第十九章 引き金の所在
引き金は、誰かの指にあるとは限らない。
恒一は、そのことを理解し始めていた。
自分は、引き金を引いていない。
だが、引き金が引かれる状況を、言葉で整えている。
それで十分だ。
蒼浜市で、小さな事件が起きた。
夜の駅前。
保守系の若者数人と、市民団体の活動家が口論になり、
殴り合いに発展した。
一人が、刃物で刺された。
即死ではない。
だが、重傷。
ニュースでは、
「思想的背景は不明」とされた。
恒一は、その表現に苦笑した。
不明なのではない。
触れないだけだ。
団体の事務所は、静かだった。
誰も騒がない。
誰も祝わない。
先生が、ぽつりと言った。
「起きるべくして、起きた」
評価でも、非難でもない。
事実確認だ。
「誰がやったかは」
恒一が聞く。
「重要じゃない」
その答えに、
もう違和感はなかった。
スーツの男が、
いつもの調子で補足する。
「責任は、
個人に帰す」
それが、
この世界の安全装置だ。
恒一は、
自分の過去を思い返した。
最初は、
怒りだった。
次に、
使命感。
そして今は、
流れ。
感情は、
もう前に出てこない。
それが、
成熟なのか、
麻痺なのか、
判断がつかない。
夜、
母から電話が入った。
「事件の件、
何か知ってる?」
声は、
一線を保っている。
「知らない」
それは、
嘘ではなかった。
「そう」
母は、
それ以上聞かなかった。
国家に仕える人間は、
聞かない選択も知っている。
妹は、
事件を知らなかった。
知らないままでいてほしかった。
恒一は、
テレビを消した。
画面の向こうで、
誰かが語っている。
分断。
過激化。
危険な兆候。
どれも、
正しい言葉だ。
だが、
その正しさは、
現場を止めない。
数日後、
スーツの男が言った。
「次は、
もう少しはっきりする」
何が、とは言わない。
「準備は」
「できている」
恒一は、
即答した。
それが、
自分の声だと、
もう疑わない。
引き金は、
誰かの指にある。
だが、
引き金の位置を決めたのは、
自分たちだ。
その事実から、
目を逸らすことは、
もう、できなかった。




