れ流すのを嫌って、お前が止まったんじゃないか」


「勇者よ、我の位置を考えてくれ。もう十中八九、糞尿に塗れた未来が見えるわ」


 インヴァイは、(いさお)に装備された魔道具の制御を行うため。可能な限り馬の中央部に近く、騎乗の邪魔にならない場所。具体的には、鞍のやや後部あたりに装着されている。


「しかし、昔の騎馬民族や日本の戦国武将は、走りながら褌を横にずらしてやってたらしいぞ。

 ほら、お前だって油断するなとか言ってたじゃん」


「で、我にかかるんじゃろ?」


「まあ……かかるな、本日のウンコンディションを考えるに。

 やっぱり、鞍の前部に移設するべきか? いや、そうすると何か変な気分になりそうだしな。荷馬車の火器管制まで考えると、今の場所がベストな気がするんだが」


 レースは再び俺がトップに立ち、もう帰りの平原区間の終わりが見えてきた。


 あの時、猛烈な便意に襲われた俺は、やや減速しつつ、そのまま走りながら()()ことをインヴァイに提案したが。俺の腹が発する低周波音を検知したインヴァイが、それを断固拒否。


 状況を何となく察したのか、(いさお)の走りにも戸惑いが見え。このままではマズイと感じた俺は、限界まで我慢しつつ、最も大きな山を迎えた瞬間に急停止し、路肩で可能な限り迅速に出し、瞬時にレース復帰することを計画した。


 しかし、予想以上に今朝食べたクラムチャウダーの破壊力に苦戦を強いられ騎士団辺境警備隊代表、黒い怪竜(ブラックドラゴン)のオーバーテイクを許してしまう。


 もう、笑うしかない。


 あ、いやいや、こんな時こそ笑うんだ、って感じ?


 そして、小さな戦いに勝利した俺は戦線に復帰し、三つ目のコーナー立ち上がりで普通に抜き返して今に至る。


「なんか、もう、脳の血管が切れるんじゃないかってくらい、真っ赤な顔してたな」


「我が今まで斬ってきた魔族のなかでも、あれ程の深い憎悪を宿した者は見たことが無い」


「まあ、それも一歩及ばずってところか。そろそろ平原も終わるが、後続との距離は……600メートルぐらいか?」


 俺は、ちらりと振り返り、視力を強化する。どうやら奴さんは三番手以降にも追いつかれて、二位争いの集団先頭を辛うじて保持している様だな。


「この辺で並ばれるかと思ってたんだが。下りで無理し過ぎたって感じか」


「我の分析では、ここで抜かれる可能性もあったぞ。三番手以降の奴はともかく、黒い怪竜(ブラックドラゴン)に関しては、登りの直線における最高速がこちらよりもやや速い。コーナーが連続する峠区間においては、こちらが圧倒できるが。相手が理想的なペース配分を守って、王都を臨む最後の直線上り坂まで勝負が縺れれば、結果は分からなかったはずじゃ」


「しかし、それも難しそうだ。足の筋肉に理力の澱みが見える。あれはかなり足にキてるようだな」


「他の馬たちも最後の登りでスパートをかけられるほどの余力は無いだろう。我が分析するに、それでも二位は奴が――勇者っ! 右前方アンブッシュ(待ち伏せ)だっ!!」


「なに? ガハッ!」













「……い………ゆう……」


ダッダッダッダッダッダッダッダッ!


「…………しゃ……ゆう…………勇者よっ! 起きろっ!」


「ぐっ、」


 何だ、一体何が起きた?


「インヴァイ! 何分寝てたっ!?」


「一分も経っとらん。今行ったのは先頭集団だ!」


 俺の右肩には鉄の矢が刺さり、筋肉に食い込んでいた。どうやら落馬した衝撃で、十秒程度意識が飛んだようだ。


「ダメだ、クソッ。右手が動かねえ。クロスボウとは、汚いマネしやがる」


「犯人は自決したようじゃな。勇者よ、走れるか?」


「いや、走れないことも無いが。先頭に追い付くのは無理だ。

 ああ、くそっ。油断した、完全に俺のミスだ」


 どうやら、ここまでのようだ。


「ブルゥウ」


 (いさお)が慰めるように、頭を擦り付けてくる。


(いさお)、すまないな、こんな結果になっちまって……」


 いや


「お前……そうか、お前は諦めていないのか」


 魔道具は稼働状態を維持しており、その瞳は依然として闘志を宿していた。


「ゥォオオオオアアァーーーッ!」


 肩の痛みを、叫びを上げて抑え込み、(いさお)へと飛び乗った俺は、左腕だけでしがみ付いて走り出す。


「アキオよっ! いけるのかっ!?」


「分からんっ! だが(いさお)が諦めないなら、俺だけ諦めるわけにいかないだろ」


 痛みが酷く、体幹に力が入らない。俺は無様な恰好で(いさお)の背にしがみ付く。正常な騎乗姿勢を維持できない、完全なお荷物となっているために(いさお)への負担も大きいだろう。


「俺のパラメータ設定権を(いさお)へ移す」


「いいのか?」


「今の俺では、(いさお)の状態も路面の状況もよく分からん。あと一回曲がったらゴールまでまっすぐ登るだけだ、後は(いさお)に判断してもらう」


 (いさお)が大きく加速する。俺は片腕で振り落とされないよう、手綱を手に巻き、たてがみにしがみ付いた。落馬時、とっさに理力を高めて、多少の受け身を取れていたようで、右肩から生える矢の他には、全身の打撲や捻挫で済んだようだ。鉄鎧を着こんでいるわけではないが、衣類の下へ装着したプロテクターも多少は役に立ったのだろう。


「50メートル先、左30R!」


 インヴァイのナビを聞いて、ちらりと前方を確認する。どうやらコーナーの立ち上がりで先頭集団の後端に追いつきそうだ。

 俺は痛む体に鞭打って騎乗姿勢を作り、コーナーにアプローチする。


「うっ、ダメか、止まんねぇ」


 右半身の踏ん張りが効かず、(いさお)の走行ラインが徐々に外側へ流れてゆく。そして、少し街道を脱線しながらも、土塊と草花を巻き上げながら猛烈に立ち上がってゆく。


「後は頼んだぞ!」


 俺は再びたてがみにしがみ付き、姿勢を低くする。一度はコースを外れた(いさお)は復帰しつつも、外から先頭集団を差しにいった。


「(まずは一人)」


 完全な加速態勢となると同時に先頭集団と並んだ(いさお)は、今までに無い加速で抜きにかかる。ちらりと前方を確認すると、ゴールを視界に捉えた。最後の登り直線、全員がスパートをかけるが、やはり相手も辛そうだ。


「(暑い……なんて熱いんだ……体が溶けそうだ)」


 俺は、焼けるように痛む傷、刺すように照り付ける日差し、(いさお)から発せられる代謝熱と魔道具の発する熱に晒されながら、ただ必死にしがみ付く。落馬した時に水筒は破損して、水分補給はもうできない。尋常でない代謝熱と、魔道具の発する熱から、(いさお)が安全限界を大きく超えた走りをしていることは、気が付いていた。俺よりも(いさお)の方が辛いはずなんだ。この程度で音を上げるわけにはいかない。ただでさえ正常な騎乗姿勢を維持できない俺は、(いさお)にとって大きな負担になっている。


「(間に合うか……)」


 実際には数秒しか経っていないのだろう。極限まで高まった集中力と過酷な状況で、長大に錯覚するゴールまでの道のりを駆け抜ける。横を確認すると、とうとう二番手に並び、それとは反対方向から先頭に対してプレッシャーをかける。背後に迫る気配を感じ取った先頭の騎手は振り返り、俺と目が合った。


「き、貴様っ! クソッ、死にぞこないめ! 負けんぞ……俺は、負けんぞっ!」


 先頭がもう一段階ギアを上げる。まだ引き出しがあったのか。しかし、並びかけた(いさお)は離されることなく先頭に追走する。二番手は横からプレッシャーを掛けるのをやめ、先頭のスリップストリームに付いた。


 四番手以降は少し離れ始めたが。二番手は魔術ギルドか、ここで食らいつけるとは。魔道具に精通するだけあって馬の仕上がりは良いようだ。


「あ、やばい」


 嫌な予感がした。俺は少し先頭から横に逸れる。その瞬間、先頭を走る黒い馬の脚が折れた。


 スリップストリームに入っていた魔術ギルド代表は、回避が間に合わず。倒れかかった前走馬に追突するしかない。あれだけ喧しく囀っていた人間も、本当の危険を前にすると無言になるようだ。俺は、その瞬間をスローモーションの様に感じながら、そんなことを考えていた。


 魔術ギルド代表もただで済むはずもなく、ともに縺れ、転倒する。唖然とした表情のまま、地に倒れ、馬に踏みつけられ、それはすぐに見えなくなった。


 俺の前には、もう誰も残っていなかった。






◆◆◆






「そろそろ来るかしら」


 少女は不安気な表情で男を待っていた。手を胸の前に組み、そわそわした様子で貴賓席からゴールラインを見守っている。


「スタートでは出遅れたけど、大丈夫かな」


 貴賓席から先頭集団が視界に入る。入口広場、選手たちを見守っている観衆へ向けて、司会の声が響き渡った。


「さあ、選手一同が見えてまいりました! 先頭は……商会連合改造馬倶楽部! 大番狂わせが起きました! やや離れて騎士団近衛部隊、冒険者互助組合と続きます」


 少女は立ち上がった。遠目に彼女の待ち人、アキオが走ってくる。体が、心が震え、頬が赤く染まってゆく。もう少女は待っていられなかった。呼び止める声を振り切り、少女は走り出した。





「ゴーールッ! トップは商会連合改造馬倶楽部、大変な大番狂わせとなりました。誰がこの結果を予想できたでしょうか。騎士団近衛部隊と冒険者互助組合が続いてゴールしました。あっ、ただ今情報が入ってきました。優勝候補の騎士団辺境警備隊と魔術互助組合は、優勝者の商会連合改造馬倶楽部と王都へ続く上り坂にて壮絶なデッドヒートの末――」





 少女が広場に到着すると丁度アキオがゴールしたところであった。


「アキオさんっ!」


 少女は人々をかき分けるように前へと進む。


 割れるような歓声の中人垣を抜けると、そこには広場の中心で立ち止まる(いさお)と、肩から矢を生やし馬上から崩れ落ちるアキオの姿があった。


「大変! アキオさんっ!」


 少女は駆ける。ふらつきながらもなんとか立ち上がるアキオは、それに気付くことなく愛馬へと声をかけていた。


(いさお)、ダメだっ! すぐに止まるなっ!」


「アキオよ……(いさお)は、もうすでに」


 アキオは、前にまわり(いさお)の顔を確認すると、状況を察した。


「そうか、お前、眼が……」


 馬の全身には、魔道具のオーバーシュートによるダメージが色濃く出ていた。血管強度を上回る血液供給により、全身の毛細血管が損傷し、足は大きく浮腫み、その瞳は二度と光を見ることが叶わない。喀血したのか、口の周りには血の混ざった涎に塗れていた。


「もう大丈夫だ。(いさお)、お前が一番だよ。ありがとう、(いさお)。ありがとう、もうお休み」


 アキオが優しく首筋をなでると、(いさお)は膝を折り、首を垂れる。その姿をみた観衆は、声を出すことを忘れ見守っていた。静まり返った広場に別の声が響く。担架で人が運び込まれた。


「転倒した騎士様だっ! 通してくれ!」


「ひっ!」


 運ばれてゆく二つの担架、その片方は、片足がちぎれ、残された手足も原型を留めず、顔にも元の人物を特定できる特徴を尽く失われ、唯一その衣類から騎士団所属であることだけが分かった。ただ時折小さく呻くことが、その命の灯がまだ微かに残されていることを知らせていた。


 少女は、混乱していた。無理もない、レースの興奮のまま走って広場に来てみると、アキオも馬も満身創痍。それに輪をかけて凄惨な怪我人も目の前を通り過ぎる。今までレースの華やかな面しか見たことのない少女の心は、一転した状況の落差に置き去りにされていた。


「そんな……わたし、そんなつもりじゃなかったの……わたし」


「君は」


 アキオは、この時やっと少女の存在に気が付いた。人垣とアキオの中ほどまでに近づいていた少女のつぶやきを、アキオが拾いあげたのだ。


「君はどんなつもりだったのか、僕は分からないが。君が今見ているもの、これがレースだ。人が最も大事にしているもの、時間、金、そして命を湯水のごとく注ぎ込んで、それでも負けたり、時には勝ったり。だからレースは、おもしろい。

 まあ僕には、あまり向いてないみたいだ」


 アキオは、優しくも哀しい表情で(いさお)を撫で続ける。それは時を止めるほど、絵になる姿であった。


 少女は、己の勘違いを悟る。己のよき理解者であったアキオの心情を、自分はまったく理解していなかったと考えた。少女は純粋であった、人の機微を理解する聡い心も持っていたが、それ以上に純粋過ぎたのだ。初めて芽生えた恋心は、自分の見つけた綺麗なものを皆に見せびらかしたかった卑しい衝動であると認識してしまう。


「わ、わたしは、なんてことを……」


「君が泣くことはないんだよ。僕は僕の理由でこのレースを戦った。(いさお)のことは残念だったが、(いさお)(いさお)の理由で走ったんだ。君には感謝しているんだよ」


 少女は大きな自己嫌悪にかられ、涙を流す。今の気持ちも勘違いであるが、それに気付かずに少女は自分を責め続けた。


「さあ、一緒に行くよ(いさお)、ウィニングランだ」


「アキオさん、なにを……」


「ゥウオオオォォォーーーーーッ!!」


 アキオは、(いさお)の亡骸の下へ腕を入れると、叫びとともに一気に肩へ担ぎ上げる。矢の刺さった肩からは血が噴き出し。歯を食いしばった顔は真っ赤になって、血管が全身から浮き出る。あまりの肉体負荷に、涙と涎と鼻水に塗れ、鬼のような形相になりながら。アキオは、ゆっくりと歩き出す。



ワァァァァァァァーーーーーーーッ!!!!



 一度静まり返った観衆は、アキオの姿に胸を打たれ、ゴールの瞬間を遥かに超える歓声を上げた。その間をアキオはゆっくりと歩く。


 少女は、馬を持ち上げたアキオに度肝を抜かれ、尻餅をついたまま立ち上がることも忘れて、彼の背中を見送る。感動と興奮と混乱と自己嫌悪が少女の心に渦を巻いて、アキオの背を追いかけることを許さなかった。彼女はただ、その優しくも哀しい背中を見送るだけであった。


 その後、アキオは王都から忽然と姿を消す。後日アキオを探した彼女は、この国にもう彼が居ないことを感じていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ