第二十二章 取引という裏切り
父親が“喋った”という噂は、恒一の耳に入るまで、そう時間はかからなかった。
拘置所という閉じた空間では、情報は遅れるが、歪まずに届く。誰が誰を裏切ったか、誰が延命を選んだか――その種の話だけは、異様な精度で伝播する。
「親父さん、検察と手ぇ打ったらしいぞ」
団体の古参が、煙草の煙越しに言った。
「政治団体への資金ルート、街宣の裏金、名前も結構出てる」
恒一は、表情を変えなかった。
驚きはない。父は、そういう男だ。
父にとって、裏切りは倫理の問題ではない。生存戦略だ。状況が変われば、昨日の仲間は今日の材料になる。
面会室で会った父は、痩せてはいたが、目は死んでいなかった。
「来ると思ってたぞ」
父は、アクリル板越しに、軽く笑った。
「どういうつもりだ」
恒一の声は、低く、硬い。
「取引だ」
父は即答した。
「俺一人が沈めば済む話じゃねえ。上も、横も、巻き込む。そうしなきゃ、こっちが殺される」
恒一は、拳を握った。
「国家のためじゃないのか」
父は、鼻で笑った。
「国家? あれは便利な看板だ。だがな、国は俺を守らねえ。組も、団体も、最後は自分だ」
その言葉は、恒一が感じた違和感を、無慈悲に肯定するものだった。
「お前も、利用されてるだけだ」
父は、声を落とした。
「名前が知られすぎた。若くて、過激で、血筋も派手だ。捨てるにはちょうどいい」
恒一は、立ち上がりかけて、踏みとどまった。
「俺を売ったのか」
「売ってねえ」
父は首を振る。
「まだな。だが、時間の問題だ」
沈黙が、面会室を満たす。
父は、最後にこう言った。
「逃げろ。思想じゃ、腹は満たせねえ」
恒一は、何も答えず、席を立った。
その夜、団体の内部で異変が起きた。
恒一の関わった過去の案件が、次々と“問題視”され始めたのだ。現場判断、過剰行動、警察対応の不備――すべて、後出しの理由だった。
明らかに、切り離しが始まっている。
父の供述が、どこまで行ったのかは分からない。だが、検察が狙っているのは、単なる暴力団ではない。政治と暴力の接点だ。
恒一の名前は、ちょうどその交差点にあった。
夜明け前、恒一は一人、港の方へ車を走らせた。
父の言葉が、頭の中で反芻される。
――国は守らねえ。
信じてきたものが、音を立てて崩れていく。
それでも、恒一は、まだ国家を手放せずにいた。
それが、唯一、自分を正当化できる拠り所だったからだ。
裏切りは、父から始まった。
だが、本当の取引は、これからだった。




