scene.4 カラオケに行きたくない
【cut.1 解明されるカラオケ】
「まずいまずいまずい、こわいこわいこわい」
「どうした」
「週末のクラスイベントが近づいてくる」
「そんなのあるのか。一体なにをやるんだい」
「カラオケ」
「へえ、カラオケか。楽しそうじゃない」
「て、てくな……それまさか本気で言ってるの……?」
「なぜ愕然とする」
「だって、カラオケって、あのカラオケだよ?カラテでもカバディでもなくカラオケ。てっきりどこかの国のマイナースポーツとかと勘違いしてない?じゃなかったら、いずこかの文化イベントだと思ってるとか。コンクラーベじゃないんだよ?」
「カラオケでローマ法王が決まらないことくらいさすがにわかる」
「カタコンベでもないよ?」
「クラスで地下墓所に行くってどんな社会見学だよ。──君が言うカラオケっていうのは、要するに……あれだろ、近所のカラオケ専門店に行ってわいわい歌うやつだろ。若者らしい、青春の一イベントだ。楽しそうじゃないか」
「おおう、やっぱり全然わかってなかったか……」
「なんだ、違うのか」
「違うというか……てくな、そういうところの知識は案外弱かったりするよね」
「それは私も認識している。でも君、そう言うくらいならカラオケについて詳しいんだろうね。ぜひ教えてくれよ」
「このとおり、自分でも怖くて口にしたくないんだけど……そう言うなら教えてあげるよ。カラオケっていうのはね、てくな。いうなれば究極の神経戦なんだ。ニューロンレベルでの集中が必要なんだ」
「それたぶん神経戦の意味が違う」
「たとえばカラオケの間に自分の番が回ってきたら、とにかくあらゆる恐怖と羞恥を克服して大声を上げる。それから自分の番じゃないときは、周囲の作り出すリズムに必死で身体を合わせる。そして一セットごとに、ポイントによる厳しい評価が与えられるんだよ」
「……そんな異国のマイナースポーツ私は知らない」
「カラオケが始まったら途中で降りるなんてもってのほか。密室の中でテーブルを囲み、たがいの顔色を伺いつつ、たがいの腹を探りつつ、だれかがもうやめにしようというまでその場にとどまって声を嗄らしつづける」
「とんだ根くらべだな」
「薄暗い室内に充満する濁った空気。疲れはじめた参加者の顔からは徐々に生気が失われ、気づくと周囲は死人のようにぐったりとした参加者の姿ばかり。そう……この地下墓所に一度入りこんだが最期、もう二度と逃れることはできないんだ」
「でも君、いまここにいるじゃないか」
「そりゃそうだよ。だってぼく、一度もカラオケなんて行ったことないもの」
「こいつやはり全然なんにもわかってなかった」
【cut.2 恐怖のカラオケ】
「ああ、こわいこわいこわい……ふ、ふふふ、きゃははははは」
「妄想と恐怖のあまり壊れはじめたな。さっさと行って楽になれとしか言えないが」
「やっぱり無理だよ……クラスでカラオケに行くなんてこと、ぼくにはできない。心のどこかが氷のように冷たくて、ぎりぎりと締め付けられているような気分がする。とても怖いんだよ」
「この先に地獄の試練を控えているかのような悲壮感だな」
「ここより歌いたい者、一切の望みを捨てよ、と言われているようだよ」
「悲壮どころか絶望か。──よくわからないが、大勢なら別に行っても歌う必要はないんじゃないか?座って聴いとけばいいんだよ」
「……でもそれだと自分が何点なのか分からないし」
「そこは興味あるのか面倒なやつめ。望みを捨てるどころか微妙に期待してるじゃないか」
「絶望のうちにどうしても希望を見出してしまうわけだね。それがすべて人間の悲惨をつくりだすとも知らずに」
「いや週末カラオケで遊ぶ予定の高校生がなにを言ってるの?」
「それにそもそも、少しくらい期待がないとクラスの集まりなんて行かないよ」
「まあ、それは健全な考え方だとは思うが……でもそれなら逆になにを嫌がってるんだ」
「知らない人がたくさんいる」
「いません。クラスイベントのカラオケになんで知らない人がたくさんいるんだよ。怖いだろ」
「いやいや、クラスで会うクラスメイトと、カラオケで会うカラオケメイトは全然別人だよ?ところ変われば品変わるって言うでしょ」
「そう言うのがこの場合に適当かどうかはさておき、カラオケに行って人格が変わったらそれこそカルト儀式だよ。カラオケメイトっていう謎の言葉が余計に気持ち悪い」
「おかしいな。ぼくの情報では、カラオケに行ったとたん普段はクールな人でも突如として絶叫したり号泣したりするらしいんだけど」
「そこは受け入れてやれ」
「でも、少なくともみんな態度とか行動とかは変わってくるよね。周囲の空気が違うし。それにカラオケに慣れてるみんなと慣れてないぼく、ここには大きな隔たりがあるわけだよ。ぼくだけ異邦人なんだ。これは否定しようがない」
「ああー、そういうことか。はじめて高級フレンチを食べに来た田舎者、みたいな感じだな。場慣れしてない」
「うん。でもその中でも、とりあえず食事には興味があるけど、その場の独特な雰囲気とか気の利いた会話とかは死ぬほどどうでもいいタイプだよね」
「なんかそう言うと厚かましい感がある」
「でも、今のぼくに必要なのはむしろそのふてぶてしさなのかもしれないよ。フレンチを味わうために片っ端からメニューを注文して、つまんでいくような」
「マナーは守れ」
「外面を気にしてばかりの連中は中身を重視しないからダメなんだよ」
「君は自分の関心に寄りすぎて常識が無いからダメなんだよ」
「どんなものかと思って来てみたら、結局大したことないパターンだよね。カラオケなんて素人の遊び。あんなところのマイクなんておもちゃの無線機以下」
「……君もう引きこもってたら?」
【cut.3 カラオケ攻略チャート】
「さて、なんだかんだで未知の領域KARAOKEに踏み込むための準備がだんだんと整ってきたわけだけど」
「今までのどこにそんな前進があった」
「わかってないなあ。心の準備って言うでしょ。これまでの心理過程はある意味、本番のシミュレーションにもなってたわけだよ」
「君の思い込みが変な方向にねじ曲がっただけのような気がするが」
「とはいえ、実はまだ不安要素が残ってるんだよね」
「不安要素ね……なんだい」
「脱出のタイミングがわからない」
「帰るタイミングな。明らかにみんなが帰るときだよ。どこに悩む要素があるんだよ」
「そうやって周囲に流されてたらずるずる引き込まれちゃって、朝になるまで帰ってこられないかも」
「朝になったら帰れるんだからいいじゃない」
「またそんな恥じらいのないことを言って!」
「君は意味もなく恥じらいすぎなんだよ。うら若い乙女じゃないんだから」
「なんかこう、密室の向こうにさらにもうひとつ密室があったりするんじゃないかしら。怪しげな色の煙が立ち込めてる感じの」
「確認するけど君、クラスイベントって言ってたよね?その割にさっきから健全なイメージが出てこないのはなぜだ」
「やっぱり……はじめてだから……いろいろ想像しちゃうというか……」
「まあ不健全な子ですこと」
「でも本当に騙されてるのかもしれない。闇の組織が裏で動いてる可能性もある。延長工作を陰で繰り返してるとか」
「延長くらい付き合ってやれよ」
「どこかからカメラで監視してるとか」
「防犯システムにいちゃもんをつけるな」
「来る人みんな歌がうまいのを隠してて、今も必死の特訓を重ねているかもしれない。ぼくに勝ってあざ笑うために」
「だからその、ちょっと現実離れしてるマイナースポーツ漫画のノリはやめろと……」
「送り込まれた十数人の刺客。それぞれ持ち歌のジャンルが異なり、特有の声域で攻め立ててくる」
「悪乗りもしなくていいから。……でもそれだと意外に少ないんだな、来る人数」
「もっと少ないかもね。強制参加じゃないし、やっぱり基本は友達同士で集まるし」
「そこに君が参加……というのは、今度は一体なんの罰ゲームなんだい」
「あれ!?ぼくがその友達サークルの一人だという可能性は」
「友達だったら君がそんな不安を感じるわけがないからね」
「鋭い」
「べつに鋭くはないぞ……」
【cut.4 カラオケに行きたくない】
「じつは無理やりといえないこともない」
「やはり自由意志ではなかったか」
「けっこうアウェー感もある」
「さっきから怯えていたのは、むしろそのせいだね。このさいカラオケに慣れてるかどうかは重要ではないんで、君が抱えているのは単純に対人的な不安だろう」
「かもしれない。でも映画館とかなら、どんなに馬が合わない人と行ってもストレス感じないと思うけど」
「そりゃ黙ってスクリーン見とけばいいからな。あれはあれでその前後が大変なんだよ。──君、この先だれかと一緒に行くとして、ぼけっと映画だけ観て帰って来たりするんじゃないぞ」
「この余韻をどう言葉に表そうか……みたいな雰囲気を夕焼け空の下で演出すれば、下手なトーク無しでも乗り切れる、かも」
「私は君のそういう、とりあえずイメージ先行で未来の戦略たてるところが心配なんだがな……隣にいる相手がその夕暮れに目もくれずにいるということもあるわけだよ」
「うん。現実はそんなふうにいかないよね。思ってる通りには進まない」
「現実が車のようなものだとすれば、人はその車輪でしかないからね」
「正直に言うよ。実、なんかまた変な不安感が戻ってきた。なんでだろ」
「……あのねえ、れん。君、やっぱり行かないほうがいいんじゃないか?なんとなくだけど、さっきからその不安が私にも伝わってきて居たたまれないんだが」
「ええ、そんな感じだった?ごめん」
「だって今日ずっと君がボケてるんだもの」
「そこで判断!?ぼくもう喋れなくなるよ」
「なにを喋る必要がある?」
「なんでも。思いつくだけ」
「違うね。君はすべてを話してはいない」
「無理してるって言いたいんだね」
「……現実を笑い飛ばすユーモアを忘れてはいけないが、その笑いは自然に出てくるものじゃない。それは思考の結果だ。ということは結局のところ、現実を見る色眼鏡でしかないんだ」
「じゃ、頭をからっぽにできる?」
「できない。でもシンプルに考えることはできる。対象にかけるイメージの負荷が大きいほど、必ずあとで反動が来る。それなら、はじめから逃げて関わらないほうがいいと私は思うね」
「それは、たしかにてくなの言うとおりだよ。でも……」
「言葉を変えよう。君はなにかをしないということを、自分の意志で選択することができる。取ることと捨てることは、同じだ。そして君も、生活の中でなにかを選ぶことが重要だってことくらいは、認めてくれるだろうからね」
「でも、そういうふうになにかを選ぶのって、すごく難しい気がするよ」
「なぜ?」
「なぜか……だって、自分の嫌いなものや苦手なものがイコール不要なものじゃないでしょ?でも困ったことに、それが毒になるか薬になるかは、飲んでみないとわからない。──つまり、なにが自分にとって大切で、なにがそうでないかがまだよくわからない。たぶん、ぼくがまだ自分のことを知らなさすぎるんだと思うよ」
「私には理解できない考え方だ」
「うん、だよね、そうだろうと思った」
「だがそれをいう君のことは理解できる」
「てくな……ありがとう」
「なにも言う必要はない。あとは君の好きなようにしたらいい」
「好きなように、か。──それじゃ、やっぱり行ってくるよ。この先の試練へ」
「うん、カラオケにな」
「そう、カラオケへ……カタコンベでも、コンクラーベでもなく、カラオケ……?」
「カラオケだな」
「おかしい。たかがカラオケ……なにも心配することはない気がしてきた」
「不安は消えたようだね。たまには大きな話もしてみるものだ」
「……夜空の星効果か!」
【cut.5 カラオケに行こう】
「これで君の言うアウェー感とやらが消えたわけではないが、それはそれとしてだ。仮に今回は疎外感があって楽しくないとしても、適当にニコニコして帰ってくればいい」
「楽しそうに、ね……いちおう相手は呼んでくれたわけだし」
「さっき無理やりとか言っていたね」
「無理やりだよ。どうしても来いって言ってて。ぼくに言うまえから席はもう取ってあるとか、いまなら格安だとかキャンセルできないとか」
「カラオケ店の予約はそんな航空会社みたいなシステムじゃないと思うが……でも、なんか私の想像と少し違っているな、その聞いた感じだと」
「想像って?」
「私はてっきり、君がまたなにか痴態をさらし、それで弱みを握られた挙句に異性からいいように弄ばれてるのかと」
「うわあ、それなんか誤解を招く言い方!たしかに最近そんなことあったけど!」
「ところが今の話を聞くかぎり、どうも今回はからかい半分の遊びではないらしい」
「いやでも、なんか女子の感じが怪しいのは一緒だよ……例によって挙動不審というか……なんか騙されてるんじゃないかという気がするよ」
「あー」
「え、なに、またユーロが下がった?」
「いま世界経済のことなんて考えるか。そうじゃなくて──つまり、クラスイベントだからってことで、どうしても参加してくれっていう女子が何人かいるのか」
「そう……かな。そうだよ」
「あー、あー」
「なに?また欧州銀行が……痛い。なんで叩くの」
「いや、なんでも。ちょっと静かにしてなさい。……まあ、女子に誘われるくらいなら平常運転か……だが雰囲気というものもあるしな……しかしカラオケとは……よく考えると密室だよな、あれ……」
「なんかぶつぶつ言ってるけど……巨大企業の談合でもあったんでしょうか」
「ときに君、カラオケの密室性について考えてみたことはあるか?あるいは密室のむこうにもう一つ密室が存在する可能性はどうだ?それとも密室の定義から始めたほうがいいか?」
「定義!?ごめんてくな、ちょっと付いていけない」
「そうだな、ちょっと落ち着こう。冷静に考えよう。つまりこれはいたって平静かつ沈着に質問するわけだが……君、参加する男子のほうはどうだ?」
「どうだ?ええっと、どうだって、なにが」
「いやつまりだ、君をその……変な目で見てるやつとかはいないのか?見られて居心地の悪さを感じたりとか?」
「ええ?わからないよ……最近は馬鹿にされるようなことしてないと思うし。でも今のクラス、男子はけっこういいやつが多いと思うよ。やさしいというか」
「や、やさしい……」
「暖かさを感じるというか。まあ、女子もそうなのかもしれないけど」
「れん。君は、他人をもっと疑ってかかるべきだ」
「あれ!?さっきまでと真逆のこと言ってる」
「君が言ったように、外面ばかり気にする連中は内面のクオリティの低さに気づかないものだ」
「クオリティはあくまで低いのか」
「いや……すまない。もちろんそれが本意ではない。だが、ちょっと君の環境を私はよく理解していなかったというか、早とちりしていたようだ。正直なところ、軽く恥じ入っているよ」
「あの、てくなさん?」
「君がクラスでそうやって好かれてるとは、私は知らなかったんだ」
「……ええっと、ぼくは、そんなに深く話したこともない人から好かれてるとか嫌われてるとか、思わないよ」
「んん、ここにきて君らしからぬ返答を……というか、それ、ほんとうに?」
「思わない、思わない。考えたこともない」
「そうか……ふっ、それならまあ、今回は互いを知るチャンスというわけだ」
「だね。なんか結局、当り前の結論にたどりついたみたい」
「ま、その程度で築ける浅い関係になにか意味があるのかと言われれば微妙だがな」
「今日の結論を根本から否定してきた」
「だが君、カラオケは楽しんでくると良い」
「ん、そうだね。やれることはやったし、心残りはないかな……」
「それに今日はもう遅いし、そろそろ帰るか」
「うわあ!ちょっと待った!」
「どうした」
「いや、ここにきて思いついてしまったよ、ぼくは」
「表情を見るに嫌な予感しかしないな……それで、どんな「良いこと」に気づいたんだい」
「……さっき、てくな、ぼくが場慣れしてないって言ってたよねえ。ということはつまり!」
「つまり?」
「──いまからカラオケに行って慣れればいいんだよ。デートしかり、仕事の打ち合わせしかり、なんでも現場の下調べは事前にするもの。なんでこんな簡単なことを思いつかなかったんだろう」
「ほうほう、それは思いついてよかったな。じゃ、私はユーロの動きが気になるのでこれで……って、こら、手を離せ、手を」
「てくなまさか、ぼくのカラオケメイトになってくれないなんて、言わないよね……?」
「しかもなんか単純に気持ち悪い!なんかもっと別の台詞あっただろ、いま」
「はじめてカラオケ行って、久々に大声を出す。うん、ちょっとわくわくしてきたかもしれないよ」
「あのなあ……言っとくが、私、歌なんて歌えないぞ?」
「いいんだよ。ダンスも楽器も、絵を描くこともみんな一緒。技術は問題じゃないんだ」
「ふむ、その台詞は悪くないな。……乗った」
「──こうしてついにカラオケに足を踏み入れる準備は整ったのだった。てくなという、心強い仲間を加えて……」
「恥ずかしいナレーションはやめろ」
「To be continued...」
「もうわかったから手を離せ!」