第十四章 英雄の不在
男は、死ななかった。
それを知ったのは、二日後のことだった。
病院名も、容体も伏せられた短い続報。
「意識は戻っていないが、命に別状はない」。
恒一は、その一文を何度も読み返した。
助かった。
その事実が、安堵でも救いでもなく、
ただ別の重さとして胸に沈んだ。
殺せなかった。
だが、壊した。
それは、どちらなのか。
団体の内部では、誰もその話をしなかった。
まるで、最初から「死ぬ予定ではなかった」かのように。
「よく収まった」
先生は、そう言っただけだった。
「世論も、警察も動かない」
成功の定義は、
常に「騒ぎにならないこと」だった。
恒一は、その場で初めて気づいた。
彼らは、英雄を必要としていない。
殉教者も、烈士も、要らない。
必要なのは、
欠けた歯車が、静かに消えることだけだ。
数日後、再開発計画は正式に前進した。
市議会は満場一致。
反対派の発言は、驚くほど弱々しかった。
誰も、幹部の名を出さない。
病床の男は、
いつの間にか「中心人物ではなかった」ことになっていた。
歴史は、こうして書き換えられる。
夜、恒一は一人で蒼浜神社を訪れた。
人のいない境内。
灯りは少なく、風の音だけが響いている。
拝殿の前に立ち、
柏手を打とうとして、手が止まった。
何に祈るのか。
誰に許しを乞うのか。
天皇か。
国家か。
それとも、自分か。
結局、何もしなかった。
ただ、頭を下げただけだった。
帰り際、見覚えのある男が立っていた。
スーツの男ではない。
もっと、直接的な匂いを持つ男。
父のところで見たことがある。
暴力団の、実務を回す側の人間だ。
「親父さんに、よろしく」
それだけ言って、男は去った。
その一言で、
全てが繋がった。
思想。
団体。
政治。
利権。
暴力団。
一本の線ではない。
網だ。
自分は、その網のどこかに
固定され始めている。
家に帰ると、妹がテレビを見ていた。
ワイドショー。
再開発特集。
「街がきれいになるんだって」
無邪気な声だった。
「良かったね」
恒一は、そう答えた。
声は、震えなかった。
英雄は、いない。
正義も、いない。
あるのは、
動いた結果と、
動かなかった人間の数だけだ。
恒一は、自分の立ち位置を確認する。
前に進んでいる。
だが、それは、
誇れる方向ではない。
それでも、
もう戻れないことだけは、
はっきりしていた。




