開幕の合図
短編予定のお話。
「どうか、娘さんを僕に任せていただけませんか」
人生の転機は、人によって数が違う。
大まかに言えば、大抵の分岐点は【結婚】あるいは【仕事】になる。
もっと細かく言えば、様々にそれは転がっている。
例えば、寝坊して毎日乗る時刻の電車を逃し、一本遅いのに乗ってしまったり。
その電車の中で、女性が痴漢に遭っていた所を目撃してしまったり。
そして、普段なら湧いてこない熱き正義感でその痴漢オヤジを公開処刑にしてやったり。
更に言えば、女性を助けた事をきっかけに、御礼だと言われ、相手の方から食事に誘われたり。
もっと言えば、それをきっかけに親しくなり、交際がスタートしたりなんかする。
偶然とは怖いものだ。
これを偶然とは言わず、必然、あるいは運命だと言う人もいるだろう。
この、例えから始まった漫画やドラマでしか無いような一連のシナリオは、ノンフィクションであり、遡る事、約2年前に身に起きた出来事だ。
あの時に着ていた社会人の戦闘服、通称【スーツ】を身に纏い、勝負運アップの為に赤いネクタイを締めてきた。
もちろん、これは気持ち的なものなので、効果があるのかどうかは別の話だ。
「顔を上げなさい、大輔くん」
こ、これは、神の声か。
待っていた言葉が、俺の耳を通り、そして頭に指示を送る。
下げたままの頭なので、視線は木目調のテーブルの上を睨んだまま。
このままだと、穴が空いてしまうんではないかと言う程の殺傷力を持つ視線だと思う。
このまま頭を上げれば、お父さんにガンを飛ばしていると勘違いされないだろうか。
そんな不安を抱えたまま、ゆっくりと顔を上げた。
出来るだけ、強張った表情をなんとか崩す。
「君と亜子の付き合いは長い。こうやって私達家族と一緒に食事をしたり出掛けたり。その辺の恋人達より、君は私達"八代家"に随分と溶け込んでいると思う」
なぁ、母さん。と、お父さんは隣にいる女性に振った。
その女性は、優しい笑顔を浮かべたまま、コクコクと頷いている。
「私が言うのもなんだが、君はもう私達の家族の一員だと言っても良い。正月はお酒を酌み交わし、趣味のゴルフに付き合ってくれて、この間は近所の鈴木さんとこの銭湯で背中を洗いあった仲で....」
あれはいつだっただろう。
あぁ、そうだ。
あれは、小学生だった頃だ。
毎週、月曜日の朝にグランド、雨の日は体育館で全生徒が集められた朝会を思い出した。
どこの学校の校長も、それはそれは話が長かったのではないだろうか。
グランドの隅っこでひたすらドッジボールの腕を磨いていた幼気な小学生の俺は、もうその時の話を覚えていない。
いや、別につまらない話を淡々と話されて苦になっている訳ではない。
今、目の前にいるのは校長先生ではなく、大事な女のお父様。
ただ、あの時の状況と被って見えるのは、気のせいだ。
そう、気のせい気のせい。
気のせいだと、自分に言い聞かせておく。
「....とまぁ、色々と君の事も分かってきているつもりなのだが。これからも、長く付き合いたいと私も思っている。君が良ければ、この先も、どうか私達とこれまでのような家族同然の付き方でいて欲しい」
「お父さん」
これは、なんとも良い感じの流れ。
思い切った甲斐があったと言うものだ。
既婚男性が必ず通る道を、俺も、今まさに完走しようとしている。
目の前で、亜子がゴールテープを持って笑顔をで俺を出迎えようとしているのが見える。
その声援に、笑顔で応える事にしよう。
「じゃぁ、亜子との結婚を許して...」
「いや、それとこれとは話が別なんだよ、大輔くん」
安堵のあまり、耳がおかしくなったのかもしれない。
ゴール目前だった所で、ゴールデープをハサミでバッサリと切られ、終わりの見えない道がその先に伸びる。
確認の為にも、静かに口を開いた。
「えっ?いや、でも、さっきは家族同然にって」
「そうだ、君は家族だ。私も君は気に入っているし....っと、こんな事を言わせないでくれ」
「ですよね?ですよね?それは物凄く嬉しいですし、俺もお父さんが本当のお父さんになってくれたらと思います」
「ははっ、うちは娘が1人だから、君のような息子なら大歓迎だよ」
「やっぱりそうですよね?なら、亜子さんとの結婚をゆ」
「それとこれとは話が別なんだよ、大輔くん」
それも、かなり食い込み気味で。
既に言葉を用意していたかのような。
「家族なんですよね?認めてはくれているんですよね?じゃぁ、結婚してもい」
「これとそれとは話が別なんだよ、大輔くん」
これは、デジャヴだろうか。
俺だけが、この終わらない時間をグルグルと回っているのだろうか。
さっきも、同じ台詞を聞いたような気がする。
「ちょっと、お父さん」
そこでやって来た助け舟。
よっ、待ってました!
俺の女神!
隣に座る俺の彼女であり、目の前の中年男性の大事な1人娘である"亜子"が、八代家と俺達を区切るテーブルに前のめりになった。
「いい加減にしてよ。大輔くんの事はお父さんも褒めてくれてるじゃない。なのに、何よ今更」
そうだよ、俺を弄ぶのはやめてくれよお父さん。
ドッキリなら早く切り上げてくれよお父さん。
絶対に賛成してくれると思っていたのに、とんだ誤算だったよお父さん。
「いや、本当に大輔くんはいい人だよ。それはわたしもよく理解しているし、何よりちゃんと芯のあるしっかりした男だと思っている。そりゃ亜子にはぴったりだしお似合いだと思う。だがね、」
「それとこれとは話が別なんでしょ。意味が分からない」
お父さんの言いたい言葉を、亜子が先回りして口にした。
「そう、これとそれとは話が別なんだ!やっと理解してくれたか我が娘よ!」
「理解出来る訳ないでしょ、この分からずやハゲ!残りの髪も朽ち果てろ!毛根死ね!」
「亜子、お口が悪いぞ!そう言うところは、若い時の母さんにそっくりだ!流石我が娘!」
今日は、俺にとっても大事な日。
生まれて初めてのプロポーズよりも緊張した日。
親子のやりとりをうっすらと耳にしながら、俺はただ唖然としていたのだった。
同時進行での執筆なので、更新遅れます(-ω-;)