死の淵のハンバーガー
気がつくとそこは、シミひとつない真っ白な壁に四方を囲まれた、4畳半より少し広いほどの小さな部屋であった。この私、甘野辺慶介は、この部屋に気がついたら座っていたのである。
周囲に物は何もなく、ただ無音。この部屋に生活感などはなく、今はただ、床のコンクリートぜんとした感覚が心地よい。
「ここはどこだ……俺は確か……」
いったい最後、私は何をしていたのか思い出せない。
「俺は酒を飲んでいたような……」
日本酒独特の残り香が、なぜかまだ舌に残っているので、それは間違いなかった。
「悪酔いにしてはシャレがききすぎてる……」
俺は周囲の壁を探る。しかし特段異変は感じない。ただの壁だ。継ぎ目も何もないこの空間。
そこで俺は急に顔が青ざめた。恐ろしいことに気がついてしまったからだ。この空間の酸素供給はいったいどうなっているのか。
「空気……!!」
俺は大きく深呼吸をしてみたが、今のところ酸欠による心配はなさそうだ。だからと言って一安心とはいかないが。
段々と恐怖感が目覚め、意識が覚醒してゆく。なんだこれは。この空間はなんだ。なぜおれはここにいる。いったい誰がこんなB級映画のような意地の悪い心理実験のような真似をしてくれたのだ。
俺はつい最近見た映画の一幕、何もない地下空間で男女数人が放置され、狩場リズムへと走る様を描いた趣味の悪いホラー映画をおもいだし、背筋が凍る。今の状況はそれよりもさらに悪い。自分一人では仮バリウムに走ることもなければ、子孫を残そうとしたりといった、B級映画にありがちなお色気展開も望むべくもないのだ。
「こりゃやべぇ。どうにかしなけりゃ」
俺が独り言を口にするのは、この例えようのない不安を払拭するためである。
「まずは出口。出口だ」
この真っ白の空間は、背景を書くのを面倒くさがった作者が作り上げたWEB脱出ゲームを連想させる。ということはどこかに出口や脱出につながるヒントがある可能性もないではない。
おれはそれを念頭に置きながら再び周囲をまさぐる。
「こっこれは!?」
そして見つけた。壁の一面。俺が最初に寝ていた場所の反対側の壁一面が妙に他より柔らかいのだ。むろん殴って削れるほどではないが、緩衝剤のような感触があった。俺はお約束として一応蹴りを入れてみたが、反応はない。
「出口じゃないか……」
おれはそういって周囲を見回すことをいったん止めると、その場にあぐらをかいて座り込む。
そう、今度は俺の記憶を探る番だ。映画ではこうやって記憶を思い出していくうちに、怪しい奴やらそうなった原因などが、階層になって表れてくるもので、俺もその例外ではないはずだ。
思考・思考。思考……
それからきっと数十分。俺は必至で脳味噌を回転させた。しかしめぼしい情報はない。最初に感じた酒類の後味だけがたよりである。
「相違や腹減ったな・・・」
最後に飯を腹に入れたのはいつだろうか。俺の腹は次第に空腹を叫だす。
「飯か。めしだな」
徐に俺は床をなめてみる。突飛な行動も一度はやってみるべきだ。これが何かのバラエティー番組ならば、きっと大笑いのシーンである。
……なめてみても床は味がしない。当然だ。
「あ~あ。ハンバーガーほしいな~。ハンバーガー寄こせハンバーガー!!」
俺はそういって子供のように駄々をこねた。馬鹿らしい行為だがもうどうでもよい。たぶん死ぬという根源的な恐怖と絶望が、俺の精神を20代から幼児退行させたのだ。
「よこせ~ハンバーガーよこせ~」
おれはそう言って壁をたたき回る。死ぬのだろう。俺は死ぬのだろうという絶望を、まるでまだ見ぬこの痴態を笑う観客どもに見せつけるような行為だ。
「寄こせ!!ハンバーガー寄こせ!!」
なぜハンバーガーなのかは自分でもわからない。これはきっと、幼少期から見ていたCMによる外食チェーン店の刷り込みの効果が出たのだろう。
「ハンバーガ……」
俺は息切れしてその場に膝をついた。
衰弱死と自殺ならどっちが良いのか、今はそれを考えている。
「ここでしにたくねえ」
ここに来る前、俺はこうも生に執着していただろうか。それはわからない。今ふと考えてみると、両親お顔や生まれ故郷すら、曖昧にしか思いだせいない。
俺は一筋の涙を流す。これで終わりだ。
「クソが……」
まだ衰弱死には数日の猶予があったが、あてのない救助が来るまでの間、正気を保つことができる自信がない。
俺はどこかで読んだ知識で、舌をかんでもつすには死ねないと知っていたので、どうしようかと考えていた。
このまま考えているうちに死ねば終わりだったのだが、その思考はとある匂いによって中断させられるう。
「この匂いは!?」
俺の嗅覚は空腹により鋭さを増していたこともあり、匂いのもとはすぐにわかった。部屋の向こうだ。特にあの、柔らかい面から香るのだ。
「はっハンバーガー!!」
そう、ハンバーガーの香りが壁の向こうから。このまま現物にありつけなければ、きっとおれの精神は簡単に崩壊するのだろう。そう思っていると、あのやわらかい壁の一部が変容し、刑務所の金庫室のように小さな空間が開くと、その中からハンバーガーが踊りでる。
「……!?」
そのハンバーガーを手に取る。夢ではない。
おれは恐る恐るその狂気の塊を調べる。中を開けると、ピクルスとチーズに牛肉のハンバーグ。俺の想像通りだ。
「食うか……」
毒薬でも入っているのでは。このような悪趣味な現象が自然現象ではないのは明らかであり、したがってこの悪趣味さを追及する未知なる首謀者ならば、十分にそういったことをしでかすだろう。
しかし俺の腹は容赦なくそれを食えと命令する。
(そうだ、これに毒が入っているのならば楽に死ねるのではないか?)
俺はこの状況でこの物体を食うことで死ねれば自殺できて本望。満腹になれば儲けものだ。このイベントを無理して拒否することもない。
「食うか……」
というよりもう我慢の限界であった。
俺はナムサンの言葉とともに、ハンバーガーを貪る。美味い。この味だ。想像していたこの味だ。
「フッは!!!!」
狂気と歓喜の入り混じった完成を部屋に響かせて、ものの十秒でおれは全て食ってしまった。
「さあ、青酸カリならもうすぐ。ヒ素なら……ヒ素は嫌だな……」
とはいえもう吐く気などない。
「取り敢えずオカワリ。今度は飲み物。あとはポテトフライとジャンプをくれ」
俺は胃に物が入った幸福感からふざけた調子で壁に言う。
するとしばらくして壁は再びフライドポテトを吐き出した。
「来た来た」
おれはフライドポテトの塩味を堪能しながら、残りの飲み物とジャンプを待つ。
しかし不思議かな。飲み物もジャンプも待てど暮らせどくる気配はない。
「あれ?おっかしいな。飲み物、飲み物寄こせ!ジャンプ、なければマガジン!!」
そういっても今度は何の反応もない。
「うーん。ハンバーガー寄こせ」
そういうと、再び同じハンバーガーが壁から吐き出された。
「うーん。じゃあコーラ。コーラ寄こせ」
言い方を変える。ただそれだけの行為だが、壁にとってそれは重要なことらしい。しばらくすると壁はコーラを吐き出す。事前に位置はわかっていたので、おれは壁から吐きだされるコーラが落ちる前にキャッチできた。美味い。正真正銘のコーラだ。
「ここまでは良し」
おれは二個目のハンバーガーをかっ食らい、コーラを流し込む。次はジャンプを何年何月号と指定してやろうかと思ったが、食欲満たされて冷静になった今、漫画雑誌の必要性は今一つ感じない。
「そういやトイレどうするんだろう」
俺は次なるピンチを思い出す。食べれば出る。当然のことだ。すると排出口のないこの場所では、いずれ俺は糞尿にまみれて圧死することになる。これはある意味がしより恐ろしいのではないか。
「取り敢えず馬鹿な要求はやめよう。では、次に個々の出口について書かれたものを寄こせ」
壁は無言。
「俺の元板場所に通じる道を示せ!!」
壁は無言。
「では、出口を寄こせ」
やはり壁は無言であった。
おれは胃が食い物を消化するまで休憩することにする。尿意を催したが、最悪コーラが入っていたこの紙コップにすればよい。ふたを閉めれば当分は大丈夫なはずだ。
「じゃあ女を出せ~。綺麗な女。髪は黒髪で20代の日本人。性格は優しい才女。独身。後はそうだな~。彼氏がいない事を希望する!」
まったく最低な質問だったが、俺は今脳内に栄養が回ってきて気分が良いのだ。今までの絶望から反転。願った通りの食物が出てくるとう、上げて落すの上げる部分とはいえ、取り敢えずの死を回避したことから、テンションが高いのである。
そしてこれはその罰か。壁が動き出した。
ハンバーガーより明らかに大きな空間が空き、そこから女性が吐き出される。
この女性は俺の暗い願望を実現したのか、美しい目鼻立ちの黒髪の日本人で。見たところ20代である。きっと独身の彼氏なしだ。
そして全裸であった。
「こりゃまずいな……」
一応スケベ根性と確認から、意識のないこの女性の腕に触れたが、普通に暖かである。ここでこれがただの人間らしい塊であったり、生きていなかったりという事態は回避された。
新たな犠牲者を生んだともいえるが。
「取り敢えず大きめのバスタオルを寄こせ」
俺はそういって壁から出たバスタオルをつかむと、彼女の上にやさしくかけた。
「ウ…」
女性に反応あり。良かった。眠り姫は勘弁である。
「何……?キャアアア!!」
女性は起き上がろうとして、自分が全裸である事に気づいて悲鳴を上げる。そして俺と目があった。
これから大変だ……