第7話 試練の始まり(がんばれ、おれ)
「そう言えば、手枷は? 俺、両手を繋いでた鎖は壊したけど、手首にはまってた部分は残ってたよね?」
「ああ、身体強化でちょいっと」
そう言ってユーウェは親指と中指を合わせる。
つまり、プチッと虫をつぶす感覚で、あの鉄製の枷を切ったの? え、さすが元聖女、すげぇ。
俺がぽかんとした顔をすると、ユーウェはヘヘヘっと照れ笑いを浮かべる。
なんで、そこで照れる? 怪力と思われるから? 可愛いだけだよ?
いや、聖女が怪力ってイメージと違うけど、まあ、あの馬車の破壊っぷり見てる限りではそこまでぶっ飛んでもいなさそう。
「なんにせよ、邪魔な手枷が無くなってよかった、うん。あ、足を鐙に乗せて。右じゃなくて、左」
あんな邪魔なのがほっそい手首にはまってるの、痛々しかったし。
鐙にユーウェの足が乗ったのを確かめ、体を少しかがめる。肩に手を置いてもらい、少し戸惑った後、彼女の腰に手を当てた。
「私、気になってたんだけど」
「なにが? うよっこいっしょっと」
若干荒いけれど、一気にユーウェの体を上に放るようにして馬の背に乗せる。
服越しに感じる体温とか、そういうのに意識が奪われる前に、さっさと済ませよう。そうしよう。
「ひゃっ、っと、えっと」
「はい、ちょっと前にずれて」
「あ、うん」
話は馬の上でもできるからね。さっさと行こう。そうしよう。
鞍に手をかけ、ユーウェの後ろに飛び乗る。体を揺らした馬をなだめて態勢を整えた。
うおおおお、あの聖女が、ユーウェが、前にいる。
からだ、みっちゃく! ぜろきょり!
ぬおおおお、落ち着け、心臓。過労死するにはまだ早い!
「馬、進めるから」
ユーウェの体を後ろから覆うようにして、手綱を持つ。せいじょ、ちっこい。髪の毛、なんかいい匂い! 呼吸よ、静まれ! スハスハしたら変態だと思われるだろうが! 鼻息は上に出せ!
「方角は多分こっちで合ってる……はず」
馬車が森に突っ込んだ方向、月の位置、見える山の方角から大体の予想を立てる。
ユーウェの魔法があれば水は手に入る。魔法で食べ物に毒があるかは分かるとも聞いた。
ねえ、俺、いらなくね? ユーウェだけのほうが生存確率高そうじゃない?
……大人しく御者さんしてます。
ゆっくり周囲の様子を確認しながら馬を歩かせる。なるべく枝葉に体が当たらないように、通った軌跡が残らないように慎重に。
しまったな。時間があれば何か所か、馬を進めた跡を残しておくんだった。そうすれば追っ手が来てこの辺りを調べても、多少は時間を稼げたかもしれない。
残したもう一頭がその役目を果たしてくれることを願う。
「ユーウェ、体を硬くしてると疲れるだろうから、適度に力抜いて」
「う、うん。ごめんね。重かったら言って」
「いや、軽いし、うん」
女性の体重とか触れるのはマナーじゃないよな。でも先に言ったのはユーウェのほうだし。
俺の胸元に体を預けたユーウェの重みを感じながら、馬を操ることに集中する。
あ、でも、さっき何か言いかけてた。いかん、こういう「私の話聞いてないでしょ!」問題は夫婦とかで大問題になるって裏路地で誰かが嘆いてた。小さな積み重ね、めっちゃ大事。
「それで? 何が気になるって?」
暗く、夜目が効かない中だから馬の視野が頼りだ。
時折動物っぽい気配がする。ユーウェが何も言わないということは、恐らく安全なんだろう。
俺はただまっすぐ馬を進めるだけの人。うん、分かってる。
「私の手と、口の枷、なんでヴェインははずせたのかなって。魔力がない人はみんなできるの?」
ユーウェの手にはめられていた手枷。あれは魔力の流れを遮断する魔法が組み込まれていた。
そして口枷は、魔法発動の詠唱をさせないためのもの。これも魔力で破壊できないように魔法が付されている。
そういうものだって裏路地で知識自慢をする誰かが話してた。
「うーん、俺は、俺以外の魔抜けは数人しか知らないけど」
出会ったオナカマを思い浮かべる。
誰もかれも根性も性格も倫理観もすべてねじ曲がっていて、澱んだ空気を纏っていた。
みんな暗いなーとかのほほんとしていた俺とは違って、目から憎悪、口からは呪詛が溢れていた。
あー、暗いのはやだやだ。お先真っ暗で生まれたなら、もうちょっと明るく生きたいとか思わないのかな? 思わないからみんな暗いんだろうけど。
「たぶん、やろうと思えば、願えば、できるって感じ?」
「願えば?」
「そう」
口で説明するのは難しい。
これを誰か魔抜けと一緒に試したことはないし。
自分たちの置かれた環境を恨むばかりで、自分が持っている能力を試そうとするやつは滅多にいなかった。
そう、俺だって、あの日、聖女に「魔力がなくても生きていける強い人間」だと言われなければ。
「魔力はないけど、こう……思いっきり力をうおおおおとか思うと、意外に馬鹿力がでるんだよね、俺」
「馬鹿、力……身体強化のようなもの?」
「魔力なしだけど」
俺が魔法が付与された枷をぶっ壊せたのは、魔抜けが魔法とか魔力を乱す体質だってことと、理解できない馬鹿力持ちだってこと。
上手く説明できなくてごめん。きちんとした教育受けてない馬鹿だからさ、許して。
俺の全く説明にもならない説明を聞いて、ユーウェはしばらく考えこむようにして黙ってしまった。
俺は俺の存在価値である御者という役目に集中する。
カサカサと時折邪魔な低木を押し分け、馬を進める。
そのうち、考え事をしていると思っていたユーウェの体からカクリと力が抜けた。
あらら、寝ちゃった。
まあ、そうだよな。真夜中も過ぎてるし、今日はすっげえ長い一日だったし。
俺も半分死にかけて、何とか生きてる。
……死んでも、別に良かったんだけど。
でも今、俺の体にはオットーじぃとホリーばぁがくれた生命力が巡ってる。そう考えると心の底が温かい。
あの下衆っぽい兵士二人のことは知らない。
俺を殺そうとした奴の命、無駄にはしないぜ! はっはっは!
「おやすみ」
ゆっくりと慎重に馬を進めながら口からこぼれた言葉。
誰にも言ったことのない夜の挨拶。
実感したら鼓動が暴走を始め、耳がぽぽぽっと熱くなるのを感じて、俺は空に向かって大きく息を吐きだしたのだった。