再起
私は読み終えた原稿用紙を封筒へ入れた。読み始める時の姿勢のまま最後まで読み終えた私は大きく息を吐いた。溜息にしてはあまりにも大きいその一息は私の胸に生じた様々な感情を一旦外へ出してスッキリしようと力んだことによって生じたものであり、そうして吐き切ると私はベッドに寝転んだ。
用意したメモ帳は白紙のまま、メモ帳の存在すら忘れさせる程、雀の批評文には悪意の塊、いや愛情と言うべきか、情けと言うべきか…私の胸を気持ちのいいくらいに切り裂いていったその批評文に、私はどうしても反論することが出来なかった。
そうだ、私は背伸びをしていたのだ。千年万年雀は雀…私はあの哀れなカラスもどきの雀なのだ。粋がる田舎者なのだ。
それにしてもなんという批評文だ。読み手である私の心理を上手く先読みしたような構成である。序盤で油断させ中盤で急襲、その後に自らの正当性を論理的に説明し証明。厳密に言えば「正しいと思わせる論理で証明」だ。急襲に怒る私はその論理の前ではどうすることも出来ず、心底困り果てたのを見計らって「さてと、この作品の批評をしていこう」という最後の批評の部分だ。ここで私の敗北は決まった。私の敗北を決定付けたのは最後の批評に込められた「雀の情」。私はこれにやられてしまったのだ。
諸君は誰かに怒られて泣いてしまったことがあるだろうか。私も数えきれないくらい怒られてきた、そして泣いてきた。しかしその泣いた瞬間というのは決して怒鳴られている最中ではない。相手が最後に見せる優しさで泣いてしまうのだ。怒られている最中はその怒鳴り声にビビり上がったり、なんやらで泣く暇なんか無く、その後で相手から「これからはちゃんとやるんだぞ、信頼してるんだからな」とか「もう大丈夫だな、お前なら大丈夫だ」とかいうことを優しい口調で言われると急に涙があふれてしまいそれを見た相手が「まぁまぁ泣くなよ」とか「自分もちょっと言いすぎちゃったからなぁごめんなぁ」なんて追い打ちをかけるように優しく言ってくるともうダメだ。アメとムチというやつだ。緊張で張りつめていた神経が一気に解されたようなあの感覚を最後の批評の部分を読んでいる時に感じたのだ。
「必要以上に執着し観察し追求すればいい。他人が見落としたり、捨てたりした美味しいところを持っていけばいい。泥まみれになって這いつくばるがいい。美というのは清潔であるとは限らないのだ」
嗚呼、なんと暖かい言葉だろうか。この一文で私は本当に泣きそうになった。今すぐこれを書いた雀に会ってこの感激を伝えたい。あの雀が言う通り、私は美に拘りすぎておかしなことになっていたのかもしれない。あの作品を書き終えた時、達成感よりも疲労感が体を支配していたのはまさしく私が背伸びを続けていたからであろう。それに気づかなかった私の愚かさとそれを見抜いた雀の洞察力…これが乙女の勘というものか…乙女…雌雀…女…。
「女は恐ろしい…」昔から男が言っていることだが私はこれをここまで強烈に感じたことは未だ無かった。
結局私は雀の、いや、彼女の批評文に翻弄されていたのだ。しかしもう彼女のことを悪くは言うまい。田舎者だとか臭いだとか不潔だとか言ったって心の奥の奥のさらに奥のほうでは私を思ってくれているはずだ。それは愛ではなく憐憫である。しかしそれでも構わないのだ。私の作品に真剣に向き合ってくれたことが嬉しいのだ。そして私の今後の飛躍の為の叱咤激励は先程までは「たかが雀になにがわかる」と不快感、そして怒りを感じていた。しかし今では違う。私みたいな素人作家にここまで言ってくれる奴なんてそうはいない。自身でも薄々勘づいていて、しかしその正体をはっきりと捉えられない、そういう問題点を的確に指摘、改善法まで教えてもらった。
彼女は私に対して怒りの感情を抱いていただろう。それは彼女の手紙や批評文の随所で確認出来る。しかし考えてみれば本当にその一心だけだろうか。その一心だけであれば私に助言なんかしないだろう。怒りとは別の違う感情が批評文を書くにつれ彼女に芽生えたのだろう。いや、もしかして始めからそうだったのかもしれないがそれは私の推測なので事実は彼女に聞かなくてはわからないことだ。
諸君は「あーあ、雀の思うつぼだよ、バカだなぁ」なんてせせら笑ってるんだろう。私はそれで構わない。どうせ部外者にはわからぬことだ。今、私と彼女との間には敵意以外の尊いものが生まれているのだ。その証拠に私はもう一切怒りの感情を抱いていないし、彼女の批評文の最後には「確かに始めのほうなんかは悪意を込めて書いていたが途中からは本当に作者のことを思って書いたのだ。」と自らの心境をこう綴っているではないか。
さて、私は今後どうするべきか。まずは創作に取り組む姿勢を見直そう。汗臭くならないよう、常に心身ともに清潔であるべきだ。そう清潔に。嘘や見栄を取り去った本当の私、これこそ清潔…。
「ありがとう、雀よ。この恩は必ずいつか…。」
彼女の置き土産であるビー玉を爪切りや耳かきを入れてある小箱から取り出した。
無色透明の傷ひとつない綺麗なビー玉だ。
それを彼女の手紙と批評文が入っていた封筒にしまい本棚にしまった。
そうして私は「よしっ」と気合いを入れ早速原稿用紙を用意し新たな作品を書き始めた。
創作意欲というのは素晴らしい作品に出会ったときに電気が走ったようにビリビリと刺激されるのだ。