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第4話 ヘクターに脱退届提出

 絶対的な存在。というのは、接することはほとんどない。

 雑誌で、新聞で、様々な『活躍』が報じられ、様々な功績が世の中に広まる。


 ただし、それらの多くは、『普通の人間と比べて凄い』とかそういう話。

 世界には、人間よりも上の次元に到達した存在がいて、実際に会ってしまうと、それまでの世界が違って見える。


「……平民にとって、とても貴族は大きく見えるみたいだけど、『脱退届』を鞄に入れているのに、平然としてるように見える」

「……そうですかね」


 リリアに魔法で一緒に跳んでもらい、学校に戻ってきた。


 昨日、ヘクターから受け取った書類は仕上げているし、与えられた仕事をするという意味では、何も問題がない。


 ただ、カバンの中にある『脱退届』は、書こうなどと今まで思っていなかったものだ。


「……平然っていうか、多分、『酔ってる』んだと思います」

「なるほど、賢い分、私たちの全体がうっすらを見えてしまった……刺激が強すぎたみたい」

「そりゃ、普通の一般人は、金貨の丘が三つ並んだ光景なんて、生涯見ることはありませんから」

「確かに」


 クランハウスの前に立つ。

 ヘクターナイツは、この学校で、数十人が所属する大きな組織だ。


 モンスターを倒すと硬貨を落とす世界……要するに、『強者が資産家になりうる世界』において、確かな剣の腕を持つヘクターは、紛れもなく、『豪華なクランハウスを用意するに値する人間』である。


 それが……今のリクには、小さく見える。


 リクは、クランハウスの扉を開けて、中に入る。

 ロビーでは、モンスターの討伐実績を自慢する物や……自分が仕上げた(・・・・・・・)書類が完璧な書類だったと親から褒められた』と語る者もいる。


 とはいえ、このクランにおいて、事務員はリクだけだ。

 親から褒められたという報告は、『それにより、褒美として、期待の証として、親からなにをもらったのか』ということが重要なのだろう。


「……お、リク。遅いぞ!」


 ソファにふんぞり返ってきたヘクターが、リクを見て声を荒げる。


「まったく、お前は平民の自覚があるのか? このヘクターナイツで俺たちに最大限奉仕する姿勢が『最低条件』だ。書類はたくさんあるんだ。さっさと仕上げて……」


 リクしか見えていないのだろうか。

 隣にリリアが、エルフの美少女がいるわけで……。


(いや、ちょっと、俺にもいるのかどうかわからないくらいだ。気配を調節してるっぽい)


 隣にいようとわからない。

 それを必要とする環境に身を置いていたということでもある。


「……ヘクターさん」


 ソファの前に置かれたテーブル。

 そこに、仕上げてきた書類と、脱退届を置いた。


「本日付けで、ヘクターナイツを辞めさせていただきます。お世話になりました」


 そういって、頭を下げる。

 ヘクターの返答は……。


「な……貴様! ただの平民特待生が、この俺のクランを辞めるだと!? 誰に許しを得た! 許さん、絶対に許さんぞ!」


 許可がなければ、クランを抜けることすらできない。


 それが、『貴族の権威』と、『平民の立場』だ。


 ヘクターもリクのことを、『便利な道具』くらいには考えているだろう。

 ただ、ここまで言うのは、『自らの所有物が、自らの許可なく、勝手に意思を持ったことへの侮辱』だ。


 所有物でしかない。そういう感覚で、ヘクターはリクに吠える。


 だが、その権威は……。


「許す、許さないは関係ない」


 リリアが、前に出る。


「えっ……」


 昨日、講堂で話をしていたリリア。

 伝説のクラン、『黄昏の盟約』の一員にして、美しいエルフの美少女。


 そんな存在を前にして、ヘクターは怯んだ。


「彼は、私たち『黄昏の盟約』が貰う。そのために、このクランを辞める。ただそれだけ。異論は認めない」


 微笑を浮かべて、リリアは迫る。


「なっ……あっ……」


 震えるヘクター。


 彼の剣の腕は確かだ。

 戦うための力は、リクよりもある。これは間違いない。

 だからこそ、本能で、『目の前にいるのがどれほどやばいのか』を、リク以上に感じてしまう。


「脱退届、サインしてもらう」

「う……」

「早くしなさい!」

「は、はい!」


 プライドとかボロボロである。

 ヘクターは慌てた様子でペンを取り出して、サインをする。


「それじゃ、控えはこっちで貰っておくから」


 素早く一枚回収して、リリアは鞄に入れた。


「リク。行こう」

「……そうですね」


 日本なら、辞める二週間前に報告したりだとか、引継ぎを考えたら一か月前に言ったりだとか、そういうことはマナーでありルールだ。


 しかし、この世界の人間にそんな発想はない。


 どこに入れるのか。いつ辞められるのかが、『権威』で決まる。

 そういう社会であるがゆえに、平民の意思はひどく脆い。


「ぐっ、ち、調子に乗るなよ。平民ができていたことだ。俺たちにできないわけがない。お前がいようといなかろうと、俺たちが困ると思うなよ!」


 吠えるヘクター。


 そもそも、『平民枠』が設けられたのは、かなり最近だ。

 それまで、押し付ける平民が学校にいない状態で、『学生パーティー』というものは運用されていたのだから、それだけを見れば、『平民がいなくても事務など余裕』という意見はわかる。


 そもそも、平民よりも貴族の方が教育を受けているのだから、書類作成くらいできて当然なのだ。


「そうですか。頑張ってください」


 そういって、リクはクランハウスから出て行った。


「……俺たちにできないわけがない。なんて、よくいいますよ」

「鮮やかで無駄のない物ほど、初心者からは『簡単そう』に見えて、経験者からは『素晴らしいもの』に見える。どんな分野でもそういう物」

「無駄のないもの……なんですかね。俺の事務って」

「この国だとそう判断していい」

「……ありがとうございます。じゃあ次は……エレノア王女のところに行きましょうか」


 更なる交渉のため、リクは歩き始めた。


 ★


 一方、クラブハウスの中。我に返った貴族の一人が、まだ震えているヘクターにおずおずと話しかける。


「へ、ヘクター様……。あの、父上に提出する予定だった、昨日のダンジョン実習の経費精算書……あれは、一体、誰が……?」


 ヘクターは、その言葉にハッとして、机の上に山と積まれた、これから処理されるはずだった書類の束に目を落とす。


 啖呵を切ったのはいい。

 自分たちで出来るというだけなら構わない。


 あの平民は、『簡単そう』に仕上げていたではないか。


 試しに一枚見る。


「……」


 ごくっとツバを飲み込んだヘクターの心境は、お察しである。

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