3・砂糖菓子の帰郷
ヒカリ――赤いスカーフのセーラー服を着たその少女は、まるで砂糖菓子でできているかのような甘い声でハルに自己紹介をした。
「はじめまして。あなたが……ハルくん? リュウちゃんから、話は聞いているわ」
そう言って、ヒカリははにかむように笑う。
「新しいお友達ができた、って、それはもう嬉しそうに電話してくるから、私もあなたに会うのがとても楽しみだったの」
「ヒカリ! 余計なこと言うな!」
リュウの顔が一瞬で真っ赤に染まる。
「ふふ……私は、リュウちゃんの幼なじみのヒカリです。あなたたちよりも四歳年上の高校一年生。よろしくね」
差し出された真っ白な手。ハルは一瞬だけ戸惑ったものの、同じように手を出し、ヒカリの手を握った。
柔らかな感触に、ハルの胸はちくり、と針で刺されたような痛みを覚えた。
「……よろしくお願いします」
やっとのことでそう言うと、ハルは振り払うようにヒカリの手を遠ざける。半ば無意識的な行動だった。
「ったく、暑いのにわざわざ握手なんかするなっての。ハルは日焼けできないから、長袖着ててすっげぇ暑いんだぜ?」
ハルの行動を、リュウは好意的に解釈してくれたようだった。
「そうなの? ごめんなさい、知らなくて……」
「いえ、気にしないでください。僕が口で言えばよかったことです」
頭を下げられると、どことなく居心地が悪い。
「それよりも、リュウ。今日はヒカリさんを迎えに来ることが目的だったんだろ? なら、早く彼女を家に送っていこう。このままじゃお昼までに戻れない」
ことさら明るい声を作り、ハルはそう提案した。
(胸が、ぐるぐるする)
彼女を見ていると、忘れたはずの気持ちが蘇りそうになる。
どこよりも安心できたはずの、ハルとリュウ、二人きりの世界が崩れていく。閉じた円環がほころびるのはこれほどにも容易だ。
けっして、ヒカリという個人を嫌っているわけではない。ハルは彼女のことを何も知らないのだから。むしろ、好意的に接しなければいけないと、頭では理解しているのだ。
けれど――それが、なかなか難しい。
(……似てる)
彼女を見ているだけで、閉じ込めていたはずのものが引きずり出されそうだ。
胸が重い。体は、ゆっくりと灰色の影に侵されていく。
一刻も早く、ここから立ち去りたかった。
「なぁ、リュウ。行こう」
「ああ、そうだな」
リュウはハルの言葉にうなずいた――が。
「……なぁ、ヒカリ。午後って暇か? せっかくだし、久しぶりに遊ぼうぜ」
「うーん……ごめんね、今日は色々と用事があるの。明日じゃ駄目かな?」
「いいぜ。じゃ、明日な」
ひとつうなずくと、リュウは乗ってきた自転車を押して歩き始めた。
「行くぞ、ハル」
「う、うん」
ハルは慌ててそれに続き、リュウの後ろを歩いた。
ヒカリはリュウの隣を歩いた。二人で、ハルには解らない近所の話や友人、学校の話などをして、時おり楽しそうに笑い合っている。会話の内容は聞こえてくるが、話に乗れなくては参加のしようもない。
(……ああ、そっか)
リュウの横顔を見ながら、ハルはすぐに気付いた。
――リュウは、ヒカリのことが好きなのだ。
会話の中でヒカリが笑えば嬉しそうに目を細めるし、ヒカリの声を聞き漏らすまい、とじっと真剣に耳を澄ましているのが解る。
車なんてほとんど通らない坂道で、リュウは必ずヒカリを車道側から遠ざける。歩くのが遅いヒカリに合わせて、歩調は自然と遅くなっていく――。
それらはすべて、ハルが見たことのないリュウの『顔』だった。
優しく、優しく、誰からも傷つけられないように、抱え込むようにヒカリを守ろうとする。
まるでおとぎ話の騎士を気取るようなその様子を、ハルはずっと眺め続けた。
リュウと一緒にいるにも関わらず、一言も口を聞かなかったのはこれが初めてだ。
やがて、ヒカリはリュウの家の隣に入っていった。どうやら隣同士らしい。
「……好きなんだろ、彼女のこと」
門扉をくぐり、玄関のドアが閉まるまでじっとヒカリを見守っていたリュウに、ハルはからかうような響きの言葉を送る。
振り向いたリュウの顔つきは厳しかった。一瞬、ハルは自分の発言を後悔したほどだ。
――けれど。
「……お前だから、話すんだぞ」
どこか怒ったようなその声は、つまりのところ照れ隠しで。
信頼の深さを現すその言葉に、ハルも照れくさそうに笑ってうなずく。
少なくとも、リュウからはそう見えるように苦心して笑顔を作った。