第52話 生存本能(いきてる)
「あー、生きてるって素晴らしい!」
婆の手料理をぐぐぐっと勢いよく飲み込み、感動に打ち震える。
しかし、心の内を正直に吐き出しただけだというのに、なぜか白けた視線が飛んでくる。
カメリアはまだ分かる。変態だからな。
でもユーウェさん、なんでそんなに不機嫌なんでしょうか? 俺、何か悪いことでもしましたかね。尊厳を守り切ったとは思ってるんだけど。
「……心配したのに」
銀色の長いまつ毛を伏せて、ぽつりとつぶやくユーウェ。
う、心が痛む。
こんなにピンピンと元気になって申し訳ない。
今朝早く、やっと起き上がれるようになった俺。
だけどタイミングがよろしくなかった。
明け方、突然内臓の奥が一気に熱くなって大量の血を吐いた。それが終わったら、これまで首を動かすのもやっとだった体が、まるで何事もなかったかのように動くようになったのだ。
だからサクッと起き上がってベッドから降りたんだけど。朝の挨拶にきたユーウェが血だらけになった俺の上半身を見て叫び、そこからはドタバタだった。
なんで起きてるのとか、血を吐いたんだから大人しくしておけとか言われたけど、本人としては元気なんで。
美味い料理を食ったらさらに元気になる気がするし。ってことで婆の料理を味わっていたら文句が飛んで来たってわけ。
「心配、かけてごめん。ユーウェがずっと看病してくれたから、今こんなに元気になった。ありがと。ちょっとずつ歩き回って体調を確認したいから、ユーウェも一緒に付き合ってくれない?」
素直に謝る。
これが大事だって裏路地でいつも喧嘩していた夫婦を見て学んだからね。学んだことは生活に活かさないと。
少し下げた頭を上げてじっと見つめると、ぷくりと膨らんでいたユーウェの口元がもにょもにょと動き、「うん、いいよ」と照れたように笑った。
可愛いですね、ユーウェさん。相変わらずの可愛さです。
ずっと心配そうな眼差しばかり見ていたから、そうやって笑顔を見せられると、こう、ね、胸の奥がずぎゅるうんっとする。俺の心臓、生きてるぜって主張激しいな。生きててよかったのは本当だけど。
栄養たっぷりな朝食を終え、軽食が入ったバスケットを片手に屋敷を出る。
まだ病み上がりだから遠くに行けない。本当は馬に乗って湖まで行きたかったけど。
緩く結んだユーウェの髪が風に揺れる。綺麗だなと思った瞬間、魔法使いの姿まで浮かんで喉奥が苦くなる。
うーん、ユーウェの髪の色だと綺麗だけど、おっさんのと同じだと思うとなぁ。でも、それもあの子の願いだったならば仕方がないか。
「どうしたの、ヴェイン?」
「ん? 元気になって良かったなと思って」
「それはこっちの台詞。本当に……良かった」
俺を見上げたユーウェの瞳が潤む。そっと伸ばされた指先に、俺の指を絡める。
温かい。生きている人の手だ。
そのぬくもりに、俺まで涙が出そう。
生きている。俺も、ユーウェも。
ゆっくりと歩く。俺の中で、行き先は決まっている。
何も疑問を抱くことなくついてきてくれるユーウェに、夢で見たあの子の姿が重なる。魔法使いを純粋に信じて最後までついていたあの子が。
「あそこで、食べよ」
指さした先には、崩れた岩。
そう、以前散歩していて見つけた、屋敷の魔法陣の床にも使われているあの素材。
これがここにある理由を思うと、笑っちゃうよね。ご立派な魔法使い様があんなに必死になっちゃってさ。
「ヴェイン?」
「うん。食事のあと、ユーウェに聞いてもらいたい話があるんだ」
「……楽しい話?」
「んー、楽しくはないかな。でも、俺たちが前に進むための話」
俺の言葉に、ユーウェは星を閉じ込めたような瞳で俺をじっと見て、小さく頷く。
大丈夫、怖くない怖くなーい。って怪しい誘拐犯みたいだ。やめておこう。
地面に敷物を広げ、その上にバスケットを置く。ちょうど岩が背もたれになる位置に二人で並んで座る。
森の奥の木々はいつも緑の葉をたたえ、季節は大きく変わらない。まるで魔法が仕掛けられているようだけど、さすがにそれはないだろう……と思いたい。
「ユーウェ、魔法陣のさ、意味、たぶんもうすぐ分かるよ」
「何か気づいたの?」
「気づいたって言うか、思い出したって感じかなぁ」
パリパリにトーストされたパンに、薄く切った肉がこれでもかと大量に挟まっている。
王都の裏路地で出される時にはこれの三分の一の量なのに。婆、奮発しすぎじゃない?
そう首を傾げた俺の横で、ユーウェが幸せそうな顔でがぶりと肉肉しいサンドにかぶりついた。
あ、もしかして、ユーウェを贔屓してるとか?
でもそのおこぼれに預かれるならば、機会は逃しません。あとでカメリアとゲッコーに自慢してやろう。
ふっふっふ、美味い。こんな森の奥でどうやって手に入れたのか。シャキシャキの野菜と、燻製されたタマゴまで挟まってる。
「うっめ」
「美味し~!」
同時に出た感嘆に笑いあう。美味い食べ物はそれだけで幸せになる。
でも出来れば俺の手料理でも笑ってもらいたいから、早く元気になって婆を台所から追いださなくては!
「あのさ、これは俺が意識を失っている間に見た夢……っぽいものなんだけど」
「夢っぽいもの?」
「うん。もしかしたらあの屋敷か魔法陣が俺に見せた幻かもしれないし、体に入ってきた魔力のせいかもしれないし……」
ひとつ、息を吐いて続ける。
「……あるいは、生まれる前の記憶かもしれない」
荒唐無稽な話。
だけど幼い頃から夢を見ていたというユーウェなら、信じてくれる。
俺が見た夢と、その意味を。
「聞きたい。聞かせて」
木漏れ日を浴びてユーウェの白銀の髪と瞳が煌めく。
彼女の纏う色が、あの子の愛情の証のように思えて、口を開く前から泣きそうだ。
ひとつ、息を吸う。
そして俺は夢物語を語り出した。
それは誰も知らないお伽話。
優しい魔法使いと、彼が愛した宝の話を。