2・寡黙な食卓
家に戻ると、祖母は大きな鍋で素麺を湯がいていた。
「ただいま」と声をかけたものの、返ってくるのは低くうなるような返事だけだ。
祖母は寡黙で、おまけに無表情だ。骨と皮のたるんだような細い体と、どこかゆったりとしたその動きは、ハルに『老い』というものを否応なく実感させる。
「なにか手伝うこと、ある?」
台所に顔を出すと、祖母はちらりとハルを振り返り、小さく首を振った。
「それよりも着替えてこい。汗臭い」
無遠慮に投げられた言葉は方言が入っているのか耳慣れないイントネーションで、ハルの耳にはまるで突き刺さるような声として聞こえる。物心ついてからの初対面はこの夏休みの始めだが、それでもそろそろ二週間が経つというのに、彼女の視線にさらされ、その声がかけられるたびにハルはどことなく萎縮していた。
祖母の言葉に従うべく、ハルは自分に与えられた部屋に戻り、着替えの入ったプラスチックの衣装ケースを開けた。適当な服を選び出すと、着ていたものを脱ぎ捨てる。
「……下着まで濡れてる」
うんざりと呟く。タオルで全身の汗を拭いてから、ハルは再び衣装ケースを開け、中から白い綿の下着を取り出した。小さなリボンのついている子ども用のブラジャーと、揃いのパンツだ。肌触りがいいので愛用している。
ハルは背中に手を回すと、ブラジャーのホックを外した。
あるのかないのかわからない薄い胸、骨と皮ばかりの細長い体ではあるが、小学六年生ともなると身に付けている方が自然だ。友人たちの間では着用の有無がちょっとした話題になることすらあった。
長袖のTシャツにジーンズ。素早く着替えると、ハルは壁に立て掛けた姿見で自分の姿を仔細に眺める。
「……よし、大丈夫」
小さくうなずく。どこからどう見ても、自分は男の子だ。
「ハル」
台所から祖母が自分を呼ぶ声が聞こえた。ハルは慌てて脱ぎ捨てた服をまとめると、台所に向かうついでに脱衣所の洗濯かごへと放り込んだ。
祖母は台所から引き戸一枚を隔てた畳敷きの居間に昼食を準備していた。
茹で上がった素麺は小さな束に分けられてプラスチックのざるに盛られ、小さな硝子の器には麺つゆが注がれている。祖母お手製のつゆは市販よりも塩気や出汁が効いていて美味しい。ハルがこの夏見つけた楽しみのひとつでもあった。
「あとは箸を二膳、それからコップをふたつ」
祖母の言葉に従い、ハルは台所の食器棚を開けた。こういった細かい必需品の場所はこの家に来た初日にすべて教えられている。
祖母は最後に冷蔵庫から作り置きの水出し麦茶のボトルを取り出し、テーブルの上に置いた。これで食事の準備は完了だ。
「いただきます」
無言で手を合わせる祖母に倣い、ハルも小さく挨拶をしてから食事を始めた。
今日のような暑い日は冷たい素麺がつるつると喉を滑る。薬味にほんの少しばかり茗荷を入れれば、ぴり、とわずかな刺激が加わった。茗荷は祖母の家の庭で自生しているものだ。丹念に泥を落とし、それからみじん切りにして薬味にする。
「……ねぇ、おばあちゃん」
「なんだ」
食事の手がひと休みする頃を見計らい、ハルはどこか遠慮がちに口を開いた。
「お母さんから電話とか、あった」
祖母は首を横に振る。
「あれは忙しい。あまり期待はせん方がいい」
「……」
解ってる。答える代わりにハルは小さくため息をついた。