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探偵は大家族

掲載日:2026/03/26

この家には、普通の人間がいない。


 というと、だいたいの人は「またまた」と笑う。

 だが、笑っていられるのは最初だけだ。


 一時間もいれば、だいたい黙る。

 三時間もいれば、たいてい帰る。

 一日いた人間は、二度と来ない。


 理由は簡単だ。


 全員、天才だからである。


「ねえ兄ちゃん、今の足音、三人分だったよね?」


 玄関の外を見もせずに、妹が言う。


 俺は新聞から目を上げることなく答えた。


「二人だよ。片方は重心が左に偏ってる。杖か怪我」


「え、でも三つ聞こえた」


「三人目は猫」


「あ、ほんとだ」


 カラカラ、と玄関の戸が開いた。


「すみませーん、配達で……」


 入ってきた配達員が、一歩踏み込んだところで止まる。


 視線の先には、俺たち兄妹ではなく――床。


 玄関の土間に、泥の足跡が三つ。


 人間二つ、猫一つ。


 妹が小さく笑う。


「ね?」


 配達員は何も言わなかった。


 いや、言えなかったのだと思う。


 この家に入ると、たいていの人間は言葉を失う。


 改めて説明しておこう。


 この家には、現在九人が住んでいる。


 全員血縁の大家族。

 そして、全員がそれぞれ違う分野の“天才”だ。


 長男は数理。

 長女は言語。

 次男は記憶。

 三男は観察。

 四女は直感。

 五男は機械。

 六女は心理。

 七男は身体。

 そして――


 俺は、そのどれでもない。


「おかえりー」


 居間に入ると、すでに全員揃っていた。


 平日の昼間だというのに、誰一人として学校にも職場にも行っていない。


 それでも、この家は成り立っている。


 むしろ、外よりよほど効率的に。


「今日の来客、三件だよ」


 長女が言う。


「一件目は浮気調査、二件目は盗難、三件目は――」


「殺人未遂」


 六女が言葉を引き取った。


 誰も驚かない。


 驚くのは、いつも依頼人のほうだ。


「もう来てる」


 三男が、窓の外を見ながら言う。


「心拍数上がってる。呼吸浅い。かなり焦ってる」


「じゃあ先にお茶淹れとくね」


 四女が立ち上がる。


「毒は入れないでね」


「入れないよ」


 軽口が飛ぶ。


 誰も笑わない。


 これが通常運転だからだ。


 インターホンが鳴る前に、七男が玄関に向かう。


「来るよ」


 そして、ちょうどそのタイミングでチャイムが鳴る。


 完璧な一致。


 もはや偶然ではない。


 日常だ。


 依頼人は、三十代後半くらいの男だった。


 スーツは上等だが、着方が乱れている。


 ネクタイが曲がり、ボタンが一つ掛け違っている。


 焦っている証拠だ。


「た、助けてください……!」


 玄関に入るなり、そう言った。


 七男は靴のまま上がろうとするのを止める。


「靴」


「あ、すみません!」


 男は慌てて靴を脱ぐ。


 その動きのぎこちなさを見て、六女が小さく呟く。


「隠し事、三つ」


 長男がすぐに返す。


「いや、四つ」


 俺は何も言わない。


 言う必要がないからだ。


 男は居間に通され、座る前から話し始めた。


「昨夜、家に侵入者が……! 殺されかけたんです!」


「殺され“かけた”ってことは、生きてるんですね」


 長女が淡々と言う。


「は、はい……!」


「で、何を盗られたんですか」


「な、何も……」


 その瞬間、五男が笑った。


「嘘」


 短く、はっきりと。


 男の顔色が変わる。


「い、いや、本当に――」


「盗られたんじゃない。持っていかれた」


 六女が言う。


「しかも、自分から渡してる」


 沈黙が落ちる。


 男の喉が、音を立てて動いた。


 俺は、その様子をぼんやりと見ていた。


 いつもの光景だ。


 誰かが見抜き、誰かが補強し、誰かが結論に近づける。


 この家では、推理は“共同作業”だ。


 ひとりで解く必要がない。


 むしろ、そのほうが遅い。


「……で?」


 長男が、ようやく口を開いた。


「本当は、何を持っていかれた?」


 男は、しばらく黙っていた。


 逃げ道を探すように、視線を泳がせる。


 だが、この家に逃げ道はない。


 あるのは、観測と、解析と、断定だけだ。


「……データです」


 やがて、絞り出すように言った。


「会社の……極秘の」


「種類は?」


「……AI関連の、研究データで……」


 その言葉に、全員の空気がわずかに変わった。


 興味を持ったときの、微細な変化。


「なるほどね」


 五男が立ち上がる。


「じゃあ犯人、だいたいわかった」


「早すぎるでしょ」


 四女が笑う。


「いや、条件が揃いすぎてる」


 三男も頷く。


「侵入経路、特定できる」


「心理的にも辻褄合う」


 六女が続く。


 まるで、一つの頭脳みたいに。


 男が呆然とする中、俺は一人、違うことを考えていた。


 この家は、確かに天才の集まりだ。


 推理も、分析も、解決も、すべてが速い。


 正確で、無駄がない。


 ――だからこそ。


「……それ、犯人じゃない」


 俺は、初めて口を開いた。


 全員の視線が、一斉にこっちを向く。


 ほんの一瞬。


 静寂。


「……なんで?」


 長男が聞く。


 少しだけ、興味を含んだ声で。


 俺は、肩をすくめた。


「簡単だよ」


 テーブルの上の湯のみを見る。


 まだ手をつけられていない。


「この人、死ぬ気で嘘ついてるから」


 空気が、止まった。


 ほんのわずかに。


 この家の“推理”が、初めてズレた瞬間だった。

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