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『国の名の下に』  作者: キロヒカ.オツマ―


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第十章 越えてはいけない線

翌日、蒼浜市は何事もなかったかのように動いていた。


 朝のローカルニュースでは、港湾再開発の進捗が淡々と報じられ、前夜の騒ぎに触れるものは一つもない。

 ネットを探しても、出てくるのは曖昧な噂話と、真偽不明の書き込みだけだった。


 消された。


 恒一は、その事実を静かに受け止めた。

 怒りよりも、冷えた感覚が先に来る。


 昼前、団体の事務所に呼び出された。

 昨日の現地責任者と、見覚えのない二人の男がいた。

 一人はスーツ、もう一人は作業着。

 どちらも、立ち位置が同じだった。


「昨日の件だが」


 スーツの男が切り出す。


「一部、想定外があった」


 恒一は黙って聞いた。


「反対派の事務所に、偶然別の人間がいた」


 その言い方に、嫌な予感が走る。


「誰ですか」


「下請けの清掃員だ。

 夜勤のシフトがずれていたらしい」


 作業着の男が、低い声で補足した。


 恒一の背中に、汗がにじむ。


「大事にはなっていない」


 すぐに続けられた言葉が、逆に不安を煽った。


「だが、病院には運ばれた」


 殴打による骨折。

 内臓損傷。

 命に別状はない。


 説明は、事務的だった。


「事故だ」


 スーツの男は、そう断じた。


「工事前の老朽化した建物で、

 勝手に侵入して、転倒した」


 恒一は、初めて視線を逸らした。


 昨日、自分が守っていた外。

 その中で起きたことだ。


「君に責任はない」


 その言葉が、最も重かった。


 責任がないということは、

 選択権もないということだ。


「今後、同じような行動が増える」


 現地責任者が言う。


「だが、もう少し踏み込む」


 恒一は、思わず口を開いた。


「どこまでですか」


 一瞬、部屋の空気が止まった。


 スーツの男が、ゆっくりと答える。


「線は、越えない」


 その言い方が、信用できなかった。


「ただし、線の位置は状況で動く」


 恒一は、理解した。

 線は、固定されていない。


 事務所を出ると、空が異様に高く感じられた。

 昼の街は、あまりにも平和だ。


 その夜、妹のライブがあった。

 小さな地下会場。

 狭いフロア。

 汗と酒の匂い。


 恒一は、後方からステージを見ていた。


 美咲は、いつも通り笑っていた。

 何も知らない顔で、

 「夢を追う歌」を歌っている。


 その光景が、胸を刺した。


 終演後、楽屋前に立つと、

 見覚えのある男が一人いた。


 昨日の、スーツの男だ。


 目が合う。

 一瞬だけ、口元が動いた。


「安心していい」


 声は、低く、静かだった。


「君の家族は、

 今のところ、関係ない」


 恒一は、その場で動けなかった。


 守るために動いているはずなのに、

 守る対象が、

 交渉材料のように扱われている。


 帰り道、蒼浜港の夜景が広がっていた。

 整備された岸壁。

 建設中のクレーン。


 この街は、確かに変わっていく。

 だが、その裏で、

 誰が、どれだけ壊れているのか。


 恒一は、初めて思った。


 自分は、どこまで許せるのか。


 越えてはいけない線は、

 もう、目の前に来ている。


 それでも歩き続けるのか。

 それとも、

 立ち止まる勇気があるのか。


 答えは、

 まだ、出せなかった。

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