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聖女を森に捨てるだけの簡単なお仕事です。  作者: BPUG
第四章 魔法使いの記憶
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第47話 Here Comes The End


 

 こぼれていく。

 

 血が。

 時間が。

 命が。

 

 指の間から、腕の中から、私のそばから。


 こぼれ落ちていく。 


 心臓が、痛い。

 呼吸をするたびに喉の奥が焼かれる。


 走れ、前へ、進め。

 立ち止まれば、愛する者の命は助からない。


 一秒でも早く、あの場所へ――私たちの日々が詰まった場所へ。




「マーサ……!」


 かつてないほど強く、近く、胸元に抱きしめた小さな体。

 王都で治療を受けることはできない。

 魔抜けの手当てをする医者などいないのだ。

 そもそも医者は大抵が回復魔法の使い手で、患者が魔力持ちを前提としている。魔力がないものへの治療法を知るはずがない。


 唯一私ができたのは、腹部に突き刺さったナイフを魔法で作り出した氷で覆うこと。

 少しでも流血を遅らせようと、マーサの体ではなく、ナイフと服に施した魔法。効果はある。あるはずだと信じて、何度も何度も重ねがけをする。


 強大な魔法などいらない。

 たった一人を救うだけの力が欲しい。

 そうやって準備をしてきたのではないか。

 二十年近い時間を費やし、魔法以外で彼女を助ける手段を探し求めてきたのではないか。

 今こそ、培った知識と経験の全てを形にすべき時なのに。


「許してくれ」


 なんのための贖罪かも分からぬまま口にする。


 私と、出会わなければ。

 私と、日々を過ごさなければ。

 私が、多くの敵を作っていなければ。

 私が、魔法陣を開発などしなければ。

 私に――愛されなければ。


 傷つかずにすんだかもしれない。


「……すまない」


 繰り返し馬に回復と疾風の魔法を施し、森を駆ける。

 視界に屋敷の屋根が入った時には、味わったことのない安堵が胸を占めた。


「旦那様!」


 屋敷の方から届いた使用人の声。

 先に送った通信を受け取った使用人たちが、夜にもかかわらず煌々と屋敷に明かりを灯して私たちの到着を待っていた。

 扉は開け放たれ、マーサを魔法陣の部屋に連れていけるように整えられている。

 ありがたい。

 感謝と安堵が込み上げる。

 あと少し、もう少しだ。


「はぁっ!」


 掛け声をかけ、速度を上げる。

 すぐに屋敷の前の広場にたどり着き、馬が足を止める前にマーサを抱えたまま背から飛び降りる。

 背後でどさりと音がして、馬が地に倒れ伏せた。

 口から泡を吹きヒューヒューと忙しなく呼吸する姿に、回復魔法を飛ばしてから歩き出す。

 私が使用人の前を通り過ぎると、彼らは血の気を失ったマーサの顔を見て目を伏せた。


「成功を、お祈りしております」


 強い意志のこもった声が聞こえた。

 視線を巡らせれば、マーサと仲の良い女が深く頭を下げた。

 それに小さく頷いて歩を進めていくと、すれ違う他の使用人たちも口々に「無事に成功しますように」と声をかけてくる。

 こんな時になって、彼らの温かさに気づかされる。


「必ず……!」


 喉を締め付ける感情を押さえつけ、短い言葉を返す。

 礼を取る彼らの姿を目に焼き付け、私はいつもの研究室に入った。


「マーサ、下ろすぞ」


 反応がないと分かっていながら、声をかける。

 昔の私だったら鼻で笑うだろう。

 無意味だと思えることはすべて排除していた自分だったら。

 でも今は違う。

 心が理解している。

 無意味だと思っていた言葉のやり取り、時間の積み重ねが人を育てるのだと。


「マーサ、すぐに楽になる」


 魔法陣の中心にマーサを横たわらせる。

 纏わせていた氷のせいか、ひんやりと冷たい細い指に額を当てて大きく息を吐いた。

 そしてそっと手を床に下し、立ち上がって二歩、三歩と後ずさる。

 魔法陣の外に立ち、ぐるりと陣に刻まれた文字を見回す。

 魔力を生命力に変換し、負傷者の傷を癒す術式。

 まだ試行錯誤の途中であり、完成とは言えない。

 それでもマーサを救うにはこれに賭けるしか手段はない。


 かがみこみ、魔法陣に触れる。

 魔法の発動過程を意識して途中で止め、純粋な魔力だけを魔法陣に注ぎ込む。

 血液が流れるように、じんわりと指先から流れ出す魔力。


 文字が一つ、また一つと光を帯びていく。

 マーサ、私たちが取り組んだこの魔法陣。

 使いたくなどなかった。

 使う日が来ることを望んでなどいなかった。

 これが発動する時、それはマーサが傷を負うことを意味する。

 小さな傷なら「慣れている」と表情も崩さず告げてしまう君だから。


「──我が力の源を、命の糧に変え、傷ついた器を癒したまえ」


 魔力が行き渡り、最高潮に輝きを強めた魔法陣に向けて呪文を唱える。

 呪文は、魔法陣の特性上必ず必要ではない。

 しかし願いを乗せた魔力に指向性を持たせ、成功率を高めることができるのだ。

 願い。

 自分には叶えられない願いなどないなどと、傲慢にも思っていた。

 でも今は目を瞑り、必死に願う。


 マーサの命を救いたまえ。


 魔法陣の光が強くなり、マーサの体を包み込む。

 命の灯を燃やすホタルのように、細かな光が散り散りに消えていく。


 その明かりが消えたと同時、マーサのそばに這い寄る。

 目が忙しなくマーサの体の上を走る。

 流れ出た血で黒く染まった腹部。

 唇から漏れるか細い呼吸。

 半分開いた瞼から覗く緑の瞳。




「……マーサ?」




 魔法陣は失敗に終わった。




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