9.初恋の人
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本日の更新後、しばらく更新をお休みします。
内容を見直したいのと、仕事が立て込んでいるためです。
申し訳ございませんが、再開までお時間をくださいませ。
どうぞよろしくお願いいたします。
バシュラール公爵は長身だけあって足が長く一歩が大きい。気付けばすでにジョゼフィーヌの目の前に立っていた。近くで見ると女性たちがさわぐのも頷けるほど端整な顔をしている。ついじっと見入っていると、低いけれど心地よい声が耳に届いた。
「シャレット公爵令嬢。私と一曲踊っていただけませんか?」
「はい。バシュラール公爵様。私でよければ」
シルバーグレイの髪が月光のように眩い。グレイの瞳を優しく細めながら、恭しく手を差し出した。
「いってらっしゃい」
ミラベルがジョゼフィーヌの背中をそっと押した。力は入っていなかったのに足は前に二歩進んでバシュラール公爵の手を取れる位置に移動した。彼はふっと口元を綻ばせたのでつられてジョゼフィーヌも口元を綻ばせた。そのままバシュラール公爵のエスコートでホールの中央まで来るとタイミングよく音楽が変わった。自然と足が滑らかに動き出す。
バシュラール公爵のリードは完璧で、腰を支えてくれる手は頼もしい。体が軽くなったように感じるほどだ。バシュラール公爵はさっきまでとは打って変わって気さくに話し出した。
「ジョゼ、難しい顔をしているとせっかくの美人が台無しだよ」
「リックは綺麗な女性に囲まれて楽しく過ごせてよかったわね。私は婚約者に放置されたのよ。笑顔にはなれないわ」
皮肉まじりの不満がこぼれる。
ジョゼフィーヌはバシュラール公爵をリックと呼んだ。今はダンス中で音楽が流れているから会話を人に聞かれることはないからいいだろう。
オードリック・バシュラール。それが彼の名前だ。ジョゼフィーヌは昔から愛称のリックと呼んでいる。そう、彼こそがジョゼフィーヌの初恋の王子様である。
リックは隣国の現王の弟だが四年前に臣籍に下り、後継ぎのいないバシュラール公爵と養子縁組をした。リックが養子に入って半年後に先代の公爵が亡くなりリックがバシュラール公爵家当主となった。
ぶすくれている顔を見られたくなくて顔を逸らしていたが、このまま逸らしていても踊り辛い。視線をリックに向けるとすぐに目が合った。リックはまっすぐにジョゼフィーヌを見つめていた。見つめ合う形になると、リックは腰を支えている手に力を込めてジョゼフィーヌの体を自分のほうに引き寄せた。思いがけず密着して……ドキドキしてしまう。
公の場でリックと踊るのは初めてだけど、シャレット公爵邸に遊びに来ているときに練習に付き合ってと頼んで何度も踊っているので慣れていた。だからリックとのダンスは緊張するどころか楽しめる。こうしていると二人で過ごした懐かしい思い出が次々に思い浮かんできた。
(ダンスの練習では何度もリックの足を踏んだのに、怒られたこと一度もなかった。馬が怖いと泣く私に根気よく乗馬を教えてくれたのもリックだったなあ)
「ところでジョゼ、アルバン殿下は何をしているんだ? 婚約者を放置して別の令嬢と談笑して客に挨拶にも来ない。招いておきながら私は歓迎されていないようだね。しかも両陛下がそれを注意しないとは呆れるよ」
「ごめんなさい。私がアルバン殿下を引っ張っていくべきだったわ」
ちょっとだけそうすべきかと悩んだ。でもそれが無性に悔しかった。ジョゼフィーヌはアルバンの教育係でも母でも姉でもないのに、小言を言って連れ出さなければならないのかと。アルバンの世話を焼いている姿をリックに見られたくないとも思った。
(アルバンという婚約者がいながら……未練よね。リックへの気持ちをまだ捨てきれていない。本当は私の方が不誠実で、それでアルバンはエステルを好きになったのかな)
恋心は捨てきれなかったけれど、アルバンと婚約してからはアルバンと誠実に向き合ってきたつもりだった。彼を支えそして国を守るための努力を疎かにしたことはないと、それは断言できる。でも心だけはどうにもならなかった。
ジョゼフィーヌがシュンとするとリックは緩く首を左右に振った。
「ジョゼに落ち度はないし責めたわけではない。アルバン殿下は成人している。自分の行動の責任は彼が負うべきだろう」
「ありがとう。慰めてくれて」
「慰めたのではなく事実を言ったまでだよ。ジョゼは……アルバン殿下を……いや、いい」
「なあに?」
「今度バシュラール領に遊びにおいで。領民は穏やかで空気のいいところだ。王都のような華やかさはないから、人によっては退屈な田舎らしいけどね」
「あら、私は素敵だと思う。もしも行けるものなら行きたいな。でも隣国に入国するのには手続きがたくさんあるわ。時間も取れないし」
「どうとでもできるよ。バシュラール領とシュレット領とは隣り合っているのだから。正式訪問ではなくお忍びならいくらでも融通が利く」
「ふふ、リックはたくさんの前科があるものね」
「まあな」
それは自慢げにすることではないのにと心の中で突っ込んでおく。リックの言葉通り、シャレット領とバシュラール領は国境線を挟んで隣接している。国境線には鉄の柵が張り巡らされていて騎士が巡回している。リックは毎回柵を登ってシャレット領に入っていたそうだ。来るときは事前にお父様に連絡してあったので、見張りの騎士は見て見ぬふりをするのが定番となっていた。思えばなかなか大胆だ。
リックの護衛騎士も一緒に柵越えをしなければならないので騎士たちの苦労が忍ばれる。
(おいでと誘ってくれるのは嬉しいけど、さすがに私は柵を越えられないと思う。しかもこれは密入国よね? 犯罪……いや、考えるのはやめよう)
「ところでリックの新しい婚約者は決まっていないの?」
「いないよ」
「国内の有力貴族のご令嬢で好ましい人とか、もしくは候補の女性は?」
「ははは。田舎に来てくれる物好きな女性は簡単には見つかりそうもないよ」
「そうなのね」
心の中で「はーい!」と返事をした。物好きならここにいますよ。立候補します! と言えたらいいのに。でも、もしも本当にアルバンが婚約解消を言い出したらジョゼフィーヌの未来が変わる。
そのときにリックがすでに婚約していたら悪夢再び、となり告白のチャンスを逃してしまう。もしそうなったら神様が執拗に意地悪しているとしか思えない。それとも絶望的なまでに二人に縁がないのか……。
楽しい時間はあっという間に終わってしまう。曲が終わりホールから出ればリックの手を離さなければならない。寂しいと思うのは不貞になるのだろうか。
「おや、対抗しているのかな?」
「え?」
リックの視線の示す方を見ればアルバンがエステルの手を取りダンスをしていた。貴族たちは怪訝な表情でアルバンとエステルを見ている。ずるいかもしれないけれどジョゼフィーヌはこれでお互い様だと心が軽くなった。
アルバンと踊るエステルは気後れすることなく笑みを浮かべている。二人に対し好意的な視線はほとんどないのに、根性があるのか自信があるのか、それとも無知ゆえか。
「ジョゼ、また会おう」
「リックったら、またお忍びをするつもり?」
今の二人の立場では公式に会える機会はなく、リックがお忍びをしなければ会えない。
リックは口元を綻ばせただけで返事をしなかった。公爵としての仕事が忙しいのによくお忍びの時間が取れると思う。つい暇なの? と言いたくなってしまう。
だけどリックにはきっとジョゼフィーヌの知らない苦労があるはずだ。でもそれを感じさせない。王子のときも公爵当主になっても自由に行動しているように見える。その姿が眩しく感じた。
(リックと一緒に生きることができたら、きっと楽しいだろうな)
その考えはすぐに打ち消した。ジョゼフィーヌはまだアルバンの婚約者なのだから。




