⑲ 魔女の憂鬱
真田雪子は、血塗られた自らの両手を見ながら、何だかふと、虚しくなった。
彼女は今の今まで、様々な並行宇宙を渡り歩いて、次から次に、勝手に極悪人に認定した、アドルフ・ヒトラーの同位体を捜し出しては、抹殺して来たのだった。
それは彼女が、100人目程のヒトラーの息の根を止め終わった頃だったろうか…もうとうの昔に、面倒になって数えるのをやめていた。
彼女は、或る重要な事実に気がついたのだった。
「ワタシったら、なんて間抜けだったのかしら。」
そもそも、誰が"ただの芸術家志望だったヒトラー少年"に悪魔の囁きをして、将来の"独裁者で虐殺者のヒトラー総統"に仕立て上げたのかを、突き止めるべきなんじゃないの?
でも、もし、その行動を阻止したりしたら、その後の歴史が大きく変わってしまう。
ああ、でも、独裁者ヒトラーの居ないセカイも見てみたい…。
…結局、彼女は好奇心に負けた。それは兎にも角にも、現在自分がやっている、版で押したようなつまらない行為の繰り返しよりは、遥かにマシな行動に思えた。
そうと決まったら、早速取り掛かるとしよう。
雪子はまた、昭和の延長上の世界線の、サン・ジェルマンの元を訪れた。
それは西暦1991年2月3日の日曜日。
午前9時30分の事である。
「おや、随分とご無沙汰でしたねえ。何だか疲れた顔に見えますけど、大丈夫ですか?」
今日も彼は、ジェントルな感じで迎えてくれた。
「ええ、お陰様でね。悪いけど、また、アナタのビートルを借りてもイイかしら?」
「イエローので良ければ、空いてますよ。」
「…ソレでイイわ。お願い。」
「…使用理由は…訊かない方がイイんですよね?」
「ええ、出来れば…。」
「分かりました。アナタとワタシの仲ですから、特別ですよ。」
「いつも、ごめんなさい。」
「良いですけど…くれぐれも無理なさらないようにしてくださね?」
「ありがとう。優しいのね?…良く覚えておくわ。」
サン・ジェルマンに別れを告げた雪子は、地下駐車場のビートルの元に向かった。
彼女は黄色いクルマの運転席に座ると、イグニッションをオンにして、以下のように目的地の座標を入力する。
西暦1907年11月1日 金曜日
午前10時00分
北緯 48度 12分
東経 16度 22分
そして外に出たビートルは、直ちに光学迷彩を掛け、垂直上昇して行ったのだった。




