2・自転車で往く
「なぁ、今日はちょっと遠くに行こうぜ」
快晴の朝、いつものように現れたリュウは珍しいことに、自転車を止めて待っていた。
「いいけど……僕、自転車なんて持ってないよ」
ハルは戸惑いを隠せなかった。今まで遊んできた日々の中で、自転車が必要なほど遠くに出かけたことはないし――何よりも。
「俺の後ろに乗ればいいだろ。そんなに遠いわけでもねぇし」
「なら、いいけど……」
リュウはいつも強引なところがあったけれど、今日はいつもと少し様子が違った。
なんとなく、ハルには解るのだ。今日のリュウは目の輝きが違う。何かを待っているような、どこか胸をおどらせているような――。
「なら、決まりだな。後ろに乗れよ、ハル」
「あ、うん……って、え!?」
いざその時が来て初めて、ハルは自分がちょっとした綱渡りをしようとしていることに気付いた。
自転車の二人乗りなんて初めてだ。そもそも、自転車なんて普段ほとんど使わない。乗れないわけではないが、学校には電車に乗って通っている。
それなのに、リュウが乗ってきた自転車の荷台に座り、彼の運転に身を任せろというのは、少しばかりハードルが高くないだろうか。
「ほら、もたもたすんな」
「う、うん」
急かされるままに荷台に横座りして、ハルはサドルにまたがったリュウの腰に遠慮がちに腕を回した。
「ほら、もっと強く掴まれって。途中で落ちるぞ」
リュウがハルの腕を軽く叩く。言われるままに、ハルはリュウの体に回す腕に力を込めた。
薄いTシャツは汗で微かに湿っていて、熱すぎるほどの体温は長袖を着ていても布越しに伝わってくる。あるかないかの小さな胸はリュウの体に押し付けられた。
一瞬だけ、心臓はまるで口から出そうなほどに激しく高鳴ったが、すぐに収まる。
――大丈夫だ。リュウは、ひとかけらもハルに不審を抱いていない。
「よし、行くぞー!」
リュウがペダルをこぎ出せば、すぐさまハルの視界は一変した。
自分の足で走るよりもはるかに早く後ろに流れていく世界。頬に当たる風の強さ。それから、二人分の体重をものともせず、力強く自転車をこいでいるリュウの後ろ姿。
(すごい)
リュウはいつも、ハルにはどうしたって無理なことを平然とやってのける。
だから、ハルはただ憧れた。彼のようになることができれば、もう嫌な思いはしない。あんな風に、自分の無力さを嘆くことはないだろう――。
ハルは小さく首を振った。リュウと一緒にいるときに、こんなことを思い出したくはない。
自転車は川沿いの道路を走り抜け、木々に囲まれた山道を下る。リュウが向かったのは山のふもと。町にひとつしかない、小さな駅だった。
「到着……っと」
自転車から降りたリュウは、小さな駅舎の軒下に置かれたベンチに座った。
「ねえ。今日はどうして、こんなところまで来たんだい」
リュウの隣に腰を降ろし、ハルは怪訝そうにそう尋ねた。リュウはベンチに座り込んだきり、じっと壁に掛けられた時計を見ているだけだ。
「……何か、待ってるの?」
次第にそわそわと足を、体を揺らし、視線をさまよわせ始めるリュウの姿に、ハルは何故か嫌な予感を覚えた。
――自分は、ここにいてはいけない気がする。それがどうしてなのかは、わからないけれど。
「あと十分したら、教えてやるよ」
改札の向こうに見えるプラットホームに視線を送るリュウは、先ほどからハルの顔を一度も見ない。満足な説明など一度もなく、こんなことは初めてだった。
十分後。一時間に一本もない辺鄙な路線の車両が、駅のホームに滑り込んできた。
リュウが勢いよく立ち上がる。やがて電車が去ると、ホームから歩いてきたひとつの人影は、リュウの姿を認めて嬉しそうに手を振った。
「ヒカリ!」
リュウは、それに応えるよう勢いよく手を振り返す。
改札を抜けて出てきたのは、ハルやリュウよりもいくつか年上の少女だった。