第53話 現場検証(せいかい)
森の中の屋敷は大きさは王都にある貴族の邸宅に匹敵するものの、装飾はいっそ清々しいほどに取り払われて簡素だ。
しかしその中でも一際重厚な扉を前に、俺は背伸びして記憶通りか確認する。
「扉の四方と、あ、あった、中央に二つ」
この屋敷の中で唯一閉じられたままの書斎の扉。
そこに彫り込まれた飾りに隠れるように配置された魔法陣。
ユーウェに場所を代って順番にそれらを指さす。
「本当だ。ゲッコーが調べてたのに見つからないっていうのも分かるわね」
「ゲッコーが調査担当で良かった。変に魔力を扉に流してたら危ないところだったから」
「え……」
ユーウェは魔法陣に触れようとして伸ばした手を、慌てて引っ込める。
心配そうに見上げる彼女ににやりと笑い、「もし、魔力を流すと……」と言葉を溜める。
「な、流すと?」
「扉が……どっかーん!」
「ひゃ!?」
大声と同時、両手を勢い良く広げる。
ぴょんっと自分を守るように両腕を体に引き付けて、ユーウェが後ずさりした。
ふひひひ、良い反応ですな、お嬢さん。ぐふふ。
「とはならず、魔力がとことん吸い取られる」
「え?」
「うん。びっくりでしょ。だから気を付けてね」
「え? え?」
輝く笑顔で注意点を教える。
ユーウェは俺の顔と扉を交互に見て、それから白い頬を真っ赤に染めた。
「だ、だました!」
「いや、注意点を忘れないようにと思って」
「忘れないけど、そもそもそんな考えなしなことしないし!」
「確かに。ユーウェは慎重派だよねぇ」
魔法陣の研究もそうだし、聖女の時には聖典をそらんじるほどの勉強家。
美しいだけでなく、博識で思慮深い聖女様なのだ。
うんうんと頷いていると、ユーウェが赤い顔のまま視線をそらした。
ん? 怒らせちゃったかな。やりすぎはいけない。ちゃんと「驚かせてごめんね」と謝ることも大事。
好きな相手をいじめるのは十歳のガキまで。でも男はいつまでもガキだから、せめて謝ることを忘れるなって裏路地の酒やけした声をした五十歳を超えたお姉さまが言っていた。先達の声にはちゃんと従います。
では気を取り直して、この魔法陣の説明を。
「ユーウェ、今から言う順番で、魔法陣に魔力を流してくれる?」
「うん」
俺は一、二、三と数えながら、合計六つの魔法陣を不規則なパターンで結ぶ。
ユーウェはまずは空中で線を描いて間違いがないか確かめた後、深く息を吸い込んだ。
そして伸ばした人差し指を順番に魔法陣に当てていく。
光が灯る。
一つ、また一つと魔法陣が淡く光る。
星星をつなげて正座を描くように、精密な模様が彫り込まれた扉に光の線が走る。
「ふわぁ、すごい」
最後の一つまで魔力を通し終え、ユーウェが陶酔したような声を上げる。
思わず「すごいだろ」と自慢したくなるけど、作ったのは魔法使いだからぐっとこらえる。
俺だけど俺じゃないから。ちょっと悔しい。
全ての魔法陣が光の線でつながり、一際強い輝きを放った後、かすかにかちりと音を立てて扉の鍵が開いた。
「よし、開いた」
視線を合わせて深く頷きあい、俺は扉の取っ手に手を置いて、ぐっと奥へと押し開けた。
百年以上長い間閉じられていた扉は、部屋の主を出迎えるようにするりと引っかかりなく滑らかに開く。
「ヴェインの夢は、正しかったね」
「……うん」
部屋に広がるのは夢の中で見た光景そのまま。
今にも俺の横をすり抜けてこの部屋にあの子が飛び込んできそうで、扉を振り向こうとする自分を押しとどめる。
俺は俺で、魔法使いじゃない。
今生きているのは俺。
よし、思考に問題なし。
魔法使いはあの子が死んじゃった後、この部屋に毎日こもって魔法陣の研究を続けていた。
その痕跡は部屋のいたるところに散らばって、いや、散乱していると言った方が正しいのかもしれない。
「欲しい資料、すぐに見つけられそう?」
「任せて」
今日ここに来たのは、ユーウェに俺が見た夢の正しさを証明するためと、もう一つ。
魔法使いが残した研究の記録――俺が乗ったあの魔法陣の真実を明らかにするため。
幸い、部屋は魔法使いの死後も保存魔法がかかっていたのか、資料に劣化は見られない。
「今は魔法はかかってないみたいだから、もしかしたら屋敷の保存魔法と同時に消えちゃったのかも」
「ヴェインの非常識な体質のせいだね。ここを出る時にはかけなおしておかないと」
「非常識……傷つくなぁ」
それはないでしょう、ユーウェさん。
俺の体質、他の魔抜けと比べても極端すぎるのは魔法使いのせいかな。
自分の前世だとか信じられないけれど、もしそうならなんとなく理由は分かる。
魔法使いの膨大な魔力は結局あの子の命を救うことができなかった。そのことに対して死ぬまで後悔してた。
だから魔法への憎しみが少なからずあって、魔法を拒絶したい気持ちが今の俺の体質につながったんだと思う。
まったく、はた迷惑な! って叫びたい。叫んでいいよね?
「魔法使いの馬鹿野郎!」
「え、ヴェイン、突然どうしたの?大丈夫?」
「うん、俺はまともです。全然大丈夫です」
「……まだ体に異変があったら言ってね」
「うん」
物凄く心配そうに見られてしまった。ユーウェ、いい子だ。
文字通り山となっている資料の間をすり抜け、すでに役割を果たしていない書き物机の反対側に回る。
かろうじて残された、机の引き出しを開けるためのスペース。
そこにかがみこみ、ちょいちょいとユーウェを呼ぶ。
「ここにも魔法陣の仕掛けがあるから」
「用心深い人だったのね」
「きっと、魔法陣の知識を悪用されたくなかったんだと思う」
俺の返事に、夢の話を全部聞かされているユーウェは目を伏せて、俺の肩にそっと触れた。
温かい。うう、ユーウェの優しさが尊すぎて心臓がぼぼぼぼぼぼって連打してる。くぅ、落ち着け、俺。鼻息よ、止まれ。
ふおおおっと深呼吸にしては変態っぽい息を吐き、ユーウェに再度魔法陣の場所と魔力を通す順番を示す。
ユーウェがその通りに魔力を通すと、先ほどと同じく微かな開錠音がした。
「開けるよ」
一言、断って引き出しのくぼみに指先をひっかける。
滑らかに引き出されたその中は、煩雑な部屋とは異なりすっきりとしている。
そこには一冊の分厚い手帳と、一通の手紙、そして小さな鍵が並べられていた。