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聖女を森に捨てるだけの簡単なお仕事です。  作者: BPUG
第四章 魔法使いの記憶
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第48話 We Shall Meet Again




 マーサの体の横に膝をつき、手を伸ばす。

 指先が触れようとした時、マーサの唇がかすかに震えた。


「……」


 意味をなさない音。

 耳に届かない呼び声。

 それでも私には聞こえた。私を呼ぶ声が。


「ああ、ここにいる」


 手を取り、頬を寄せる。

 冷えた指先。それでもまだここにいるのだと、生きているのだとわずかなぬくもりにすがる。


「すまない」


 それしか言えない自分に失望する。

 今、この瞬間が最後だとして。

 その時に告げなければいけない言葉は、それではないはずなのに。

 多すぎる後悔が喉を塞ぐ。

 こうしている間にも、制御しきれずに洩れた魔力が魔法陣の文字を光らせては何もなさずに消えていく。

 私の作り出した魔法陣は、人の欲を浮かび上がらせ、守りたいものを傷つけるだけのがらくただった。


 色を失った唇が震える。

 その言葉を理解し、瞠目した私の目の前でマーサの口元がふわりと綻んだ。


 美しい。

 美しい笑みだ。


 いつも無表情なマーサが見せた笑み。

 それは咲き誇る花から落ちる花弁の一欠片のように儚く──


 マーサの命は散ってしまった。

 







「旦那様……」


 どれほど時間が経ったのか。

 一時間か、それとも一日か。

 呼びかける声が耳に届く。


「マーサ様のお身体を、整えさせてください」


 ぎこちない動作で体を起こす。

 黒く固まったマーサの血が、パリパリとこぼれおちる。

 唇を引き結び、しきりに瞬きを繰り返す使用人を見上げ、緩慢に頷く。

 マーサと仲の良かった彼女であれば、マーサを託せる。

 力の抜けたマーサの軽い体を抱き上げ、彼女が使っていた部屋のベッドに寝かせた。

 私に気を遣ってか、それとも皆悲しみと向き合っているのか、屋敷の者たちは誰も顔を出さない。

 ひっそりと、静かだ。


「終わったらお呼びします。旦那様も……お着替えをされてはいかがでしょうか」


 そう告げられ、自分の体を見下ろす。

 服の前面についた、マーサの血。服だけでなく、両手にも。

 彼女の命の証。

 それを捨て去れというのか?

 今、こんなにも限りなく近い場所にマーサがいるのに。


「旦那様?」


 呼びかけられてハッと顔を上げた。

 私は何を、考えていたのか。

 緩くかぶりを振って部屋から出る。


 体は鉛のように重く、感情は深く沈んでいるのに、思考だけは高速に奔り続ける。

 何が駄目だったのか。

 魔法陣のどこを直せばいいのか。

 使用した文字か、単語の並びか、円の配置か……何をどうすれば、完璧な魔法陣が出来上がるのか。

 浮かんで消える知識の欠片に、一つ引っかかるものを見つけて自然と口が動いた。

 

「ああ、マーサ。前に言っていたあの文字は……」


 呟いて立ち止まる。

 はっと音にならない空気のような笑い声が、口から漏れた。


 マーサは死んだのだ。

 二度と、私の問いかけに答える声は返ってこない。

 それが、鈍い心に突き刺さる。

 握りしめた指から、ぱらりと乾いた血が剥がれ落ちた。

 こうやってマーサの命は溢れていくのか。


 時間をかけて着替えて戻れば、マーサの服だけでなく乱れていた髪や血がついてしまっていた肌も清められていた。

 もしかしたら、これは彼女なりの別れの儀式なのかもしれない。

 それでは私はどうするべきだろうか。


「お時間をいただければ、屋敷の者たちがマーサ様に最後の挨拶をしたいそうです」


 入り口で足を止め、マーサに視点を当てたまま動かない私に使用人が尋ねてきた。

 二度、三度と瞬きして顔を上げる。

 頷き返せば、女性は一礼して部屋から出ていった。

 その間に私はベッドの隣に立ち、いつまで経っても目覚めない子供を見守るようにマーサの顔を見つめ続けた。


 それからまたどれほどの時間が過ぎたのか。

 部屋に人が来ては出ていく。

 私に向けて声をかけるものは少なく、誰も彼もマーサに短い別れだけ告げていた。

 最後の一人が去り、唯一残った使用人女性が「どちらに埋葬されますか」と聞いてきた。


「まいそう……」


 ああ、そうだった。

 魂との別れの後は、体との別れ。

 考えるより前に、足が前に出る。

 マーサの体にかけられた布団を払い、両腕でマーサを抱え上げる。

 ふわりとワンピースの裾が広がった。

 最後の衣装としては華やかで、いつもマーサを着飾らせようとして叶わなかった使用人の最後の意地が見られる。

 マーサが生きている時にこれを着ていたら、無表情なままで瞳の奥に不機嫌をあらわにして私の前に立ったのだろうか。

 綺麗だと、似合っていると本人の前で告げられたらどんなに良かっただろうか。


「綺麗だ」


 密やかに言葉を落とす。

 目の奥で、マーサが唇を尖らせて照れくさそうに視線を逸らすのが見えた。

 ああ、生きている。

 マーサはこの先も私の中で生き続けてく。

 

「旦那様、どちらへ?」

「森の、奥へ」


 マーサを連れて出て行こうとする私に、声がかかる。

 ここから先は、私とマーサだけでいく。

 その想いが伝わったのか、使用人は黙ったまま深く頭を下げた。


 マーサを腕に抱き、屋敷を飛び出す。

 ただ、誰にも見られたくなかった。

 私と、マーサの姿を。

 最後の時間をただ二人で向き合いたかった。

 私という人間の生を彩ってくれた美しい魂との別れを。


 二人で歩いた森を進む。

 どこもかしこも思い出だらけだ。

 図鑑を手に草花を詰んだ。

 小川に足を入れて生き物を探した。

 マーサが「主の壁」と名付けた私が作り出した岩壁の横を通り過ぎる。

 マーサの影がない場所まで、どこまでも歩き続ける。


 そして森の奥深く、木々に囲まれた場所に立ち、全魔力を使って魔法を放った。

 轟音と共に木々が薙ぎ倒され、土が深く抉れ、雲が切り裂かれる。

 渦巻く風が止み、土埃がおさまった後、私は一際深く掘った穴の底にマーサを横たえた。


 髪を整え、胸の上で腕を組む。

 額にかかった髪をよけ、一つ、口付けを落とす。

 冷たい頬にも一つ。

 震える唇は、彼女の唇と重なることなく離れる。


「また、いつか……」


 マーサの最後の言葉を、唇に乗せる。



 ああ、いつか。




 必ず会おう。

 



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