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Red Mix Juice

作者: 村井まつり


 残業時間を一時間過ぎたところで漸く部長から書類の返事がもらえた。

 なんて事がザラにあるこの商社に勤めるわたしは夜九時を過ぎてから会社の玄関を通りました。

 晩ご飯なんてこの時間帯に食べるのは勇気がいる、と向かったのは馴染みの喫茶店。今更家に帰って作るのも面倒臭いし、かといってコンビニで何か買うと添加物の餌食になってしまいましょう。

 軽くここで、とシックにまとめられた店内に入りました。人はまばら程しかいません。

「こんばんは」

 三十半ばと思われる彼、マスターはタイミング良くわたしの前にお冷やとおしぼりを置きました。今座っているカウンターの端はいつもわたしの特等席なのです。

「何になさいますか」

「ストレートティーとラスクで」

「かしこまりました」

 彼は背を向けて紅茶の用意をしはじめます。

 ラックの中にあった雑誌をペラペラとめくり、ふと彼のいる中を覗き込むと白い湯気が少し漂っているのが見えました。

 視線に気付いたのかマスターはこっちに振り向き猫の様に笑いかけました。

「今日のラスクはシナモン風味です」

「おいしそうですね」

 雑誌を横の席に置き、ラスクを一つ摘みました。ほんのりと甘い香りが鼻孔をくすぐっていくのが分かります。シナモンはわたしの大好きな匂いの一つなのです。

 一口かじると幸せな味が広がっていく。

 うん、今日もおいしい。

「今日もまた部長さんですか」

「えぇ、そうなんです」

「どうぞ、ストレートティーです。今回はうっかりですか、故意ですか」

「どうも。両方ですね」

「それは御愁傷様です」

 彼は苦笑しながらそっとラスクの横にクリームをのせてくれました。わたしは食べかけのラスクにそっと付け、かじりました。

「あら、これとても合うんですね」

「ありがとうございます」

 彼はまた猫の様に微笑みます。

「もし良ければ愚痴相手にでもなりますが、どうですか」

「すみません、お願いしてもいいですか」

 今日の様に夜遅く来る日はこういう風に愚痴を聞いてもらうのもいつもの事です。そして結局サービスをしてもらう。今日のサービスはミックスジュースでした。

「あなた様専用のRed Mix Juiceです」

「いつもありがとうございます」

「こちらこそ」

 少し暗めの照明に鈍く光るグラスの中にはミックスジュースと言われないと分からない様な赤い液体が入っています。材料はトップシークレットらしく、教えてもらえませんがおそらくトマトやアセロラが入っているのでしょう。

 そしてこのジュースが出される日は決まって私達もトップシークレットになるのです。

 一口飲むと病みつきになる、というキャッチフレーズが大げさにならない程、わたしはこのジュースに取り憑かれます。

「虜になりますね」

「そうでしょう」

 彼は水を入れながらまた微笑みます。本日三回目の猫。

「ごちそうさまでした」

 空になったグラスを下げながら彼はわたしの耳元に口を寄せてきます。

「いただきます」

 空いた指で誰もいなくなった店の照明を落とせば二人の秘密は始まるのです。


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― 新着の感想 ―
[一言] エロスが文章からしとどに溢れていますね。
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