第二十章 国家という言い訳
国家は、便利な言葉だ。
具体性を持たない。
顔も、声も、責任もない。
だが、何かを正当化するには十分すぎる重さがある。
恒一は、その言葉を何度も使ってきた。
無意識ではない。
意識的にだ。
会合の場で、
誰かがためらう素振りを見せると、
決まって出てくる。
「国家のためだ」
その一言で、
空気は前に進む。
反論は、
個人的な事情に格下げされる。
数日後、
蒼浜市で大規模な集会が予定された。
表向きは、国防政策に関する意見交換会。
だが、誰もが分かっている。
衝突が起きる。
警察の配置。
動線。
立ち位置。
すべて、事前に共有されていた。
恒一は、現場責任者の一人として立つ。
マイクは持たない。
だが、
視線が集まる位置にいた。
対峙する側も、
準備をしている。
ヘルメット。
プラカード。
覚悟の表情。
罵声が飛び交う。
国賊。
ファシスト。
売国奴。
言葉は、
もう意味を持たない。
最初に起きたのは、
押し合いだった。
次に、
誰かが転ぶ。
それだけで、
十分だった。
警察が割って入る前に、
数秒の空白が生まれる。
その隙に、
何かが起きる。
恒一は、
動かなかった。
止めもしない。
煽りもしない。
許可している。
それだけで、
歯車は回る。
結果は、
ニュースになる程度だった。
負傷者数名。
逮捕者数名。
死者はいない。
「抑制が効いた」
後の報告で、
そう評価された。
恒一は、
その言葉に、
初めて嫌悪を覚えた。
抑制とは、
何を基準にしているのか。
命か。
騒ぎか。
世論か。
帰宅すると、
妹が玄関で待っていた。
「今日、
会場の近くにいた」
声が、震えている。
「怖かった」
それだけ言って、
部屋に戻った。
恒一は、
何も言えなかった。
国家のため。
正しい道。
未来。
どの言葉も、
今は、
言い訳にしか聞こえない。
夜、
一人で座り込み、
スマートフォンを見つめる。
支持のメッセージ。
称賛。
感謝。
それらが、
急に遠く感じられた。
国家は、
守ってくれない。
責任も、
取ってくれない。
それでも、
人は国家を持ち出す。
恒一は、
その理由が、
少し分かった気がした。
自分の選択を、
一人で背負いたくないからだ。
だが、
背負うものは、
すでに背中にある。
降ろす方法は、
まだ、
見えていなかった。




