婚約破棄された侯爵令嬢、母の日記で王太子を暴く
「侯爵家は軍と密約し、王位簒奪を企てた。お前の母が証拠だ」
王太子オズワルドの声が、謁見の間に響く。私――リゼット・ド・アルトワは、震える拳を握りしめた。
婚約破棄。
その言葉が、胸を刺す。だが本当に許せないのは、それじゃない。
亡き母への冤罪だ。
母は誇り高い人だった。侯爵家の妻として、領民を愛し、誠実に生きた。その母が、王位簒奪の密約など――ありえない。
「殿下」
私は顔を上げる。
「私は母の名誉を暴きます」
オズワルドの眉が跳ねる。周囲の貴族たちがざわめいた。
「何を言っている。証拠は――」
「ならば、証拠で示しましょう」
私は踵を返し、謁見の間を出る。背中に視線の束が突き刺さる。だが足を止めない。
廊下に出た瞬間、ひとつの影が私の前に立ちはだかった。
北方公爵、ヴォルフレド・フォン・エーベルハルト。
冷徹な軍人として恐れられる彼は、氷のような瞳で私を見下ろす。
「侯爵令嬢」
低い声。
「私が証人になる」
――は?
思わず目を見開く。公爵が、なぜ私に?
「殿下の主張には、軍部の記録が関わる。私は軍務公爵として、真実を明らかにする義務がある」
淡々とした口調。だがその瞳は、私だけを映していた。
「……ありがとうございます」
私は頭を下げる。公爵は無言で頷き、踵を返した。
その背中を見送りながら、私は胸の奥で誓う。
母さん、必ず――必ず、あなたの名誉を取り戻す。
屋敷に戻った私は、すぐに母の部屋へ向かった。
遺品整理で見つけた、あの日記。
暗号で書かれた軍事予算の記録。当時は意味が分からなかったけれど、今なら分かる。これが武器だ。
「お嬢様」
侍女のマルタが声をかける。
「王太子殿下からの使者が」
「……何を」
「3日以内に、領地を明け渡せと」
息が止まる。
3日――。
期限を切られた。急がなければ。
「分かったわ。使者には、検討すると伝えて」
マルタが頷いて去る。私は日記を抱きしめた。
母さん、信じて。
翌日、王宮へ向かう私を待っていたのは、近衛騎士ガレスだった。
「侯爵令嬢、少しよろしいですか」
彼は声を潜める。
「王太子殿下は、軍部の支持を失いつつあります」
「……え?」
「軍事予算の不正使用疑惑が、一部の将校から囁かれているのです。それを隠すために、侯爵家を――」
言葉が途切れる。私は息を呑んだ。
つまり、母が監視していた軍事予算の記録を隠すために、私たちを断罪しようとしている?
「ガレス、ありがとう」
「どうか、ご無事で」
彼は敬礼して去る。私は拳を握りしめた。
王太子、あなたは母を利用したのね。
許さない。
宮廷廊下を歩いていると、突然、後ろから声がかかった。
「侯爵令嬢」
振り返ると、公爵ヴォルフレドが立っていた。
「公爵――」
「こちらへ」
彼は私の前に立ち、他の貴族たちの視線を遮る。まるで、盾のように。
「侯爵令嬢の後ろは、私が守る」
低い声で告げると、彼は歩き出す。私は慌てて後を追った。
なぜ、こんなにも――。
「公爵、どうして私を」
「お前は、真実を求めている」
彼は立ち止まり、私を見下ろす。
「それだけで十分だ」
その瞳に映る、静かな決意。私は胸が熱くなるのを感じた。
だが、王太子の攻勢は止まらない。
貴族会議で、オズワルドは高らかに宣言した。
「先代侯爵の妻が、軍部と密約書を交わした証拠がある。侯爵家は王位簒奪を企てていたのだ」
周囲の貴族たちが、私を見る。その視線は、疑念と軽蔑に満ちていた。
私は日記を握りしめる。
母さん、あなたは誇り高い人だった。私はその娘よ。
負けない。
その夜、私は母の墓前に立った。
「お母様、必ず真実を明かします」
月明かりが、墓石を照らす。母の優しい笑顔が、脳裏に浮かぶ。
「お前は強い子ね、リゼット」
母の声が、聞こえる気がした。
私は涙を拭い、立ち上がる。
明日も、戦う。
翌日の貴族晩餐会。
オズワルドが、私に近づこうとした瞬間――。
「殿下」
ヴォルフレドが、間に割って入る。
「侯爵令嬢は、私の隣に」
その声に、周囲が息を呑む。公爵が、王太子を遮った。
オズワルドの顔が、歪む。
「公爵、これは――」
「軍務公爵として、侯爵家の調査に関わっている。殿下のご理解を」
淡々とした口調。だがその瞳は、冷たく光っていた。
オズワルドは舌打ちして、去る。私はヴォルフレドを見上げた。
「公爵……」
「お前を、誰にも渡さない」
低い声で告げると、彼は私を晩餐の席へ導く。私の心臓が、激しく跳ねた。
晩餐後、ヴォルフレドが私に告げる。
「王立裁定院への申し立てを手配した」
「え……」
「私が証人になる。お前は一人じゃない」
その言葉に、胸が熱くなる。
「ありがとうございます」
「礼はいい。ただ――」
彼は私の目を真っ直ぐ見つめる。
「お前の大切なものは、私が守る」
その瞳に映る、静かな誓い。私は頷いた。
信じる、この人を。
だが翌日、最悪の知らせが届く。
「お嬢様、王太子殿下の兵が屋敷を包囲しています」
マルタの声に、私は飛び起きた。
「何ですって」
「家宅捜索の令状を持っています。母様の日記を――」
絶望が、胸を押し潰す。
日記を奪われたら、全てが終わる。
「マルタ、日記は――」
「ご心配なく」
扉が開き、ヴォルフレドが入ってくる。
「日記は、既に公爵家の金庫に」
「……え?」
「お前が屋敷を出た翌日、私が預かった」
彼は淡々と告げる。私は目を見開いた。
「公爵、それは――」
「王太子が動くことは予測していた。お前の武器は、私が守る」
その言葉に、涙が溢れそうになる。
ヴォルフレド、あなたは――。
「ありがとうございます」
「礼はいい」
彼は私の頭に手を置く。
「お前を、守ると決めたのだから」
その温もりに、私は初めて、心から安堵した。
王太子の兵が屋敷を捜索するが、日記は見つからない。オズワルドの焦りが、報告から伝わってくる。
ヴォルフレドは、私に王立裁定院への同席権を与えた。
「公爵家の名において、侯爵令嬢に裁定への同席を許可する」
その宣言に、周囲の貴族たちが驚愕する。
公爵が、私に権限を?
「ヴォルフレド様……」
「リゼット」
彼は初めて、私を名前で呼んだ。
心臓が、激しく跳ねる。
「お前は、私が守る」
その瞳に映る、静かな決意。私は頷いた。
信じる――この人の全てを。
そしてついに、裁定の日が来た。
謁見の間に、全貴族が集まる。王立裁定院長が、中央に立った。
「本日の議題は、侯爵家の王位簒奪疑惑について」
オズワルドが立ち上がる。
「侯爵家は軍部と密約し、王位簒奪を企てていた。証拠は――」
「待て」
ヴォルフレドが、低い声で遮る。
「軍務公爵として、全軍部将校を召喚した。真実は、彼らが知っている」
その言葉に、謁見の間の扉が開く。
軍服を纏った将校たちが、次々と入ってくる。その数、50人以上。
オズワルドの顔が、青ざめた。
「公爵、これは――」
「逃げ道は、ない」
ヴォルフレドは冷たく告げる。
そして私に、頷いた。
今だ。
「裁定院長」
私は立ち上がる。
「母の遺品を、提出します」
手に持った日記を、裁定院長に渡す。彼は目を通し、暗号解読班を呼んだ。
数分後、解読班の長が報告する。
「これは、軍事予算の正当な記録です。先代侯爵夫人は、軍部の腐敗を監視していた――」
「嘘だ!」
オズワルドが叫ぶ。
「それは偽造だ!」
「では、証人を」
ヴォルフレドが、将校たちを示す。
「軍部記録官、証言を」
一人の老将校が前に出る。
「先代侯爵夫人は、軍務省の依頼で軍事予算を監査していました。その記録は、全て正当です」
「さらに」
別の将校が続ける。
「王太子殿下の側近が、軍事予算を不正使用していた証拠もあります」
謁見の間が、どよめく。
オズワルドの顔から、血の気が引いた。
「ば、馬鹿な……」
「裁定院として、判決を下す」
裁定院長が、厳かに告げる。
「侯爵家に、王位簒奪の意図はなし。むしろ軍部の腐敗を監視していた功績を認める。そして――」
彼はオズワルドを見る。
「王太子オズワルド・レグルスには、侯爵家への誹謗中傷、および軍事予算不正使用の疑いにより、王太子位剥奪を検討する」
謁見の間が、静まり返る。
オズワルドは、震える手で壁にもたれた。
貴族たちが、次々と私に頭を下げる。手のひら返し――だけど、今はどうでもいい。
母さん、勝ったよ。
「リゼット」
ヴォルフレドが、私の前に立つ。
「お前は、よく戦った」
その言葉に、涙が溢れる。
「ヴォルフレド様……」
「だから――」
彼は私の左手を取る。
そして、全貴族が見守る中、私の薬指に何かを嵌めた。
公爵家の印章指輪。
「リゼット、お前は私だけのものだ。全貴族の前で誓う」
謁見の間が、再びどよめく。
公爵が、侯爵令嬢に印章指輪を?
私は、彼を見上げた。
「ヴォルフレド様……」
「お前を、公爵正妃として迎える。侯爵家の名誉は、私が守る。リゼットも」
その瞳に映る、揺るぎない決意。
私は、初めて心から笑った。
「はい」
裁定から数日後、私は母の墓前に立っていた。
「お母様、やりました」
墓石に手を置く。
「あなたの名誉は、守られました」
「リゼット」
後ろから、ヴォルフレドの声。
「もう、行くぞ」
振り返ると、彼が手を差し伸べていた。
「これからは二人で」
私は頷き、その手を取る。
「はい」
公爵家の馬車に乗り込む。ヴォルフレドが、私の手を握った。
「お前を、離さない」
その言葉に、私は微笑む。
「私も、あなたを離しません」
馬車が動き出す。窓の外、王都の景色が流れていく。
母さん、私は――幸せになります。
あなたの娘として、誇りを持って。
そして――公爵ヴォルフレドの妃として。
私は、公爵に選ばれた。
そしてこれから、彼だけを選び続ける。
お読みいただき、ありがとうございました。
婚約破棄から始まる逆転劇、楽しんでいただけたでしょうか。リゼットの強さと、ヴォルフレドの静かな溺愛を描きたくて筆を執りました。
母の名誉を守るために戦う彼女と、彼女だけを特別扱いする公爵——この二人の関係が、読者様の心に残れば幸いです。
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また別の物語でお会いしましょう。
ありがとうございました。




