グランプリの勇者
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騎士の国にとある騎士がいた。容姿端麗で努力家、正義感に篤く貴族の規範とも言える騎士であった。その規範は、貴族社会の範囲内においてであったが。
騎士は、とある子爵家に生を受けた。幼少期は騎士、貴族の規範ともいえる誠実な両親と共に健やかに過ごしていた。そんな騎士に転機が訪れる。魔族の侵攻である。
騎士が物心ついて間もなく、父親は魔族との戦争において、民を守るために上からの命令を無視し、その命を散らすことになった。母親は子どもを連れ親族を回ったが、貴族社会において下手を打った者に対する風当たりは強く。また、父の命と引き換えに助けられた平民たちは、そんな貴族のいざこざに好んで介入する者もいなかった。
やがて、騎士の母親も病に倒れ。失意に沈む騎士は、決意する。自分は父と違う、成り上がってやる、この貴族社会を征服してやる。そして、父を裏切った平民どもを粛清してやるのだ。
やがて騎士は、辺境の国境警備隊に配属され、すぐさま頭角を現す。人々は畏怖を込めて彼を呼んだ。苛烈なる辺境の鬼、騎士の国最速の男、黒い怪竜。
「我が国に群がる蛆虫共め、いくら潰しても湧いてきおる」
「し、しかし、お言葉ですが、馬車まで破壊したのは、やり過ぎではないかと……」
「フンッ、やり過ぎなものか。税金を払わぬ平民はカスだ、人間ですらない。命があるだけ感謝してほしいものだな」
「(5年に一度の改造馬王都杯、これを足掛かりに俺は………。今年に入ってから魔族の活動も活発になっている。いくらでもチャンスは有るぞ、成り上がるチャンスがな)」
改造馬レース、王都杯当日。
「スーパースレイプニルクラスに出走される方は、メインゲートへお集まりください」
一般にレースには非改造馬、ストックホースクラスから始まり。使用可能な魔道具に制限を掛けたスーパーホースクラス、魔道具の無制限使用を許されたファニーホースクラス等がある。そして改造範囲無制限、いかなる魔道具や外科手術を含めて全てを許可された改造馬レースの頂点、それがスーパースレイプニルクラスである。
そして、一日で行われるレースとしては最長距離を誇る王都杯のスーパースレイプニルクラスでは、王都正門をスタート地点に大きく緩やかな坂を下り、平原を抜け峠を越え、帰りは峠の裾野を横切って平原に戻りまた王都へ帰ってくる。全長200km弱、これを3時間足らずで駆け抜ける過酷なレースである。
その参加者には、たかがレースと侮るものはいない。貴族階級のみが参加を許されるような、狩りやスポーツのコンペとは違い、大手の商会や貴族などに援助を受けた平民の参加者とも混走するため。民衆や他国からの注目も極めて高く、その優勝者は英雄のような扱いを受けることになる。騎士の国最大の祭りであり、騎士達にとっては魔族の討伐に次ぐ出世のチャンスである。
会場は異様な熱気に包まれ、出走者達にはあちらこちらから多くの歓声が投げられた。その中で復讐に燃える騎士は目当ての者を見つける。
「貴殿が商会連合改造馬倶楽部のアキオ殿か?」
「うん? そうだが、あんたは……ああ、あんたが有名な黒い怪竜か?」
「いかにも、しかし……プッ、クックク……いや、すまない。今日は牛のレースでもやるのかと思ってな」
騎士はアキオの乗る馬を見る。はなから堪える気などないのであろう、アキオの神経を逆なでるような侮蔑を込めた笑いが堪えきれずに口から洩れた。
「……あんたこそ、今日やるのは品評会じゃないぜ」
「いや、ごもっとも……プッ……それでは、レースでまた会おう。
(あのお転婆姫の肝いりで急遽、出場が決まった平民がいると聞いて誰かと思えば……忌々しい蛆虫どもの一味とはな。しかも、なんだあの馬は。牛か? 姫も何を考えているのやら。
まあいい、今日のレースを征し、俺は大きく前進する。姫も俺の足掛かりの一つとなってもらうぞ)」
大きな野心を胸に、騎士はアキオから離れていった。
◆◆◆
「お嬢ちゃんには好評だったんだがな……
気にするな勲、分かる奴だけが分かればいいさ」
「勇者よ、ついにこの日が来たな」
「ああ、エントリーから二週間。
正直、準備不足は否めないが、十分勝てる状態には持っていけたはずだ」
あれから俺は予定コースを何度も走りこんで勲にコースを覚えさせ、魔道具の出力調節を行った、勲の体調も悪くない。もっと時間があれば蹄鉄形状をもう少し詰められたんだが、レースにおいて全てが完璧に準備できるほうが稀だろう。勲の体調を優先したというのもあるしな。
「見事に晴れたな、こりゃ馬力の差が出るぞ。蹄鉄は六号でいいと思うんだが、やっぱりトリムはプラス3度くらいいけたんじゃねえか。いやでも、そうすると下りがちょっとな……」
長距離に及ぶレースでは、中継地点にある休憩所で一定時間の強制停止がレギュレーションで定められている。通常その場で休憩と蹄鉄の交換が可能なのだが。今回のレースでは、その強制停止時間が定められていない。スプリントレースというには長く、耐久レースというには短い、そんな微妙な距離だからこそセッティングが非常に難しい。
ちなみにこのレースでは蹄鉄の途中交換は認められていない。レギュレーション上は、他の多くのスプリントレースに準拠している。
「勇者よ、今頃言ってもしょうがないだろうに。開始地点へ急ぐぞ」
「ああ、それもそうだな、了解だ」
「各馬一斉に走り出しました! 先頭は騎士団辺境警備隊代表黒い怪竜、さすが優勝候補、素晴らしいスタートを見せました。次いで魔術互助組合代表、騎士団近衛部隊代表と続きます」
「勇者よ、出遅れたぞ!」
「いや、予定通りだ。最初の下りはセーブしていく」
マッスルウォーマーを使用して、代謝機能は魔道具で引き上げられていると言っても、実際には走りださなければ本当の意味で準備運動にはならない。
特に下りでは関節への負担が大きい。こんな場所でリスクの大きな勝負をする必要は無い。
「そろそろ先頭集団は下り切るか。ホールショットは……さすがだな、言うだけのことはあるか」
土煙が舞う中、坂を下りきって緩やかな右コーナーへ進入してゆく集団の先頭に、先ほど見た大柄な黒い馬が視界へ入る。
そして自分も間もなく、コーナーへアプローチ。その瞬間、3頭前を走っていた馬が転倒した。
「うおっ! 言わんこっちゃない」
コーナーのRは緩やかでカントも付いていないが、下りながらのアプローチとなる。関節への負荷も大きく、騎手にとっては強烈な逆バンクにはらんでゆく馬を理想のラインに乗せなければならない。
後ろを窺うと、後続に踏みつぶされてゆく馬と、手足が変な方向を向いた人間らしきものが見える。
「この辺くらいまではスタート近辺のお客さんから見えるから、はりきってしまうのもしょうがないか。
インヴァイ、手筈通り平原は捨てる。過給係数1.2で巡航だ。」
しかし他にも転んでるやつがいるみたいだな。ペースメーカーを入れて城壁外を一周、ウォーミングラップでもやって、ローリングスタートにすればいいと思うんだがな。
「大丈夫か勇者よ。第二集団からも少しづつ遅れ始めているようだぞ。」
「視界に入ってる内は平気さ。それに無理しても勲の最高速はそれほど伸びない。峠の低速区間が勝負さ。大丈夫、あの峠、意外と長いぜ」
勲は足の短い馬だ。最高速を延ばすにはストライドかピッチを上げる必要があるが、ストライドを大きくするのは現実的ではない。
確かに勲は潜在能力の高い馬である。全力を出せばストレートでも先頭集団に追いつくことができるだろう。しかし魔道具の出力増に対して肉体的な負荷は、ある一定の領域から指数関数的に増大する。そして馬力も魔道具の出力に対して線形的に追従する訳では無い。やはり一定の領域から伸び難くなり、あるところを境に肉体負荷が勝って、逆に低下してしまう。これを降伏魔導出力といい、一般にこれの8割以内の出力が馬を潰さない安全圏と言われている。
身体が頑丈な勲の降伏魔導出力は、他の馬に比べて非常に高い水準にある。しかし、こと最高速に関しては、それほど優れている訳では無い。歩幅が劣る勲が最高速を稼ぐには、歩数を極端に上げる必要があるのだ。
では、勲の巡航速度は遅いのか?
否、日ごろから重い荷馬車を引いて大陸横断をする勲である、俺が騎乗しているだけの状態で今の速度であれば休憩しているようなものだ。勲が負荷を感じるか感じないかという程度の巡航速度はかなり速い。ただそこから安全に走行できる最高速までの幅が小さいだけである。
「登りに差し掛かって、少し前走馬との距離が詰まってきたぞ」
「準備運動はここまでだ。手筈通り、旋回中に1.4、立ち上がりから3秒間1.8でいく。バイパスバルブ開け」
以下 没ネタ
ついに王都杯が始まる。
大勢の観客に紛れるように、アキオを注意深く観察する一人の男がいた。
「コンディションは、万全のようだな。相変わらず美しい……まるで魔道具も併せて一つの生き物のようだ」
男はアキオの駆る馬を見て、まるで懐かしむように目を細めた。
「まさか、あの悪魔の血統をまた見ることになるとは……」
男は過去を思い返すように、深く刻まれた顔の傷痕を撫でる。
彼の名はジョン・キターミ、過去に様々な改造馬を仕上げてきた名調教師であった。しかし彼の調教した馬は、ひどく乗り手を選ぶものだったのだ。その結果、騎乗技術が未熟な者に事故が続出することになる。それでも絶対的な速さを求め、ギリギリのチューニングを施した彼の改造馬は一時レースシーンを席巻した。ある騎手は崖から転落し、またある騎手は無理な乗り方で馬を潰し、後続に踏みつぶされた。あるレースで彼の手がけた馬が十頭参加し、一頭しか戻ってこなかったこともあった。それでも彼の手がけた改造馬を求める声は消えなかった。いつしか彼は”地獄の調教師ジョン・キターミ”と呼ばれることになった。
そんな彼に転機が訪れる。ある馬との出会いである。
「(信じられないほどのポテンシャルを秘めた馬だった。そう、まるでアキオの駆る勲のような)」
ジョンは、この馬に全力でチューニングを施す。そして今まで彼が手掛けてきた改造馬とは比較にならない、隔絶した走力を発揮した。しかし彼は、試走中に振り落とされ、その顔に消えない傷を刻むことになった。
噂はすぐに広まる。あの地獄の調教師でさえ御しきれない、化け物が入ってきたと。有名な騎手たちは挙ってその馬を求めた。しかし、この化け物を御しきれる騎手は存在しなかったのだ。その馬は様々な騎手の元を転々とした。その全ての騎手の命を奪いながら。
ある騎手は振り落とされて後続に踏まれ、ある騎手は崖から落ち、あるレースでは行方不明になり馬だけがゴールに帰ってきた。その馬は悪魔と呼ばれ恐れられた。しかし伝説にも終わりが訪れる、ある貴族の息子の命を奪ってしまったのだ。貴族は激怒した、ジョンの店を潰し悪魔の馬の屠殺を命じたのだ。しかしこの素晴らしき馬の死を惜しんだジョンは、全ての魔道具を外し、貴族には内緒で農村に農耕馬として払い下げることにした。
それから数年後。生きがいを失い、まるで抜け殻のように馬車の修理屋を細々と営むジョンの元に一人の青年が訪れた。かつて有名な調教師であったジョンの元に、王都杯出場に合わせて勲の調整を依頼しにきたアキオである。ジョンは、その馬にかつての悪魔の面影を見るのだった。
悪魔は再び走り出す。
「商売は失敗した、嫁は子供を連れて出て行った。何もかも上手くいかない人生だった。だが、そんな事どうでもいい。
アキオ、走り続けてくれ。それだけでいい、それだけで報われる」




