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鎮守の山  作者: 村良 咲
20/35

過去から

「ここで待ってて」 

清龍寺神社から帰ってきてハルの家の裏の堤防まで来た時、ハルはそう言って僕にラッキーのリードを寄越していったん家に入ると、しばらくして『5年生の科学』の本を持って出てくると、「はい」と、差し出してきた。

「えっ?これ貸してくれるの?5年生の?」

「違うよー。ほら、これ貸して欲しいって言ってたでしょ」

おどけるようにそう言うと、それが挟んであるページを僕だけに見えるように開いた。

周りには誰もいないのに、そこまでこっそりとする意味って、あるのかなと思い、可笑しくなったけれど、そこに挟まれた、何枚かの色褪せて開いたら破れそうな古い紙と束を見て、一瞬にして笑みが消え、身が引き締まった。

「本ごと持ってっていいよ。あっ、それ、ノートみたいになっているほうを先に読んだ方がいいよ」

「うん、わかった。じゃあ、これ借りるね」

そう言って、リードを腕にかけて本を受け取ろうとしたけれど、その手が震えているのが自分でもわかった。

そんな僕を見て、ハルが本を持つ僕の手を自分のそれぞれの手で震えを止めるよう握った。

「真生君、大丈夫?」

僕の手を握るハルの手の温かさを感じて、力が抜けるのと同時に、別の意味で震えが始まった。

またあの天使の絵が頭の中に思い浮かび、それがハルと重なり、僕は顔が熱くなり、それは心臓の音と連動して、その音は僕に何か特別な気持ちを与えてくれた。

「ありがとう。大丈夫だよ。遅くなるから、もう行くね」

「バイバイ」

「バイバイ」

手を振るハルに向かって、同じように手を振ると、僕は一度も振り向くことなく小走りで家まで行った。

いきなり走り出したから、ラッキーの走り出すタイミングがずれて、その重みが腕にグッとかかって、その重みでラッキーがいることを思い出したほどだった。

「ごめんよ。お前のこと忘れてたよ」

玄関を入ると、靴箱の上に本を置き、家を出るときに用意しておいた濡れタオルでラッキーの足を拭いてやると、ラッキーは待ってましたとばかりに、リビングへ入って行った。

「真生、帰ったの?手洗いうがいしなさいねー」

台所からお母さんの大きな声が聞こえてきた。外から帰ると毎回同じセリフを聞いているから、もう言われなくても習慣になっているのに、まだしつこく言う。

「わかってるよ」

 お母さんに聞こえたかどうかわからないけどそう返事をすると、僕は洗面所に行ってタオルを洗うとそこへ置き、石鹸を使って手を洗った。

僕は石鹸をよく使う。手が汚れているのは嫌いで、ちょっとした汚れやトイレの後でも、ちゃんと石鹸を泡立てて洗う。そうしないと手が綺麗になった気がしないからだ。

しょっちゅう洗うので、冬は手荒れがするほどだ。

 そうして石鹸で洗っていると、ふと、さっきハルに手を包まれたことが頭をよぎった。

あっと思い、すぐに泡を洗い流してタオルで拭くと、胸元に持ってきた右手の甲を左手の手のひらで、ハルが包んでくれたようにしてみた。

その自分の手の感触は、ハルの手を思い出すのには硬く骨ばっていて、けれど目を瞑ってハルの手を思い浮かべるには十分に事足りた。

いつもなら、誰かにこんなふうに手を触られたら、その手が綺麗かどうかわからないから、手を洗うのだけれど、ハルの手に包み込まれた手を洗ってしまったことに、一瞬後悔に似た気持ちを持ったことが不思議だった。

ハルの手は、山へ行くときも帰ってくるときもそこらじゅうを触って、まだ洗ってもいなく、決して綺麗ではなかったはずなのに。

 しばらくそうして自分の右手を左手で包み込んでから、そうだ!と、靴箱の上に置いた「5年生の科学」を取りに行き、そのまま2階の自分の部屋に上がった。

部屋に入ると、机にそれを置いて、椅子に座ると、まずハルの触れたその表紙を両方の手のひらで撫でると、その手をまたさっきと同じように、交互に自分の手を包みこんで、ハルの温かい手を思い出していた。

「なにやってんだ」

自分で自分にツッコミを入れてから、そうしている間もずっと意識の中にあった、そこに挟まれている手紙とノートを取り出してみた。

 ハルはノートの方から読んだ方がいいって言っていたなと、まずノートになっているほうを開いてみた。


 水道山の防空壕から帰るときに、あの洞窟を見つけた。

 大きな2本の木で隠すようにしてあることに、何か意味があるのだろうか?

 大きな木と、周りの鬱蒼とした背の高い草で、そこに洞窟があることに気付く人はいないだろう。

 今度みっちゃんと、洞窟の中に入ってみようと約束した。


 洞窟の入り口がわかるように目印をしておいてよかった。

 今まで気づかなかったほどで、目印さえ見つけるのが困難だった。

 木の後ろに回り込み、人が一人入れるかどうかの隙間に身体を滑り込ませ入ってみると、入り口は人が一人やっと通れるほどだけれど、入るとすぐに空間は広がった。

 奥へ行くほど暗くなる。ろうそくでも持って来くればよかった。

 途中、道が二手に分かれている場所がいくつかあり、行ったり来たりした。

 みっちゃんが暗くて怖いと言うので、ずっと手をつないで進んできた。

 そのうち、道が上り坂になっていることに気付いた。

 どこから上っていたのだろう。だいぶ進んできたはずだ。

 もともと、洞窟の入り口は水道山の中腹近くだった。

 洞窟の中は薄暗いから、ほぼ真っ暗で、みっちゃんが、もう戻ろうと言ったけれど、もう少しだけと進むと、足先が何かに当たった。

 行き止まりかもと、手を前に出してみても壁はない。

 しゃがんで足に当たったところを触ると、階段のように、段々になっていた。

 みっちゃんと手を離し、しゃがんで手を階段に乗せるようにして、

落ちないよう気をつけて上りはじめると、すぐに目が慣れてきたのか段が見えるようになり、目が慣れたのではなく、薄明かりが上の方から下りてきていることに気付いた。

 みっちゃんも気づいたようだ。

 階段を上りきると、身体がやっと通るくらいの大きさの扉ようなものがあったので、そこを開け這い出した。

 すぐに、かなり高い場所にいることに気付いた。

 這い出たところは、入ったところよりも草木が生い茂り、道のようなものがかろうじてわかるくらいだった。

 そこを下るように数歩行くと、山肌に出ると同時に横の方にまた祠があることに気付いた。

 その祠の下はものすごく急な階段になっていて、階段の下には鳥居がある。

 鳥居の向こうには、神社の本殿のようなものが見えた。

 ここは、どこかの神社の本殿裏にある階段の上の祠のようだ。

 その祠の前に人がいた。私たちは神様に出会ってしまったのかと思ったほど驚いた。

 神様も同じくらい驚いたようだった。

 神様の名は恵信といった。


 えっ、恵信?

恵信という名前には聞き覚えがあった。


神様が、よかったらまたお参りに来てくださいと言ったので、みっちゃんに行こうと誘ったけれど、みっちゃんはあの日で懲りてしまったようだった。

 私は一人でも神様に会いに行こうと思う。

 山道を行った方が明るくて歩き安いけれど、かなりの距離になる。

 洞窟を行く方が早いけれど、一人で暗い洞窟を行くのは不安だ。

 でも神様に会うのに簡単なはずはない。


 会うたび、神様への想いが強くなっていく。

 叶わぬ恋というものを、まさか自分がするとは思わなかった。

 毎日でも会いたいけれど、毎日お参りに行くと言うのも難しい。

 自制しなければと思うけれど、神様も同じ想いと知り、苦しくなる。


 読み始めると先が気になって、一気に読んだ。

それにしても、こんなものが書き残されていたなんて、これを読んだハルがその場所が気になって探してみたくなるのもわかる。

 それにしても、恵信とは・・・聞き覚えがあるのも当たり前だ。

恵信は、僕の曾お祖父ちゃんのことだと思い当たった。

 そうか・・・あの天使の絵、あれはハルの曾お祖母ちゃんだったんだ。

ハルの先祖かもしれないと思ったけど、曾お祖母ちゃんだったとは、どうりでハルに似ているわけだ。

『神様も同じ想いと』と書いてある。

あの天使の絵は、たぶん曾お祖父ちゃんが書いて、それをずっと大切に持っていたんだな。

 そう思うと、胸が少し熱くなった。

清龍寺神社の神主をやっていた曾お祖父ちゃんが、ハルの曾お祖母ちゃんとこんな形で出会っていたことを知り、そして今、神主の後継ぎになる決意をした僕とハルが、このノートが縁で今までとは違う関係性を持てたことに、なにかしらの強い縁を感じていた。

 そう思いながらも、伯父さんの家の仏間にある写真の中の曾お祖母ちゃんの顔を思い出し、少しだけ寂しい気持ちになった。

 ノートを読み終わると、次に手紙を取り出した。

もう破れてしまいそうな古い手紙は3枚あった。


誠子様

 先だっては、あのような場所からあなたがお友達と出てこられて、大変驚きました。

 お勤め中だったわたしは、天女でも現れたのかと思ったほどです。

 あの時はわたしも驚きましたが、あなたの驚いた顔もわたしの目に焼き付いてしまいました。

 あの日から、あなたのことが忘れられません。

 あのあと、よかったらまた来てくださいというわたしの言葉を受けて、ふたたびわたしに会いに来てくださったあなたに、わたしがどれほど感動したことか・・・

 今はただただ、想いは募るばかりでございます。 

                             恵信


誠子様

 会いに来てくださって、ありがとうございます。 

 お会いできる日を指折り数える日々を過ごしておりました。

 それなのに、いざ顔を合わせてしまうと、口下手な私は上手く言葉を出せません。

 一緒にこの高いところからの景色を眺め、ただ、隣に座るあなたの息遣いを感じるだけで、幸せを感じているのでございます。

 私はこれからも毎日、同じ時間にここに参ります。

 あなたが来ても来なくても、ここから同じ景色を眺める時間を持つようにいたします。

                            恵信


誠子様

 会いに来てくださって、ありがとうございます。

 そして、先だっては誠子さんの握ってくれたおにぎり、大変おいしゅうございました。

 遠くの景色を眺めながら2人で食べたおにぎりの味を、わたしは決して忘れないでしょう。

 あなたの横にいるとき、あなたの手の甲とわたしのそれとが触れることがございます。

 そんな時、ふとあなたの手を握ってしまいそうになります。

 そのあなたの手が握ったおにぎりを一緒にいただけたのは、まるで夢のようでございました。

 あと何度、こんな日をわたしのものにできるのでしょうか。

                             恵信


 おにぎりか。

そういえばあの似顔絵と一緒に入っていた手紙に、また一緒におにぎりを食べたいとか書いてあったな。

あの手紙、この誠子さんに宛てて書いて、でも誠子さんに渡ることはなかったのかもしれない。

 曾お祖父ちゃんは誠子さんとおにぎり食べられたのかな?

誠子さんと一緒に、誠子さんが作ったおにぎりを食べられていたらいいなと、曾お祖母ちゃんの顔を思い浮かべながらも、僕はそう思った。



 

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