死へ
「じゃあ、もう行くから」
細くて頼りない三日月が出た夜。王子が真っ黒なマントを着こみ、部屋のドアをそろりと抜ける。
「生きていろよ」
じっと見据えられ、少しだけ、王子が怖くなった。こくりとうなずき、王子を見送る。
どうか、どうか王子、戻ってこないでください。無事に城へ帰ったら、私のことなんか忘れて幸せに暮らしてください。城にいる王だって、きっと王子をこっちに戻さないはず。だから。
死ぬ心構えは、とっくにできていた。
「逃げたようだねぇ」
ふと、上の方から声がした。見上げれば、それはラナで。窓の縁に横になり、こちらを見ている。
「……」
あたしは何も言えない。王子を逃がしたところを、ラナは見ていたのだろうか。だとしたら、なんで止めなかったんだろう。
「リュート」
静かに、とても静かな声で、ラナが言う。
「あたしは怒りはしない。だけれどね、レニアはどうか知らないよ」
私の体が、少しだけ震えた。
やっぱり、現実を突きつけられれば怖いのかもしれない。死ぬことが、殺されることが。
「お前のことを殺すかもしれない」
ぐっと伸びをして、あくびを一つ。ラナは猫の姿で人間のように、窓の鍵を開ける。
覚悟しておきなよ、そう付け加えて、ラナが窓から外へ飛び降りた。ここは一階か、二階か。猫だから怪我はしないだろうけど、少しだけ不安になる。
もしここが二階なら。私は飛び降りて死ねるだろうか。
ふと湧き出た疑問は、窓が私の身長を倍にしても足りないくらい高いところにあることで、実行に移すことは出来ない。試してみたかったなっていう気持ちと、なぜかホッとした気持ちが半々。やはり、まだ私は迷っているようだ。
死ぬこと。それはまだ、私が経験していないこと。
死ねば、すべてがなくなる、記憶も、感情も、なにもかも。
それは、怖いことと言われている。そんなことをしてはいけないと、ずっと教えられてきた。
でも、なんていうか。
うまく言えないけれど、それを疑う気持ちがあるのは確かで。本当に? って胸の中で何度も自分に問い直している。さっきから、ずっと。
もし死んだら、何も考えなくてよくなったら、私は楽になれるんじゃないの? 家族も、王も、王子も、アンも、実は足手まといが消えて万々歳になるんじゃないの?
釈然としない気持ちが、もやもやと心の中にわだかまる。
最終的に、自分は悲しいのかもしれないと、思ったりもした。




