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聖女を森に捨てるだけの簡単なお仕事です。  作者: BPUG
第四章 魔法使いの記憶
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第43話 Never Ever



「マーサ!」


 乱れる息を吐くと共に、声に魔力を乗せる。

 マーサに効果はない。だが、彼女の行く手を阻む巨大な岩壁が周囲の木々よりも高くそびえたち、その足を止めさせるには十分だった。

 あまりの大きさに、マーサは怯えるように二、三歩あとずさる。

 以前は町中だったこともあり手加減をしていたが、森の中ならばその必要はない。

 マーサの動きを止めたことに安堵し、呼吸を整えながら彼女に近づく。


「マーサ、なぜ逃げた」


 獣の唸りのように低い声が出る。

 今更、私が怖くなったか? それとも憎い?

 マーサを実験動物のように扱った私が。

 だが、逃げられると思うな。


「……逃げてない」


 マーサが振り返り、私を見上げる。

 その目は恐怖ではなく、なぜか強い怒りに揺れていた。

 表情の薄い彼女の中で雄弁な瞳が語る。怒っていると。

 今まで見せたことのない感情に、心臓がぐっと縮む。

 怒っている、マーサが、私に。

 初めてマーサが見せる感情にどこか、心が浮つく。

 そんな自分は、客観的に見てかなり気持ちが悪い。

 さらになぜ彼女が怒っているのか分からない私は、逃げて行く彼女を見た時とは違う焦りを覚えた。


「マーサ?」

「主、私が必要ないなら言って」


 両手を握りしめたマーサが、平坦な声で告げる。

 その内容が思いもよらなかったもので、私はとっさに返事につまった。

 それを図星だと勘違いしたのか、マーサの口がいつになく饒舌に動く。


「主、研究に私を呼ばなくなった。私は、主の研究のためにいる。必要ないなら出てく」

「マーサ、それは……」


 そんなことを考えていただなんて。

 確かに私は研究にマーサを関わらせないようにした。でもそれは必要がないわけではなくて。

 グダグダと言い訳のような言葉を心の中で連ねていると、マーサが続ける。


「私、主とずっといると思ってた。でも主がいらないなら」

「いらないわけがない!」


 腹の底から叫ぶ。

 いらないだなんて、思ったことない。

 必要だと、ずっとそばにいて欲しいと思ったことなら何度も……いや、違う。

 ずっとそばにいるものだと思っていた。

 当たり前のように、当然の如く、マーサはどこにもいかずに私のそばに一生いるものだと。

 どす黒い。

 醜い感情。

 独占欲、執着、支配欲、渇望、思慕……恋慕、愛。

 美しく描かれる恋物語とは程遠い、欲にまみれたこの思い。

 知らなかった。

 知らずにいたかった。

 でもそれを私に教えたのは彼女自身だ。

 いつの間に、こんな考えを抱くようになったのだろう。

 彼女だけは、私が名を与え、居場所を与えたマーサという人間だけは私のそばにずっといるだろうという傲慢な考えを。


「傷つけたくなかった」


 空気を嚙むようにはくはくと口を動かした後、絞り出した私のかすれた声にマーサは緩く首を傾げる。

 視線をわずかにそらして、さらりと揺れる毛先の動きを追う。


「私の魔法で、お前を傷つけたくなかった」

「……主?」

「お前を大切にしたい。ただの、研究対象ではなく、一人の人間として、女性として」


 慈しみ、大切にしたい。

 まだ見たことのない笑顔を見たい。

 新しいことを学んで煌めく瞳を見たい。

 私を、私だけをその目で追いかけて欲しい。


「私は……お前を、マーサを愛している」


 マーサの新緑の瞳が大きく開く。

 柔らかな緑の葉から朝露がこぼれるように、透明な雫がマーサの目から零れ落ちた。

 涙だ。

 それは、どういう意味なのか。

 私の言葉に対して、どんな感情を抱いたから出たのか。

 焦る私の前で、マーサは首を傾げる。

 その拍子にぽたりと落ちてきた雫を、マーサは自分の顔の前に広げた手のひらで受け止めた。


「あ、れ?」


 まじまじと見つめて、驚いたように私へと目を向けた。

 その両目からは、いまだに止まらない雫が光りながら流れ落ちていく。


「主、目から水が出た」

「……それは涙というものだ」

「涙。目が乾くと分泌される液体」

「あるいは刺激を受けたり、ひどく感情が動かされたりした時などに出るものだな」


 勉強会か?

 この雰囲気の中、非常にずれた会話だ。

 ただ、それは不快ではない。いつもの二人の空気が戻ってきたように思えて。


「感情が……主」

「なんだ」

「私は、嬉しいみたいだ」

「……そうか」


 そうか。嬉しいのか。

 初めて涙を流すほどに、私の言葉を嬉しいと思ってくれたのか。

 にやけそうになる口元を手で覆い、一歩ずつマーサへと歩を進める。

 目の前に立っても、マーサは逃げることなく私を見上げた。


「マーサ、魔法研究以外でも私のそばにいてくれるか」

「うん。いる」

「それは私が望んだからか。マーサの望みはあるか?」


 もし離れたいというのであれば……その考えが浮かんだだけで臓腑の裏側が焼けこげそうなほどの熱を持つ。

 喉奥を焼くような空気を飲み込み、瞬きをくり返すマーサの瞳を伺う。

 他人の感情になど興味のなかった私が、その仕草一つ、目線一つに心を揺さぶられる相手はマーサだけだ。

 ただ一人、たった一人だけの存在。


「私は主といたい」


 まっすぐな言葉に皮膚が粟立つ。

 上へ上へ伸びる若木のように、素直なマーサ。

 その思いは栄養と水を与えてくれた主人に対する感謝や忠誠心によるものなのか。あるいは刷り込みなのかもしれない。

 それでも私のそばから離れないというのであれば、私が離さなければいいだけのこと。


「ならば、私の隣にいなさい。もし不安に思うのであれば、隠さず私に言うように」

「分かった」


 こくりと頷いた拍子に、最後に一粒残った涙が頬を伝う。

 手を伸ばし、指先でそっと拭う。

 魔法の研究中にマーサの肌に触れたことは何度もあった。それと同じはずなのにどこか違う。

 無様に震えそうになる指先を温かい雫が濡らした。

 その指先をじっと見てからマーサへと手を伸ばす。


「では帰るぞ」

「うん」


 するりと重なる細い手。

 指を絡めればマーサの視線がそこへ向く。

 そしてどこか満足そうに目を煌めかせて、同じように私の手を握り返した。

 尊い時間だった。

 それがずっと死ぬまで続くのだと、私は信じていた。





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