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ある雀様へ  作者: ラッコさん
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雀の批評文

さて、私のような平凡動物が「この世で一番偉い生物」とされる人間様が執筆なさった作品に対して批評を行うというのは、何だか罰当たりな気がしてならない。しかし相反して「よし、やってやるぞ」とワクワクしている自分もいる。

普段から人間様、いや、ここはもう人間と呼ばせていただこう。人間にはいろいろ思うことがあったのでこの機会を利用していろいろ言わさせていただこうかなと企んでいる次第である。



さてと、まずはこの事件の真相に迫ってみよう。

このフン事件、作品の主人公、つまり作者にフンを落としたのは私なのだ。

あの日のことは今でもよく覚えている。私の他に友達の雀が2羽いたと思うが、その日、私を含めた3羽は道にパンを広げて食べていたのだ。

「パンを広げる」と言っても人間には理解しにくいだろう。例えば大きなパンを3羽でつついて食べると後々トラブルになりやすいのだ。「私はこれだけしか食べてない」「いや、私の方がもっと食べてない」となりがちなのだ。醜い争いだなぁと人間は思うでしょうが私たちからしてみればたかが土地の奪い合いでミサイル撃ったり戦車走らせたり、金のことで刺したり刺されたり、騒音がうるさいと叫んだり、叫び返したり、つくづく人間は醜いなぁと動物同士で話してますよ。

パンの話に戻ろう。そこでまずは大きなパンを細かく細かくするのだ。んで粉末状に近い形にしたらそれを地面に広げる。偏り無くまんべんなく広げる。広げ終わったらそれぞれのテリトリーを決める。ここからここは私、ここからここはあなた、という具合だ。ここでも「あれ?私のテリトリーだけちょっと狭い」ということになりやすいのでみんなで話し合いながら慎重に決める。あとは食べるだけ。自分のテリトリー内のパンは全部食べてしまっていいのだ。当たり前だが他人のテリトリーに入るのは絶対にダメである。

私たち3羽は比較的仲が良いのでテリトリーなんか決めずにのんびりとお喋りしながら食べていた。雀が普段どんな会話をしているのか気になるでしょう。とは言っても別にそんな変わった話をするわけではない。人間と同じようなことを話している。恋の話だったり噂話だったりおすすめのグルメスポットだったり。もちろん嫌いな奴の悪口なんかで盛り上がるときもある。人間に対しての悪口トークは結構盛り上がる。



いつものようにお喋りしていると向こうの方から人間が1人近づいてきた。

なんだが眠そうな顔で覇気が無く、足取りもフラフラしてて危なっかしい。

少し話は逸れるが、人間はどうしてあんなに朝、辛そうなのだろう。午前8時くらいに駅前で観察してるとよくわかる。学生も会社員も若者もみんな覇気が無い。眠そうな顔でダラダラと歩いている。これから仕事や学校だから憂鬱になっているのだろう、ってことはわかるがそれでも朝起きてご飯食べて太陽の光を浴びてればあんな風にはならないはず。私も寝起きはボーッとしているが太陽の光を浴びてればその内目も冴えてきて「今日はアレをしよう」とか今日1日のことを考えてワクワクしてくる。しかし人間はそうでは無い。もう魂が抜けたようなのだ。そんなに仕事や学校が面倒なのだろうか。そんなに辛い所なのだろうか。私は学校や仕事を経験したことがないのでわからないが、私はいつも羨ましいなぁと思っている。私だけではない。私の友達も近所に住む犬のジョンさんも野良猫のハラ姉さんも「人間は仕事や学校があって羨ましい」と言っている。動物世界では学校や仕事というのは存在しない。警察犬とかモデル犬なんてがいるがあれは特殊なものなのでほとんどの一般動物達は人間でいうところの「無職、無学歴」なのだ。学校へ行って色々な知識を学んだり、世の為に汗水垂らして働いて給料貰って美味しいものを食べたり、嗚呼、来世は人間になりたい!と私たち一般動物達は就寝前に神や仏に祈るのだ。

それだけではない。私は人間になってやりたいことが山のようにある。

オシャレだってしてみたい。人間みたいに色々な洋服を季節ごとに着こなしてみたい。

ステキな恋もしてみたい。「人間の恋は本当にドラマチックで映画のようよ」とカラスのモネガ婆さんが言っていた。嗚呼、ドラマチックな恋!雀である前に一匹の乙女としてこういうのに憧れるのは当然だ。

他にもやりたいことはたくさんある。しかし挙げるとキリがないのでこの辺にしておくが、本当に人間は幸せだと思う。人間の人生には楽しいことが詰まっている。人間として生きているとそういうことに気づかず毎日を憂鬱に過ごすのだろうが、私は言いたい。人間よ、君たちは幸せ者だ。


さて話を戻そう。

近づいてきた男も他の人間同様、魂の抜けた、しかも他の人間より一層眠たそうで、ゾンビのようなノソノソと、フラフラとした歩き方で本当に危なっかしいのだ。「歩きながら寝てるんじゃないかしら」「あんなアホ面今まで見たこと無いわよ」なんて私たちは彼を小馬鹿にしてケラケラと笑っていた。

さてそのアホ面男…じゃなくて彼は私たちの存在に気づいたのかじーっとこちらを見つめてくる。

「気色が悪いわね」「文句あるの?!このアホ面!」なんて言ってみましたがまぁ雀の言葉など人間に通じるわけもなく、まぁ距離もまだだいぶあるししばらく放っときましょう、ということで私たちはお喋りを続けた。

だんだん彼が近づいてくる。私たちは警戒モードに入った。人間にはわからないと思うが私たち雀には通常4種類のモードがあるのです。


寝てる時や寝起きのぼーっとしてる時の「無意識モード」通称0。

何も考えずに過ごしている「通常モード」通称1。

辺りに気配を感じたり、敵を遠くで発見した場合の「警戒モード」通称2。

敵が攻撃してくる、大きな物音がした場合の「逃走モード」通称3。


だいたい雀は普段1か2の状態で過ごしている。仲間同士で「ここは1でいいわね」とか「2よ!向こうに人間がいるわ」と周囲の状況をしっかり把握し、お互い声をかけることで万が一敵が襲ってきた場合も全員逃げることが出来るのだ。


彼が近づいてきたときも私たちは「2ね」と確認しエサを食べながらも彼の気配をしっかり捉えていた。

しかも彼はうっすら笑みを浮かべていたのだ。嗚呼、気持ちが悪い!そして彼と私たちの距離はどんどん近づきそろそろ逃げようかと思ったその時、彼はついに本性を現したのだ。

彼は突然「あら。かわいいねー」と言いながら私たちに勢い良く近づいてきたのだ。「3!」と私が言ったと同時くらいに友達も「3!」と叫んだ。もう1羽の友達も「3!」と叫んだ。私たちは無事に逃げることが出来た。



さて、彼は作品の中でこの時の様子をこう書いている。(やっと批評文っぽくなってきた)

「そして案の定、逃げられた。」

「「逃げられる」というのはどんな場合でも悲しいもんである。彼女だったり運だったりチャンスだったり…。」

「先程までの胸のときめきは跡形もなく消え去ってしまった。ときめきで一杯だった胸の中は空っぽになってしまい、ただその隅の方に小さな「寂しさ」がひっそりと座っているだけだった。」


彼は私たちに逃げられてさぞ悲しかったのでしょう。寂しかったのでしょう。最後の「先程までの~」の文なんか一見オシャレだが(どうせ偉大な文豪のスタイルを似せて書いたのでしょう。しかしオシャレとは真似ることではありません。)雀に対して「あら、かわいいね」と声をかけるなんて奇怪な行動をとる人間が書いた文かと思えば、みなさんどうだろう?気持ち悪くないだろうか?

そして「私は雀に何かをしようとしたわけではないのに、こんなに愛くるしく思っているのに、あんな大慌てで逃げるなんてちょっとヒドいんじゃないか」と器の小さい男のような小言が文から感じられる。それは上記の文だけではない。この作品には彼の「器の小さい男」的な要素、エッセンス、エキス、体液が散りばめられている、いや、「ばらまかれている」と書いた方がより不潔な感じがしていい。


この作品に対して全体的に言えることは「一文一文が不潔」ということだ。「スマートに書こう」という思惑が随所に見受けられる。しかも容易くそれを見つけられるのだから、カッコ悪い。スマートに書こうとああでもないこうでもないと試行錯誤を繰り返し、額からは苦悩の汗が滝のように流れ出し原稿用紙にポタポタと垂れる。次第に紙はふやけてしまい書こうにも書けぬ、さぁどうしよう、とりあえず乾かそう。そうしたことを繰り返すあまり、その原稿用紙からはむせ返ってしまう程の悪臭が発散される。その悪臭たるや読む者を不快にさせ、内容が一切頭に入ってこず、感情移入すらさせぬといった具合だろう。


そんなこんなで彼が作り出したスマートな文というのは、田舎者が都会へ遊びにいく際に気合いを入れてワックスを髪に塗りまくり、香水をシャワーの如く浴び、自分の持ってる一番高い服(ブランドもの・クリーニング済み)を着て…みたいな文と言えば諸君もわかりやすいだろう。

本当のスマートさとはなんだろう。別にこれは今回の批評文にはあまり関係無いのだがこれを読んでいる彼、そう不潔な彼に何かアドバイスが出来ればと思っている。

本物のスマートさというのはまず不潔じゃないってこと。そして飾らないということ。そして天性のものということ。

要するにTシャツにジーンズ、そしてイケメン、ということだ。

もう詳しくは書かない。スマートさというのはなろうと思ってなれるものではないのだ。彼に言いたい。あなたにはもう無理よ。



話を戻そう。だいたいあの状況で逃げない雀なんてきっといないだろう。

しかし、…まぁ確かに彼は気持ち悪かった。だって私たち雀に話しかけながら近づいてきたんだもの。(あっ、全く関係無い話だが「鳥肌が立つ」という言葉をよく人間が使っているのを聞くが私たちもよく使うのだ。実際私たちは鳥肌が立つという現象は起こらないのだが、人間への憧れとちょっとした自虐的な笑いみたいな感じで、人間が使うような意味で私たちも使っている。)

しかし逃げた理由は気持ち悪かったからではない。

ここでひとつ人間の皆様に聞きたい。体長2mのゴリラが突然あなたのほうに向かってきたらどうしますか。

「やぁやぁゴリラさん、どうも」なんてスキンシップを取ろうとする勇敢な方はいるだろうか。いないはずだ。きっと皆さん逃げるはずだ。私たちも同じである。

自分の何倍もの大きさの生物が、しかもこちらの言葉は通じない、それがこっちへ向かってくる。論理や感情ではなく本能的に逃げてしまうのだ。だから逃げた理由を聞かれても「反射的に」としか答えようがない。



さて、私たちは彼から逃げた。空をピューと飛んで、さてどこに行こうか?なんて話してたのだが私は、ああ、少し下品な話になるかもしれませんがお許しを。急にトイレに行きたくなったのだ。「私ちょっとおトイレしたいわ」と友達に言うと「ならさっきの場所まで戻りましょう」ということになった。さっきの場所、つまり彼から逃げてきた、さっきまでパンを広げていた場所だ。あそこの近くには私たちがトイレとして使っている場所があるのです。


さぁここまで書けば勘の良い方なら気づいただろう。彼がフンを落とされた場所、あそこは私たちのトイレなのだ。

彼はフンを落とされた怒りをこう書いている。

「やい!雀野郎!この人間様に向かってフンを落とす身の程知らずで無知で野蛮で阿呆な貴様らなんか羽を毟り取って道に百回叩き付けてそのまま「もえないゴミ」にぶち込んでやらぁ!もえないゴミと一緒に加工されやがれ!」

これには私も呆れてしまった。怒りなんかとっくに通り越しての呆れだ。

あの場所はトイレなのだ。フンをしてもいい所なのだ。そこに馬鹿みたいに突っ立ってていざフンがかかったら私たちを罵倒、そして野蛮扱い。ヤクザみたいな言いがかりである。

人間はよくこういうことを言う。「鳥はどこでもフンをするから困る」冗談じゃない。私たちにもちゃんとフンをしていい場所というのがある。つまりトイレがあるのだ。街中をよく見て欲しい。本当にそこら中にフンが落ちているだろうか。フンのある場所はだいたい同じ箇所ではないだろうか。フンがたくさん落ちている場所というのが私たちがトイレとして使っている場所なのだ。私たちも決まった場所でしか用を足さない。たまにトイレじゃないところに落ちていることもあるがそれは生まれて間もない赤ちゃん鳥、あるいはよその土地からやって来たばかりでトイレの場所がわからず仕方なく…といった鳥、あるいは急な便意で我慢出来ずに…とこれはどうしようもないことなのだからどうか許して欲しい。

彼は私たちを野蛮で身の程知らずの阿呆と罵ったが、あなたこそ何も知らない馬鹿者じゃないか、そしてそんな汚い言葉を使うなんてあなたのほうが野蛮ではないだろうか?私たち雀を百回叩き付ける、なんて発想を良識ある健全な人間なら文に起こそうと思わないだろう。何故ならそれを書くことは文学者として人間として幼稚で低俗で卑劣の極みと言っても過言ではないくらいのものだからだ。

だいたいフンはかかってないのだ。かかりそうになっただけなのだからそこまで怒る必要もないだろう。この作品で作者は己の器の小ささを露呈しまくっている。それが狙いなのならば作者の思うつぼ、作戦大成功!となるがそうじゃないはずだ。何故わかるかって?乙女の勘だ。



私が気持ち良く用を足してると友達が「あっ」と叫んだので下を見ると彼がいたのだ。幸いフンはかからずに済んだが彼はそれはそれは怖い顔でこちらを睨みつけてきた。私はいくらトイレにいたあなたが悪いとはいえ一応「ごめんなさいね」と言ってみたもののまぁ言葉が通じるわけでもないので「でもトイレにいたんだもの、ねぇ」「そうそう私たちは悪くないわ」「そうね、謝る必要もないわね。それにしてもあの顔、怖いわねぇ」と友達とケラケラ笑っていた。


これがあの事件の真相である。まぁこうやって振り返ってみたら実にショボい事件だ。「事件」という単語を用いる程の出来事ではない。



さてと、この作品の批評をしていこう。

まずは先でも書いた通りこの作品は徹頭徹尾「不潔」である。

作者の苦悩の汗が染みたこの作品からは絶えず作者自身の下劣さを模したような悪臭が発せられている。その悪臭は同類の仲間達には共感され、それ以外の者(それ以上の位置にいる者と言ったほうがわかりやすい)の目にはこの作品は痛々しく、汚らしく、哀れに映るだろう。

いろいろなスタイルを真似ただけのこの作品に作者の個性はその悪臭以外一切見当たらず見終えた直後にはもう作品のおおまかなあらすじしか覚えておらず、3日経てばその存在すら忘却の彼方のずっと奥のほうまで行ってしまいそうな作品である。



私たち鳥類が使うことわざで「千年万年、雀は雀(せんねんばんねん、じゃくはじゃく)」というものがある。

雀は結局雀である、何年経とうが、どう足掻こうが、結局雀なのだ、という意味である。

昔、ある雀がカラスになろうとして鳴き声を真似たり体に墨を塗ったり無理矢理食べては飲んでを繰り返して体を大きくしたりしていた。しかし本人の努力虚しく、遠目で見てもカラスには見えず、それは色の黒いちょっと大きな雀程度にしか見えないのだ。いくら頑張っても大して変わらぬ容姿にその雀はへこたれること無く、その修行に励んでいった。それらの修行は大変過酷極まるものであり他の雀達が何度もやめるよう促したが本人はそれを聞こうともしなかった。それを見たお釈迦様がそのカラスもどきの前に現れ「もうおやめなさい。体に毒です」と告げたそうだがそのカラスもどき、神経だけはカラスのように図太くなったのか、「お釈迦様がそうおっしゃるならそうさせていただきます。ただしひとつお願いを聞いてください。私を千年生かさせてください。」

お釈迦様もさぞ驚かれたそうだが彼の望み通り千年の寿命を与えた。しかしそのカラスもどきは一向にカラスになるための修行をやめようとしない。そして千年間、修行に励んだがやはりカラスになることが出来ずにいよいよ死が近づいてきた。するとカラスもどきは「やい、お釈迦様!ちょいと頼みがあるんだ!出てきてくれ!」と非礼極まりないことを叫び、なんとなんとそれに応じたお釈迦様が再び彼のもとへやってきた。「あなたは私との約束を破りましたね。」「頼む!あと一万年あればカラスになれそうなんだ!頼む!一万年生かさせてくれ!」このカラスもどき、誰に向かってこんな口を…なんてことをお釈迦様は微塵も思わず「わかりました。しかしこれだけは言っておきます。あなたは雀なのですからカラスになれるわけがありません。それでもいいのですか。」と優しく言ってくれたのにも関わらず「やい、余計な心配はいらん!あと一万年あれば俺はカラスになれるんだ!そうしたらお釈迦さん、俺ぁ極楽でカァカァと立派に鳴いてやるぜ。」と市中引き回しのちに獄門、のちに無限地獄行き、に値するであろうことを言い放ち、一万年の寿命をもらったカラスもどきは遠くへ飛んでいってた。

さて、そのカラスもどき。結局一万年経ってもカラスになることが出来ず、ある日、ふと自らの姿をある池に映してみた。

確かに色は一見カラスと同じ真っ黒。しかしよく見るとその黒色もカラスと違い全く輝きがなく、体の大きさも雀にしては異常な大きさ、しかしカラスと比べると全然小さい、鳴き声もなかなかカラスに似ているが地声が元々甲高い雀のことだ、迫力が全くない。彼はそこでようやく自らのやってきたことが全て無意味であると痛感したのだ。彼の長い生涯、その中身はほとんどカラスになるための修行しかなく友達との楽しい思い出なんかほとんどなかった。

雀は虚無感にうちひしがれながら池のほとりでただずんでいた。すると急に体の力が抜けてその場に倒れてしまった。そう、この日はちょうどあの日から一万年。

お釈迦様が現れた。「カラスになれましたか」お釈迦様は優しく雀に聞いた。「いえ、私は大馬鹿者でした。」雀は涙をボロボロこぼしながら答えた。「千年万年、雀は雀。雀に生まれてしまった以上、他の生き物になるなんてことは出来ないのです。しかし雀には雀の美しさ、そして楽しみがあるのです。」と優しく雀を抱え、長年体に塗り重ねてきた墨を池の水で洗い流した。墨はものの数分で呆気なく落ちた。「雀として生きる。それで全てよかったのです。」雀はお釈迦様に抱えられ空へ消えてしまった。


さて、かなり長くなった。申し訳ない。

千年万年、雀は雀。

作者はスマートな作品を意識し過ぎるあまり、自らの個性を潰し、そして出来上がった作品はなんとも小汚く、粋がる田舎者特有の臭さを放っている始末。これではあのカラスもどきの雀とまるで同じだ。

背伸びをする必要は無い。カッコつける必要も無い。都会人ぶる必要も無い。なめられたっていいじゃないか。作者自身が持つ本来の感性で素直なまま書いていけば自然とその作品は唯一無二の美しさに溢れ、心の隅々にまで響く程、深みのあるものになるはずだ。

この作者から感じられる器の小ささもひとつの個性であり、武器なのだ。器が小さいというのは言い方を変えれば「細かいところまで目が行き届いている」ということであって、他の作家よりも繊細な作風を作り出すことだって出来るはずだ。

もし作者自身に直接アドバイスをするなら私はこう言うだろう。


「必要以上に執着し観察し追求すればいい。他人が見落としたり、捨てたりした美味しいところを持っていけばいい。泥まみれになって這いつくばるがいい。美というのは清潔であるとは限らないのだ」





さて、そろそろおしまいにしようと思う。今回のフン事件をきっかけに私は人間というものについてあれこれ考えるようになり、いい機会だったと思う。

また作者自身にとっても結果的には良かったのではないかと自惚れかもしれないがそう思う。途中で色々悪く言ったところもある。確かに始めのほうなんかは悪意を込めて書いていたが途中からは本当に作者のことを思って書いたのだ。

背伸びをしてまでスマートな作品、言い換えれば「美」に拘る姿勢はあまりにも醜い。たとえ満足の行くものが出来上がったとしてもそれは偽物であって、後々自らを苦しめることになるのだ。何も物書きに限ったことではない。


背伸びはよしなさい。カッコ悪いわよ。


以上。

あの日の雀より。



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