第59話 冤罪(むじつ)
猫の額ほどの小さな窓から、柔らかな日の光が部屋の中を照らす。
そんな爽やかな朝なのに、俺は死にそうになっている。
狭いベッドの端っこで縮こまり、さらに壁に体を貼り付けて、隣で眠るこの世で一番美しい生き物が幸せな顔で寝ているのを、息を殺して見つめる。
そう、同じベッドで眠るユーウェだ。
はい、とても、危険。
心臓がうごごん、どごごん、ばごごごんって変な音を立てて暴れてる。
煩いからちょっと大人しくしてくれないかな。いっそのこと止まって……いや、止まったら死ぬ。いや、もうこの状況は死んでるんじゃない?
そう、俺はたぶんもう死んでるか、それとも変な夢から目覚められなくなってるんだ。あははは、そっか、そっかぁ……うん、きっとここは天国ぅ。
朝の光で照らされたユーウェの銀の髪は、まるで夜空を流れる星の川が地上に降りてきたみたいだ。
本当に、綺麗だ。
どっどっどっと心臓が鳴る。
そっと指先を伸ばして、ユーウェの頬にかかる髪に触れようとしたその時、廊下から聞こえた音にぴくりと全身が固まった。
「おい! ユーウェ様が見つからない! 誰か不審なやつを……」
ズドドドドッと慌ただしい足音の直後、ノックもなく扉が開く。
そして視界に入るのは、朝からばっちり化粧のカメリア。体の動きから遅れて、ふわりとドレスの裾が舞う。
緑で縁取られた強すぎる両目が、手を伸ばした俺と、ベッドで幸せそうに眠るユーウェをぎょろぎょろと行き来する。
真赤に塗られた唇がフルリと震え、地獄の悪鬼よりも恐ろしい声が響き渡った。
「っっっっっお、おーーーーーーーまーーーーーーえーーーーかあああああああああ!!!!!」
俺、死んだ。
えー、みなさん、おはようございます。爽やかな朝をお過ごしでしょうか。
本日の朝食はかりかりに焼いたパンと厚切りのハム、蜂蜜をまぜた果物のジャムと野菜たっぷりなスープでございます。お好みでハーブを足して味の変化をお楽しみください。
……うううう、四方八方からの視線が怖いよぉぉぉ。まるで釘だらけの箱に閉じ込められたみたい。全身に穴が開きそう。
「ん! 美味しい! やっぱりヴェインのご飯は美味しいね」
「ありがと、ユーウェ」
ああ、素敵な笑顔をありがとう。やっぱり俺の味方はユーウェだけです。
あの後、部屋に乗り込んできたカメリアが、服に仕込んだ暗器を俺に放とうとした。その瞬間、ユーウェが目覚めた。
危なかった。あと一秒でも遅かったら、俺の眉間に修復不可能な陥没ができたところだった。
ユーウェに感謝。でも原因もユーウェなんだけど。
だってさ、昨夜、すぐに部屋に戻るかなって思ったんだよ。でも寂しいって顔されちゃうとさ、俺としては拒否できないわけですよ。
ダメって言いたいのに、しょぼんとしたユーウェを見たら、俺の口は所有者の意思と関係なく「いいよ」だなんて言いやがってこの野郎お前最高に最高級で偉いやつだ褒めてやるよ畜生めが! はっはっはぁ! 朝の騒動を想像していなかったけどね!
んでもって裏路地ギルドの全野郎どもから恨みがましい視線を浴びることになったけどね! はっはっは、俺、今夜からゆっくり寝れるかな!? 明日の朝を無事に迎えられる気がしないよ!
「……さて、まぁ、詳しいことは聞かんが……お主ら、二人部屋にするか?あっちの方がベッドが大きいぞ」
「婆! ぬあ、ぬな、に、言って」
「冗談だ」
お茶目だね、婆! はっはっは! 心臓が、俺の心臓が、持たないよ!
ばっばっばっばっばぁっと奇妙な鼓動を打つ心臓を服の上からなだめて、朝食にとりかかる。
おい、そこの変態カメリアいい加減睨むのをやめろ。ゲッコーも机の下で地味にぐりぐりと足の小指を踏むのをやめて。爪が、つぶれるぅ。
「婆、今日の予定は?」
昨晩の打ち合わせの内容は、昨夜のうちに全員にいきわたっているはず。
とはいえすぐに動きだせるわけもないから、数日は自由な時間があると思うんだよね。
そう考えて婆に問えば、思った通りの回答が返ってきた。
「私らがしばらく不在にして戻ってきたことは、同業者にも伝わっておる。変に注目されないためにも、しばらく大きな動きはしない予定だ。暇ならユーウェを連れて観光でもしていろ」
「でしたらユーウェ様、私が王都をご案内いたしますわ」
偽の詰め物が詰まった胸元に手を当てて、カメリアが誇らしげにいう。
魔法使いであるカメリアなら王都のどこでも自由に行ける。俺は魔抜けだから入店拒否もあるし。
仕方がないというため息は、ガリッとパンにかぶりついて誤魔化す。
そんな俺の顔に、野郎どもとは違う視線が刺さる。出所はお隣のユーウェだ。
なにかね? 婆仕込みのパンは美味いよ。
「ん?」
「……ヴェインも、行く?」
「ヴェインは新しい住まいを探したり、荷物を整えたりいろいろありますから」
おい、カメリア。勝手に答えるんじゃねえ。
もっしょもっしょとパンを嚙んでいるうちに、ユーウェの眉がしょぼんと下がる。くそカメリアのせいだ。
とはいえ、カメリアの意見も真実で、久しぶりに王都に戻ってきた俺にはやらなくてはいけない細々としたことが山ほどある。
しかし、しかし、ユーウェをバカメリアに丸っと任せるのも……嫌だ。
「初日、ゆっくり。無理、ダメ」
ゲッコーが口元を覆うスカーフを一瞬降ろして、ハムを口に入れる。
よし、よく言った。お前は俺の味方と認めようぞ。
ユーウェはスプーンでクルリとスープをかき混ぜて、コクリと頷いて「そうね」と呟く。
「今日は、馬車でぐるっと王都を回ってもらってもいい? 聖女だった時に行ったことがない場所の景色も見てみたい」
そこでちらりと俺を見て、ユーウェは言葉を続ける。
「ヴェインにもらったお金で食べ歩きとか、買い物とかしたいから、それはまたヴェインがいる時に」
ふわりと笑うユーウェに、ごんごんごんと首を勢い良く上下に振る。
さすが優しい。聖女様。そうだよね、約束したことは二人でやらないと。
はっはっは、カメリアめ。毒草を口にしたみたいな顔をしてらぁ。ざまぁ!
そんなことを考えていると、カメリアの真赤な唇がぐにゃぁと気味の悪い形に歪んだ。
とても悪い予感。
「それでは、今日はユーウェ様と馬車で二人きりで楽しみましょうね!」
んんんんんなああああああああああ!
次回更新、ちょっと未定です!
しばらくお待ちくださいませ~