3.婚約者が一目惚れをした
周囲の不審な空気を先に察知したのはアルバンだった。失態ではあるがすぐに我に返ったのはさすが王太子といったところだ。すぐにリードして踊り始めた。相手の令嬢は弾けそうな笑みを浮かべていた。
私は目の前の出来事に驚き、目を見張った。
「彼女は……クレール子爵家のエステル様だったわね」
少しだけかすれた声が喉から漏れた。
エステルは真っ白なドレスを翻し軽やかに踊っている。その様子は堂々として、相手が王太子であっても臆していない。なかなか度胸があるし運動神経もよさそうだ。
二人はダンスに夢中になっていた。エステルは熱心にアルバンを見つめ、その瞳には憧れや甘い未来に期待するようなものが浮かんでいた。きっと自分に信じられない幸運が降ってくると想像しているだろう。でもそれは初めてアルバンに対面する令嬢がよく浮かべるもので、珍しいものではない。
(女の子にとって王子様って憧れの存在よね)
問題はアルバンだった。ジョゼフィーヌや他の令嬢たちとエステルを見る表情はあきらかに違う。アルバンの瞳には彼女を求める熱があり、自分の感情を隠すこともせず、彼女以外が目に入っていない。そう、あれは……まるで恋に溺れる愚かな男のそれだった――。
ここにいる人間はみなアルバンの気持ちに気づいている。私は顔を動かさず宰相に視線だけを向けた。すると口を歪め、隠すことなく瞳に苛立ちを滲ませていた。常に冷静で切れ者の宰相が珍しいが、わからなくもない。きっと『また、王家は国よりも自分の感情を優先するのか』と苦い感情を抱いている。
陛下の内定していた婚約者とは宰相の一人娘だった。宰相は大切な一人娘を王家に差し出し、自分の家には縁戚から養子を迎える準備をしていた。そして娘にはしっかりと妃教育を施していたのだ。その女性はとても優秀でまさに王妃に相応しいと評判だった。今は実家のドバリー公爵家を継いで女公爵様となり手腕を振るっている。
結局、陛下は宰相や貴族たちの反対を押し切り、身分の低い女性を王妃に迎えた。その息子が父親と同じように身分に相応しくない相手に恋をした。また同じことになるのかと考えている。
「殿下はご自身の立場を失念している……」
エステルに一目惚れしたことは仕方がない。恋することを止めることは誰にもできないのだから。でも公の場なのだから悟られないように振舞うべきだ。私たちはそういう教育を受けてきたはずなのに。
ジョゼフィーヌはアルバンにがっかりした。でもまだ失望はしていない。冷静になればアルバンは己の行動を反省するかもしれない。
だけど陛下と同じように周囲の反対を押し切ってエステルを妃したいと望んだら?
まだわからない。まずは様子を見て。それから――。
♢♢♢
残念ながら様子を見るまでもなく明らかにアルバンは浮かれていた。あのダンスのあともアルバンはエステルの姿を目で追い続けた。貴族たちとの歓談中もずっと上の空で相槌を打っていた。仕方なく隣にいたジョゼフィーヌがフォローした。
翌日にはデビューした令嬢たち全員に薔薇を贈っていた。これは異例なことで、今までそんなことをしたことない。しかも一輪ずつで手配したのに、手違いでエステルにだけ大きな花束が届いたらしい。側近たちが嬉々として手伝っていたので、手違いはアルバンの心情を慮ったということになる。
(殿下を喜ばせようとガストン様あたりが指示したのでしょうね。だけど悪い評判が立つと思い至らないようでは側近失格だと思う)
ガストンはジッド侯爵家の次男で家を継げないから騎士団に入った。長身で体格もよく能力も高かったので騎士は向いていた。その実力を認められ殿下の護衛兼友人兼側近に選ばれたのだ。本来ガストンはアルバンに苦言を呈する立場にいる。
案の定、花の件は瞬く間に社交界に広まってしまったので、誤魔化しようがない。すでに社交界では「アルバン殿下は子爵令嬢を恋人にするつもりだ」と噂が流れ始めた。火消しができるかどうか……。
それなのにアルバンが追い打ちをかけるようなことを言い出した。
「え? デビュタントの令嬢たちをお城に招く?」
「ああ、城でお茶会をすればいいと思わないか? もちろんジョゼフィーヌ主催で」
「それなら毎年シャレット公爵邸で行っています。今年に限ってお城でする必要はないですよね?」
ジョゼフィーヌがアルバンと婚約して以降、デビューした令嬢たちを我が家に呼んでお茶を振舞い、社交界のマナーや暗黙のルールを教えている。
これから令嬢たちは交友関係を構築し、家の繋がりを広げる担い手となっていくのだから知識は必要だ。また不埒な男性に騙されないように、危険人物リストも渡している。このお茶会はジョゼフィーヌが善意で始めた私的なもの。わざわざお城で開く理由はない。
「……いや、城の方が社交界に馴染みやすくなると思わないか?」
「……」
「な、思うだろう?」
アルバンは力を込めて訴える。どうしてもエステルと会いたいらしい。
エステルは子爵令嬢なので、普段登城することはない。だからアルバンと会う機会はほぼないのだ。せいぜい夜会くらいだが、社交シーズンに入ったとはいえアルバンが出席する夜会にエステルが招待される可能性は身分的に極めて低い。
「お城で行うのなら王妃様が主催されてはどうでしょう?」
エステルと会うための口実にジョゼフィーヌを利用するなど迷惑だ。だから王妃様主催のお茶会にしてはどうかと提案した。
まあ、それも無理だろうけど。王妃様主催のお茶会は高位貴族の女性が中心で、デビューしたばかりの令嬢を今まで招いたことはない。
「母上には反対され……いや、若い令嬢たちは母上だと竦んでしまうからジョゼフィーヌが招く方がいいと思う」
アルバンはジョゼフィーヌの目を見て同意を得ようと必死になっている。
王妃様が反対したのは意外だった。王妃様は息子を可愛がっている。アルバンの願いを叶えるために後押しをしそうなのに。
「アルバン殿下。今年だけ場所をお城にする理由はありません。予定通り公爵邸で行います。それにもしもお城でお茶会を開いても殿下は参加できませんよ?」
「…………」
アルバンはぐっと口を引き結んだ。図々しい。今までアルバンがジョゼフィーヌの開くお茶会に顔を出したことは一度もない。それなのにエステルを招くお茶会には出るつもりでいたようだ。
後ろにいるガストンがジョゼフィーヌを睨んでいる。気を利かせろと言いたいのだろう。
ジョゼフィーヌは感情を消した表情でガストンを見た。すると怯んだようにサッと目を逸らした。このくらいで怯むなと言いたい。そもそも側近としてアルバンの軽はずみな行動を諫めるべきなのに、加勢するなんて馬鹿なこと。まさかジッド侯爵からの指示なのかしら?
アルバンは引こうとせずに口を引き結びジョゼフィーヌをじっと見ている。まるで子供が自分の我を通そうとしているようだ。
ジョゼフィーヌはやれやれと呆れながら、受け入れることにした。
「わかりました。お城で開くことにしましょう。それでいいですか?」
「ああ、ありがとう。ジョゼフィーヌ!」
アルバンはぱあっと顔を明るくした。浮かれすぎですよ。あまりに素直すぎて引く。無邪気な顔を見れば自分が婚約者に恋の手伝いを頼んでいることを自覚していないとわかる。恋ってこんなに恐ろしいものだったかしら?
「……どういたしまして」
頭の中はエステルのことでいっぱいで、己の立場や貴族たちにどう思われるかまで考えが至ってなさそう。そもそもジョゼフィーヌという婚約者がいるのだから、アルバンがエステルと結婚することはできない。
深刻な事態になりそうならお父様や宰相に相談してエステルを排除……だと表現が悪いわね。アルバンに諦めさせるためにエステルに婚約者をあてがうのも手だ。
(これじゃあ私、悪役みたいじゃない?)
だけど結婚を一年後に控えているのだから、悪役と言われようとも自分の立場は守りたい。そう思うのは我儘じゃないはずだ。




