第三十三章 割り込む手
想定外は、同時に来た。
まず、父だった。
港へ向かう途中、恒一の前に黒いセダンが滑り込む。ドアが開き、父は昔と同じ歩き方で降りてきた。急がない。威圧もしない。ただ、逃げ道だけを塞ぐ。
「取引が終わった」
父は言った。
「お前の名前は、表のリストからは外れた。代わりに、裏の“終わった案件”に移された」
助けではない。保護でもない。
処理だ。
「もう使われない。だが、もう守られもしない」
父は、視線を逸らした。
「俺ができるのは、ここまでだ」
恒一は頷いた。怒りは出てこない。父の論理は、昔から一貫している。生き延びるために、切る。
次に来たのは、国家だった。
通りの向こうに、見慣れた制服が立っている。母ではない。だが、母の部署の人間だと、恒一には分かった。歩幅、目線、無駄のなさ。
「連絡は入れました」
男は低い声で言う。
「あなたの母親は、任務として情報を上げた。家族としてではない」
責める口調ではない。報告だ。
「今日は、何も起こさないでほしい。それが、国家としての希望です」
命令ではない。だが、拒めば次があることも、言外に含まれている。
恒一は、母の顔を思い浮かべた。背筋の伸びた後ろ姿。感情を任務に混ぜない人。
理解はできる。
許せるかどうかは、別だ。
最後に割り込んできたのは、左翼だった。
玲奈が、歩道の端に立っている。派手なプラカードも、仲間もいない。私服。目の下に、寝不足の影。
「来ると思ってた」
恒一が言う。
「止めに来たわけじゃない」
玲奈は首を振った。
「事故を減らしに来た」
その言葉に、恒一は短く笑った。
「相変わらずだな」
「あなたも」
玲奈は、封筒を差し出した。
「これ以上、あなたを使わないって、内部で決めた。今日、全チャンネルに通達が回る」
善意ではない。損切りだ。
「あなたが消えるとき、誰かの数字にならないように」
その配慮が、かえって重い。
三方向からの視線。
父の現実。 国家の管理。 左翼の被害最小化。
どれも、正しい。
だが、どれも、彼の矜持には触れていない。
恒一は、ゆっくりと息を吐いた。
「ありがとう」
三者に、同じ言葉を向けた。
感謝ではない。区切りだ。
「今日は、俺が決める」
父は何も言わず、車に戻った。
制服の男は、通信機に短く報告した。
玲奈は、視線を逸らさずに言った。
「日本は、あなた一人で背負うものじゃない」
恒一は頷いた。
「分かってる」
だからこそ。
彼は、誰の物語にも乗らない。
割り込む手が引いたあと、
道は、再び彼一人のものになった。




