第3章 青い瞳の邂逅
王都へと続く街道を走り、数日後、馬車は公爵家の広大な敷地へと入っていった。周囲には手入れの行き届いた広大な庭園が広がり、色とりどりの花々が咲き乱れている。遠くにはなだらかな丘陵が見え、澄み切った青空に、白い雲がゆっくりと流れていく。
目の前に広がるのは、古風でありながら威厳に満ちた屋敷。その重厚な扉が開かれると、ブランを誘った侍女リネットと執事クロードが、温かい笑顔で出迎えてくれた。
「ようこそ、ブランさん。長旅でお疲れでしょう」
リネットの声には、故郷で会った時とは違う、心からの安堵が滲んでいた。公爵家の屋敷は、孤児院とは比べものにならないほど豪華で、磨き上げられた大理石の床や、壁にかけられた壮麗な絵画が、ブランを圧倒した。
案内されるまま、公爵の私室へと向かう。扉を開けると、そこには年老いた公爵エドモンド・グレイブスが静かに座っていた。執事のクロードがブランを紹介すると、公爵はゆったりと顔を上げた。
その瞬間、公爵の顔から表情が消えた。彼は椅子から立ち上がりかけ、その場で再び崩れるように座り込んだ。
(公爵様、どうされたのだろう…?)
ブランは公爵のただならぬ様子に、戸惑いを隠せない。しかし、公爵は深呼吸をし、動揺を抑えようとするかのように、ゆっくりと目を閉じてから再び開けた。
(…信じられん…まさか、こんなことが)
「ご挨拶が遅れました。この度、侍女として仕えさせていただきます、ブランと申します」
ブランが優雅な淑女の礼をすると、公爵はかすかに頷いた。
「…よく来たな、ブラン。リネットから話は聞いている。よろしく頼む」
声は震えていなかったが、その青い瞳は、まるで亡霊でも見ているかのように、ブランをじっと見つめている。ブランは公爵の奇妙な反応を不思議に思いながらも、クロードに促され、その場を後にした。
公爵の私室から出た後も、ブランの心には、公爵の動揺した表情が焼き付いていた。
その動揺の理由は、公爵家の内部の者だけが知る秘密だった。
早くに妻を亡くし、唯一の娘エレノアを溺愛していた公爵。しかし、エレノアは若くして伯爵家に嫁いでしまい、公爵のもとを離れてしまった。エレノアと伯爵の間には娘のブランシェがいるが、彼女は公爵の愛娘エレノアには全く似ていなかった。そのことを残念に思っていたが、孫としては可愛がっていた。
そんな中、エレノアの乳母であったリネットが、辺境伯領地で見かけたブランがエレノアの若い頃にあまりにもそっくりだと報告してきたのだ。公爵はブランの話に興味を持ち、侍女として迎えることにした。しかし、思っていた以上に、ブランはエレノアに瓜二つだった。
公爵の動揺をよそに、ブランは侍女としての仕事を始めた。初日はクロードに屋敷の案内をされ、自分の部屋で休むよう言われた。
(公爵様の青い瞳…まるで、私の瞳みたいだった…)
新しい部屋で一人、ブランは先ほど会った公爵の瞳の色を思い出す。どこまでも透き通るような青色。それは、鏡に映る自分自身の瞳の色と、不思議なほどよく似ていた。
翌日、公爵に朝食を運ぶことになったブランは、緊張しながら部屋の扉をノックした。すると、公爵は初対面の時とは違い、穏やかな笑顔でブランを迎えてくれた。
「おはよう、ブラン。今日は良い天気だ」
その優しい言葉に、ブランの緊張も少し和らいだ。
それから毎朝、ブランは公爵の好きな焼き立てのパンと温かいスープを運んだ。「焼きたてのパンの香りは、朝の目覚めに良い。ありがとう、ブラン」公爵はそう言って、いつも嬉しそうに食べてくれた。
ある日の午後、ブランが公爵の書斎で書物の整理をしていると、公爵は窓辺の椅子に座り、ブランの姿をじっと見つめていた。本を探す際に小首を傾げる仕草や、髪を耳にかけるさりげない動作まで、エレノアにそっくりなその姿に、公爵はまるで昔を懐かしむかのように、静かに微笑む。
(ああ、エレノアの若い頃とまったく同じだ…こんなに似ているものなのか)
また別の日は、ブランが庭園で公爵の散歩に付き添った。公爵はブランに、庭の美しい花々の名前を優しく教えてくれた。そして、時折ブランの顔を覗き込み、ただ静かに頷くこともあった。
ブランは公爵の世話を献身的に行い、次第に公爵の心を溶かしていく。よく気が利き、愛らしく、エレノアによく似たブランと接するうちに、公爵は心の底から思うようになった。
(姿だけではない。エレノアに似て、気立てが良く、優しい…)
そして同時に、ブランの存在が単なる偶然ではないのかもしれないと、公爵の心にはかすかな疑念が生まれていた。
(なぜ、エレノアの面影をこれほどまでに残した娘が、孤児院に…)