第34話 リクとヘクター
「……なぁ、リク」
「どうした?」
図書館のテーブル席。
リクは話しかけてきたヘクターに、資料を渡したところだ。
そこに記されているのは、端的に言えば『高品質な農具』の情報である。
食料という、社会の前提ともいえるものを、今までよりも効率的に作るための道具だ。
とはいえ、この世界には『化学的に正しい肥料』はまだ開発されていない。
よって、作物の量とは『農地の面積に完全に比例する』と言える。
ただ、道具の質がいいかどうかで、その農地をどれほど活用できるのかが決まる。
結論を言えば、『すでに農具を作って売っている業者』が困りそうな、そんな道具たちの情報だ。
「こんなものを作れるのに、なんで、黙ってたんだ?」
「言う必要があったか?」
「……いや、ないな。俺は聞き入れてなかった」
落ち込み方が凄いレベルである。
リクとビラベルの情報戦に挟まれて、『とんでもない技術力』を目にすることとなったヘクター。
彼は『戦い』においては確かな実力を持っている。
だからこそ、ヘクターナイツは確かな稼ぎがあった。
その稼ぎのために必要な……もっと言えば、『戦うこと以外のほとんどのこと』はリクがやっていた。
そのため、リクがいなくなれば、これまでできていたことができなくなるのは当たり前である。
「……お前さえクランに戻ってきてくれたらって、何度も思ったけど、戻ってくれないんだよな」
「今は『黄昏の盟約』の事務員だからな。普通に無理だ。ヘクターが俺を評価しているのはわかっている。その上で無理な理由もある」
「なんだ? その理由って」
「……俺は、『最強の権力』というのは、人事権だと思ってる。誰を招くのか、どこに置くのか。そいつにどんな権限と報酬を与えるのか。『椅子』に全てが詰まっていて、その椅子に誰を座らせるのかを決めるのが『人事権』だ」
「……そんな発想。俺にはなかった」
「だよな。で、リリアさんに言われて、お前は全く抵抗できずに、俺はヘクターナイツから黄昏の盟約に移ることになった」
書類をまとめつつ、リクは言葉を続ける。
「外からあれこれ言われて、簡単に人を引っこ抜かれる。自分たちの人事権を維持できないところに戻っても、『また何か言われたら、移動することになるんだろうな』って思ったら、戻るわけがない」
「……俺は、お前を抱えられるような器じゃないもんな」
「器なんて抽象的な言葉を使うと本質から離れるぞ。魅力だ。『足りない部分は俺が補ってやろう』って思わせる魅力がない」
「……」
ヘクターはすっごく苦虫を噛み潰したような表情になった。
別に、リクがヘクターナイツに所属していなかったとしても、『事務作業を引き受けるかどうか』は別の話だ。
黄昏の盟約でやることがそれ相応にあるのは事実だが、別に自由時間がないわけではない。
その時間を使って、ヘクターを手伝うという選択肢もあった。
ただ、そうしないのは、ヘクターに魅力を感じないからだ。
「……そういえば、最近、ずっとポケットにインゴットを入れてるよな。なんで?」
「ん? ああ。これか……48層に、裏ボスがいたんだよ。そいつを倒して手に入れた」
「48層? 地図を作ったことはあるが、そんなのいたか?」
「いや、リクが抜けた後に見つけた場所だ」
「そうか……で、何で持ってるんだ?」
手に入れた場所を聞きたかったのではなく、『なぜそれを今も持ち続けているのか』が気になるのだ。
「なんか、これはずっと持ってるんだよなぁ。なんでかはわからん」
「……そうか」
リクは簡単に頷く。
ただ、リクはビラベルと『情報戦』をする上で、『何か、ビラベル側の事情が変わったのではないか』と察する部分が少しある。
それは、リクが実際に、プレイヤーとしてコマを動かしているからこそ。
窓石商会に手を入れているだけではわからない何かがあるのではないか。
「……」
貴族社会に対して、誘導したり、操ったりするという経験は不足している。
しかし、『感じ取るための訓練』は積んできた。
インゴットから、少し、『暗躍の腐臭』が漂っているような、そんな気がした。




