第二十七章 観測される男
彼は、最初から「象徴」だった。
左翼側の内部で、恒一はそう整理されていた。名前よりも先に、肩書きが出る。
――過激派右翼の若手。
――暴力団の血。
――危険人物。
蒼浜で活動する左派ネットワークの定例ミーティングで、話題に上がる時も、常に三行で済まされる存在だった。個人として分析する価値はない。そう判断されていた。
だが、除名のニュースが出た日、空気が変わった。
「切られた?」
誰かが言う。
「使い捨てだな」
別の誰かが、淡々と続ける。
発言しているのは、労組系、学生系、市民団体系。思想は微妙に違うが、この点だけは一致していた。
危険なのは、彼個人ではなく、彼を使っていた構造だ。
マイクを握っていた女――恒一と話した女は、メモを見ながら言った。
「彼は、監視対象から“観測対象”に変わった」
監視は、排除の準備だ。
観測は、理解の試みだ。
「感情的で、攻撃的。でも、命令待ちの癖がある」
誰かが補足する。
「上が決めないと動けないタイプ」
それは、彼女が現場で見た恒一の立ち姿と一致していた。
「危険なのは、孤立した時」
女は、そこに線を引いた。
「守る場所がなくなった人間は、思想じゃなくて、衝動で動く」
沈黙。
誰も否定しなかった。
別の若い男が言う。
「助ける気はあるんですか」
女は、首を振った。
「救済じゃない。接触するなら、事故を防ぐため」
左翼の現場では、よくある判断だった。思想的に相容れない相手でも、最悪の結果を避けるために声をかける。
「でも、彼は敵ですよ」
「ええ」
女は即答した。
「だからこそ、理解する必要がある」
彼女の頭の中では、恒一はすでに“危険因子”ではなく、
暴発寸前の個人として整理されていた。
ミーティング後、女は一人で歩きながら考える。
恒一は、何を失ったのか。
組織。
家族。
役割。
そして、敵。
敵がいなくなった時、人は自分自身に向かう。
それを、彼女は何度も見てきた。
だからこそ、恒一が次に取る行動は、
社会的ではなく、私的で、不可逆なものになる可能性が高い。
彼女は、携帯を取り出し、短いメモを打った。
《蒼浜。元過激派右翼。孤立。家族断絶。要注意》
それは告発でも、通報でもない。
記録だ。
左翼は、彼を倒そうとはしていなかった。
ただ、
壊れる瞬間を、見逃さないようにしているだけだった。




