第八章 血縁という逃げ場
父の事務所は、昼間でも薄暗い。
ブラインドは半分閉じられ、外の光は遮られている。壁に掛けられた額縁の中身は、誰が見ても意味の分からない書だったが、値段だけは高いと噂されていた。
恒一は、久しぶりにそこを訪ねた。
用件は、はっきりしていなかった。
助言が欲しいのか。
介入してほしいのか。
それとも、ただ確認したいだけなのか。
父は、ソファに深く腰掛け、新聞を読んでいた。
恒一が入っても、すぐには顔を上げない。
「最近、港の連中と動いてるな」
新聞を畳まずに、父は言った。
「知ってたんですか」
「知らねえわけがねえだろ」
父は、ようやく視線を上げた。
その目には、怒りも心配もなかった。
あるのは、計算だけだった。
「あれは、国の話じゃねえ」
唐突だった。
「じゃあ、何なんですか」
父は、鼻で笑った。
「利権だ」
短く、切って捨てるように言った。
恒一の中で、何かが音を立てて崩れた。
否定ではない。
裏付けだった。
「お前が信じてる連中はな」
父は、指で机を叩いた。
「国を使って、話を早くしたいだけだ」
恒一は、何も言えなかった。
父は続けた。
「だがな、それが悪いとは限らねえ」
その言葉に、恒一は顔を上げた。
「国ってのは、そういうもんだ。
きれい事だけじゃ、動かねえ」
それは、父なりの現実論だった。
否定できるほど、恒一は賢くなかった。
「じゃあ、俺は……」
「使われてるか?」
父が、先に言った。
「そうだ」
即答だった。
「だが、それでいい」
恒一の拳が、無意識に握られた。
「お前は、使われる側に回れる人間だ。
それは、才能だ」
その言い方が、何よりも残酷だった。
使われることが、肯定される。
それが、血縁の教えだった。
「妹には、手を出させるな」
恒一が、ようやく口にした。
父は、一瞬だけ黙った。
「それは、別の話だ」
その線引きが、どこにあるのか。
恒一には、分からなかった。
事務所を出ると、夕方の風が冷たかった。
逃げ場だと思っていた血縁は、
いつの間にか、
現実を突きつける場所になっていた。
夜、母から電話があった。
「あなた、何を守りたいの」
珍しく、問いかけだった。
恒一は、答えられなかった。
国家か。
家族か。
自分か。
どれも、同じ言葉で守れると思っていた。
それが、間違いだったと気づき始めている自分を、
まだ認めたくなかった。
血は、逃げ場にはならない。
むしろ、
逃げ道を塞ぐものだった。




